時間の浪費と生産性
時間を浪費することと生産的な活動をすること、この2つは相反するものとして語られることが多いのだけど、今日の僕は正にそんな1日を過ごしてしまいました。
じゃない。
「過ごしそうになった」が正解。
午前中は、土曜午前恒例の、リスタートランニングクラブでスタッフとして汗を流した後、自分練習としてインターバル走を実施。
会員さんたちとランチをして解散、買い物をした後に帰宅。
帰宅は15時ごろだったでしょうか。
15時半から始まった日本選手権クロカンのTV中継を観て、Twitterを眺めていたら、気がつくと時刻はすでに18時半。
TV放送が終わったのは16時半ですので、概ね2時間程度の無駄時間を浪費したことになります。
それで、今こうして僕の1日をnoteに綴り(誰が興味を持つかは別として、人生は一つのコンテンツだという新年に基づき)、
生産的な1日であったと思えるような過ごし方をしたい
と焦る気持ちを切り替えて、文章を綴っています。
生産性という言葉は人それぞれで、独身貴族の僕からすれば、興味のあるクロカン中継を観戦する時間は、とても生産的な時間であるものの、
「休日の昼間に家でTV観てる」と表現すれば、無駄な時間の浪費とも解釈できます。
ランニングチームのお手伝いをすることも、自分のトレーニングをすることも、ある意味では遊びの時間であるのだから、ランニングの興味の無い人に「それは生産性がない」と言われても、正直、反論はできません。
結局のところ、その日が、その時間が生産的であったかどうかを決めるのは自分自身なんだけど、最も大事なことは、
時間を浪費している!と気づいた瞬間に、生産的な時間の使い方に切り替えができるかどうか。
これが、人生を濃く豊かにするポイントだと思っています。