![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9614981/rectangle_large_type_2_adf4c60771c4bf0dcd92356921e0c06c.jpg?width=1200)
話の結論あるなし
誰かのnoteやブログを開いて読んでみると、ある疑問をテーマにした記事が多いのですが、大きく分けて
①なんらか結論が書いてある記事
②『何でだろう?』終わっている記事
の二種類があることに気がつく。
②の記事に出会う時は、同じ疑問を持っていたりして、何かの答えを教えてくれるんじゃないか?と期待して、、
勝手に裏切られたりしている。
その筆者は『答えが書いてあるよー』なんて一言も書いてないのに。笑
勝手に裏切られている自分を認識するのは、悲しくなる。
『あー、無駄な時間を過ごしてしまった』なんて思うこともあるけど、じゃあその無駄時間が無かったら何をしていたんだ?と問われると、
たぶんボーッとTwitterでも眺めていたんだろう、ということが容易に想像できる。
むしろ同志が居ることを知れたわけで、なにもしないより生産的だったかもしれない。
そんなつまらない自分を認識するのは、悲しくなる。
僕だったらもっと良い記事が書けるはず!と意気込んでみても、ぜんぜん筆が進まない。
なんだか、悲しくなる。
結論:結論のない記事を読むと自己嫌悪に陥る(被害妄想)
あー。
また、つまらぬものを書いてしまった。。
私のTwitterアカウントはこちらです。つまらなくないことをつぶやけるように、がんばっています。ぜひフォローをお願いいたします。