映画「竜とそばかすの姫」を読み解く 中編―彼女が救おうとしたものは何か―
細田守監督の「竜とそばかすの姫」のネタバレ解説、中編です。
前編を先に必ず読んでください。
今回は、物語の後半の、登場人物の行動の謎を解読していきます。前回は、竜とベルが分かち合った、語られることのない「秘密の薔薇」とは、母を亡くした悲しみと、見捨てられた痛みであることを示しました。
その核心部分が理解できれば、この物語が単に「女子高生が虐待から子どもを救い出した話」ではないことも自ずとわかってきます。
※以下ネタバレ注意 物語後半のあらすじ おさらい
ベルは竜の城を訪問したあと、ジャスティン一味に捕まります。<アンヴェイル>の光によって、竜の居所を明かすようにベルを脅迫しますが、ベルは断固として拒否します。ベルはエンジェルたちに助けられるのですが、その時に、薔薇の花びらを一枚落とすのでした。
ジャスティン一味は、その薔薇に刻まれたコードを手がかりに、竜の城を突き止め、燃やします。ヒロから竜の危機を知らされた鈴は、ご近所さんや友人たちとともに、竜のオリジンをネット上で探しはじめます。
その時、竜とベルしか知らないはずの歌が、ネットの向こうから聞こえてきました。それは、「りゅうをおうえんしよう」という配信アカウントを運営していた小さな男の子(トモ)でした。そこに父親が入ってきて、薔薇の入った花瓶を壊し、歌をやめるようにケイに命令しますが、彼は歌い続けます。父はさらに激昂してトモを殴ろうとしますが、トモの兄であるケイが間に入り、父の虐待を受けるのです。
その場面をオンラインで観ていた鈴とヒロは、ケイこそが竜のオリジンであり、トモがエンジェルであることを悟ります。彼らを助けようとオンラインでコンタクトを取るのですが、ケイに激しく拒絶されます。鈴は自分を信用してもらうため、<U>の中で自らをアンヴェイルさせて歌うことを決意するのでした。
ベルは、ジャスティンの光を使って自らをアンヴェイルさせ、1億とも2億とも言われるアカウントの前で歌いはじめます。母親の記憶が押し寄せ、涙が止まらなくなりますが、観客の声援を受けて最後まで歌いきるのでした。
鈴たちは、ケイ・トモの兄弟からライブ動画でコンタクトをもらいますが、住所を聞く前に兄弟の父親に見つかり、回線を切断されてしまいます。鈴たちはわずかな手がかりからおおよその場所を特定します。
鈴は、駅まで車で送ってもらいますが、その後は単身で東京に向かいます。どこかわからず途方に暮れていたとき、トモに声をかけられ、ケイと出逢います。
そこにケイ・トモの父親があらわれ、彼女を2人から引き剥がそうとして。鈴の頬を傷つけます。彼女は殴りかかろうとする父親の顔をまっすぐみつめ返します。父親は何度も殴ろうとしますが、どうしても殴ることができず、最後にへたりこんで、逃げます。
ケイは鈴と抱擁し、語ります。「立ち向かうベルの姿を観てハッとした。戦うよ。」と。
なぜ50億の人の中から、竜のオリジンを見つけることができたのか
以上が概ねのあらすじです。
鈴はなぜ、ベルのオリジンをこんなにも早く見つけ、出逢うことができたのでしょうか。
この点、あまりにもご都合主義ではないかという批判があります。確かに、住所の特定に関しては、うまくできすぎた嫌いはあります。ですが、竜を見つけ、救い出したことは、決して偶然ではありません。
この物語において、エンジェルであるトモは、仮想世界でも現実世界でも、竜とベルの間の決定的な媒介者となっています。
時系列で列挙します。
①<U>に誕生したばかりのベルを見出し、最初のフォロワーとなった。
②鈴とヒロが竜のオリジンをネットで探っているとき、画面に登場して、無言のメッセージを発して消えた。
③城の在りかへとベルを導いた。
④竜が城からベルを追い出そうとしたとき、「トラブル?」と心配そうな声
を出して2人をテラスへと導き、間を取りなした。
⑤2人に秘密の薔薇を付けた。
⑥竜とベルしか知らないはずの歌を歌って、ベルに存在を気づかせた。
⑦オンラインの画面で、「あんたを信用しきった訳じゃない」というケイに対して、「ベルに会いたいよ」と言った。
⑧現実世界で、家の外に出て、自分たちを探していたベルを見つけた。
どの出来事が欠けても、2人は出逢うことはなかったでしょう。
⑤の、ベルが竜のオリジンを見つける場面では、トモは虐待父が強く制止するのに抗して、秘密の歌を歌い続けます。これは一見すると自閉症的な行動に見えますが、上のように整理してみると、明確にトモの意志があることがわかります。兄の危機に際して、ベルだけにわかる形でSOSを発したのです。その小さな声をベルが聴き届けた。それが奇跡的な、竜のオリジン発見の真相です。
なお、自分への虐待を辞さずに歌いつづけるトモの振る舞いは、その直後のベル=鈴が自らをアンヴェイルさせて歌ったことと、本質的には同じものです。というよりむしろ、トモの勇気こそが、彼女に決意させたと考えるべきでしょう。鈴=ベルの行動の原型は、実は自分の母だけではなく、トモにも見出されるのです。
上述のリストの最後、⑧については、トモは「たまたま外に出ていた」訳ではありません。彼は明らかにベルが来ると信じていて、彼女を探しに行ったのです。
この物語は、鈴=ベルが竜を救おうとした話です。しかし別の方向から見ると、傷ついて心を閉ざした竜=ケイを救ってもらおうと、エンジェル=トモがベルに助けを求めた話でもあるのです。
ベルが救おうとしたものは何か?
そもそも、ベルはいったい何を救いたかったのでしょうか?
「父親の虐待から子どもを」と答える人が、おそらく大多数でしょう。実際、子どもの虐待問題をこんなに軽々しく扱うのは許せない、という類いの監督批判が散見されます。
しかし、その答えは、物語の表層にミスリードされています。この物語においては、問題の本質は虐待ではありません。前編で指摘したように、竜が本当に傷ついているのは背中ではなく胸だからです。つまり、竜が本当に苦しんでいるのは、父による虐待ではなく母の死なのです。
ケイとトモの兄弟は、追悼を許さない父の虐待から逃れ、<U>の中に巨大な祭壇を築きました。その秘密を、薔薇を分かち合ったベルだけが知っています。
だから、ジャスティン一味によって竜の城が燃やされたことについて、他の人とベルとでは、深刻さの理解が全く異なっていたはずです。多くの人にとってそれは単なる火事であり、せいぜい1つの<As>の危機にすぎません。しかし、ベルにとっては、<竜である誰か>が最も大切にしている秘密の想いが無へと帰せられるという、竜の魂にとって考えうるかぎり最も凄惨な出来事が起きつつあるのです。
同じ事は、虐待の場面でも言えます。多くの人は、それは単なる虐待にしか見えなかったでしょう。しかし、鈴だけは、母の花瓶と写真が壊されることの意味を理解していたはずです。
世界の彼方へと超越する声
ベルが救いたかったのは、<竜である誰か>の魂です。<U>の彼方、<竜である誰か>の魂に届けるために、自らをアンヴェイルさせ歌うことを決意しました。
それが「はなればなれの君へ」です。
あいたい もう一度 胸の奥 ふるえてる
ここにいるよ とどいて はなればなれの 君へ
目を閉じた時にだけ 会えるなんて信じない
あいたい はなればなれの 君へ
この歌の原型は、物語の序盤に出てきます。鈴が、歌おうとして激しいトラウマ発作に襲われた時です。つまり、「はなればなれの君」は、亡くなった母の魂に届ける歌なのです。
ベルはジャスティンの光を使って自らをアンヴェイルさせ、竜の魂に届けるために、この歌を歌います。そして彼女は、母の死の記憶を思い出し、なぜ母が見ず知らずの子を助けようとしたのか、身をもって理解することになるのです。
母が本当に助けたかったのは、河の中に取り残され、見捨てられた子の魂だったのだということを。
そして、いま見ず知らずの魂に寄り添おうとしている自分の中に、母が生きているのだと。
そのことに気がついたとき、鈴は嗚咽が止まらなくなります。しかし、たくさんの人の心からの応援を受けて、再び歌い始めます。
「ベル」としてではなく鈴の体で歌えたということは、どうしても受け入れることができなかった母の死を受け入れられたということです。彼女が死を受け入れられたのは、母の死の理由を理解できたからです。
川に取り残された子どもを救おうとした母の死と、<竜である誰か>の魂を救おうと自らをアンヴェイルさせた鈴は、どちらも世界の彼方へと超越しようとしたのです。
母は、知らない女の子の魂を救おうと、文字通り死の川に飛び込みました。そして女の子にライフジャケットを届け、自らは力尽き死にました。
ベル=鈴は、<U>の彼方の、誰のものかわからない魂を救おうとしたのです。ジャスティンが示唆するように、本来ならばアンヴェイルされると<As>は潰れて消滅するはずなのです。しかし、母の死を受け入れた鈴は、超絶的な精神性を得て、歌い続けることができたのです。
そのとき死を受容することによって、彼女の声は、世界の彼方、1人1人の魂へと届けられる奇跡の声を得られたのです。そして、その声はケイとトモの兄弟にも届いたのです。
続きはこちらです。