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石積みキャラバン2 愛媛県外泊

淡路島から高知県を通り、寄り道しながら愛媛県の南の海岸沿いにある外泊という集落に来た。
この集落は大学生のころに「復刻 デザイン・サーヴェイ」という本を読んでずっと行きたいと思っていた。
この本はとても良かった。眺めているだけで面白い。外泊では、建物を廃した立面図が美しかった。自然と共生する集落の配置や構成をぱっと理解するにはデザインサーヴェイはとても分かりやすい。今の時代は、そこでの生活と仕事をまず考えないといけないが。
一般的に傾斜地の石積みはできるだけ労力を少なくして平地をつくる。そのため、等高線に沿ってうねうねと石積みが築かれているところが多い。
ところが外泊は隣の中泊から二男三男が集まって切り開いた集落であり、一気に整備されたので、計画的にグリッド状の敷地が築かれている。

長方形の平地の間を細い道が通り、風除けの石積みが家の前に築かれている。家の窓から海の様子が見えるようになっていて、漁にでかけた夫が帰ってくる様子を見ていたそうだ。
石の高さは5、6mの高さも珍しくなく、小さな石を使っている割に緩んでいるところはほぼない。元々地盤が固いのだろうと思う。また、石が多いのでグリ石がたくさん入っているので崩れにくいのだと思う。
外カーブの見事な反りがある石積みなど見事な技術が使われている。


目の前の海は穏やかで企業がハマチや鯛を養殖している他、集落内の2人の漁師の方が漁をされている。
背後には耕作放棄地が広がっており、イノシシもたくさん来るらしい。昔は集落を取り囲む山の尾根筋に石の猪垣があったそうだ。ちなみに滞在中に猪の罠を仕掛けたが、餌だけ取られた。
修復した石積みは長さ5mで高さが4mほどの空き地の擁壁。


以前泊まった宿から見える石積みが崩れていたので、修復をお手伝いした。宿の御主人が唯一石積みを積める方だが、腰を悪くしてできなかったらしい。彼は大阪で土木の仕事をしていて、石積みを覚えた。石積みを外泊で教えてもらったことはないという。
一緒に積んでいるときに、あんこ、あんこ、と言われていた。ぐり石のことをあんこ言うらしい。
この辺りは昭和中期頃まで半農半漁で、農地ではさつまいも、麦の穀物や麻を栽培していた。家の前ではさつまいもを干したかんころもちやするめをつくっていたそうだ。石が太陽の熱を溜めて放射するので、よく干せたらしい。洗濯物もよく乾いたとのこと。いまでも竿に洗濯物や小魚を干している家もある。


集落は80人住んでいるらしいけども、ほとんどの人が外泊から30分で行ける宇和に働きに出かけている。ところで、宇和はよくある国道とロードサイドショップが並ぶまちなのだが、4日振りに外泊から宇和へ降りると、今まで別の世界にいたのでは?という気持ちになった。他の石積みが多い地域から国道に出るときにも度々感じる感覚だ。生活と風景の関係は無くなっても、石積みがあるような辺鄙な集落にしかないものがまだある。
隣には中泊という集落があり、その向こうには内泊という集落がある。街路のかたちは中泊のほうがおもしろいけども、道沿いはサイディングボードやコンクリートが並んでいておもしろくない。
釣り客向けの旅館や貸し船の看板がちらほら建っていた。
最後の日には地元の漁師の人や近所の人と晩御飯をいただいた。亀の手がとても美味しかった。

石積みは、雨が降った際に外カーブになっている石積みに雨水が流れ込み、真ん中にあった大きな石が落ちて崩れたようだ。外カーブの石積みは弱くなりがちだ。まずは大きな石を起こして1番下に据えた。かなり重いため、家を持ち上げるためのジャッキを使って石とジャッキの間にバタ角をはさんで1日かけて石を起こしていった。

そのあとはひたすら積み、グリ石入れ。

面がない石が多く、斜めに置く重要性を再認識した。水平に置くと顔がなくても斜めに置くと顔ができる。あとはとにかくグリ石を積めて固定する。砂岩系の石で形を整えやすく、摩擦もあって比較的置きやすい。また今回はノミを使って大きな石を砕いたが、これが1番しんどかった。金物屋さんで買った普通のノミはとても柔らかくてすぐに使い物にならなくなった。結局、高知県の古道具屋さんで買った古いノミを使った。ノミは時間がかかるので、大きなハンマーで思い切り石に打ち込める飛び矢、セリ矢は常に持ち歩いていないといけないなと思った。大概の石は大きなハンマーで割れるが。


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