石積みキャラバン1 淡路島畑田組
2018年の2月19日から3月11日まで約3週間、石積みの修行の旅に行ってきた。
きっかけは、何度も一緒に石を積んでくれているT君の誘い。「石積みの修行しませんか?」。彼は土木の専門学校を卒業し、春から土建屋さんで働くことになっていて、いずれ家業の土建屋さんを継ぐ予定。だけどコンクリートは嫌いで石が好き。大学卒業後はしばらくイタリアでサッカー選手をしていた。
各地の石を積みたいというのもあり、やろう!ということになった。
ドイツやフランスの伝統的な職人になるための修行の過程に各地を転々として仕事をするというプロセスがあるらしく、短期間だけど、それに近い。
まず訪れたのは、淡路島の畑田組という集落。
2月19日〜20日の2日間で、4.5m×1.0mの通路脇の擁壁を修復した。
知り合いの方から住職さんから紹介していただき、お寺に至る通路脇の石積みを修復した。
畑田組は淡路島の南側に面した集落で、現在は3人しか住んでいない。20戸ほど空き家になっていて、人よりも猿のほうが多いくらいだ。朝、集落で目覚めると猿の家族が3匹歩いていた。石を積んでいるもきも奥の竹藪から年老いた猿がのそのそと歩いてきた。
昔から農業で栄えた集落でないので、四国の山間地ように家と耕作地が近くにあるのではなく、急傾斜地なのに街中のように家は密集している。家に行くまでは集落の下に車を停めて細い曲がりくねった道を通ることになる。丸くて細長い石を家の前の塀に使ったり、丸い面を割って塀を作っている。きめ細かくてとてもきれいに見える。
昭和初期まで海運業が盛んで、瀬戸内海の塩を江戸に運んでいた。この集落には淡路島の半分の富が集まっていると言われるほど栄えていたそうだ。その痕跡が立派な石積みに残っている。
畑田組はその後、目の前の海で採れるアワビやサザエ漁が盛んだった。1日10万円くらいの売り上げがあったそうだ。その後は明石海峡大橋や関西国際空港建設時に漁師の漁業補償金がたくさんもらえたらしいが、今はこれといった収入源はない、と言われている。
でも近くの宿は1年先まで予約が埋まるほどお客さんがたくさんいるし、近くの食堂で食べたもずくは太くてとても美味しい。今でも目の前の海では素潜りでサザエ漁をしている。
田舎とはいえ、洲本市と高速道路までは車で40分くらい。
石積みは結構すぐに終わった。丸い石も多かったが、矢じりのようなとんがったグリ石も多かったので固定しやすかった。この石積みは、排水のためのコンクリート三面張の水路を石積みの下につくったために、石の隙間から水が流れずに根石の下に水が溜まり、土が緩んで石が沈んで崩れたようだ。どこかに水が流れる穴を開けるとよいが、水路は共用なので簡単に触るのは難しい。水路の底面と同じ高さまで横のコンクリートを削り、細かい石を敷いてお茶を濁した。