ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#11 CHAOS U.K、鉄アレイ、FORWARD BURNING SPIRITS JAPANツアー
これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。
第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。
「#11 CHAOS U.K、鉄アレイ、FORWARD BURNING SPIRITS JAPANツアー」
平成10年である1998年には、BURNING SPIRITS周辺で鉄アレイ以外にJUDGEMENT、FORWARD、PAINTBOXという新たなバンドの結成が次々と行われた。PAINTBOXに関しては、俺が仲が悪かったこともありBURNING SPIRITS周辺と言っていいかどうか微妙なところではあるが、新たなバンドが続々と結成されたのがこの1990年代中盤以降の時期である。
消毒GIG周辺の若手ではSLIGHT SLAPPERS、VIVISICKなどもこの時期に結成されているし、2000年代に入れば他にも新しいバンドが出てくるが、それはまた後の話にしよう。
1998年頃になると、鉄アレイを中心として行われていたBURNING SPIRITSが非常に盛り上がりを見せ始め、CHAOS U.Kが3度目の来日を果たす。この来日ツアーは鉄アレイが招聘したもので、CHAOS U.K、鉄アレイ、FORWARDの3バンドによるBURNING SPIRITSツアーとして行われた。
博多、広島、大阪、名古屋、仙台、札幌と東京のアンチノックで2day’sという、コンパクトではあるが日本全国をまわるジャパンツアーとなった。
前回の来日とは違い、リアルなジャパニーズハードコアシーンの事実をCHAOS U.Kに感じて貰える良い機会であったし、俺は新しく結成したばかりのFORWARDでCHAOS U.Kとツアーができることで、非常に気合が入っていたツアーでもあった。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!