ISHIYA私観「平成ハードコア史」第2章〜#10 日本のハードコアパンクバンドによるツアー系譜

 第1章で出てこなかったバンドや出来事がまだまだたくさんあるのだが、俺が書いているコラムであるのに登場していないバンドがある。そう、DEATH SIDEだ。
 この第2章では、DEATH SIDEの話を中心に、様々な話を交えながらDEATH SIDEの歴史についても書いていきたいと思う。
 2019年の現時点でも活動しているDEATH SIDEだが、今のDEATH SIDEの話はまだ先になってしまうだろう。この章では第1期と言えるDEATH SIDEについて触れていきたい。そのため昭和の話もふんだんに出てくるはずだ。平成史と謳っているが、DEATH SIDEは昭和から活動を始めたので、そのあたりはご容赦いただきたい。
 様々なバンドとの関わりなどかなり数多くの話もあり、今まで世に出ていない話もたくさんあると思う。
 もし興味があるならば、連載する上での励みにもなるので、第2章も購入していただけると幸いである。

 第1章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#10 日本のハードコアパンクバンドによるツアー系譜」

 このコラムの#8で、ツアーでまわった都市の出雲について触れたが、他にも日本国中で様々な街をまわった。
 そこで日本全国色々な都市に行ったので、各都市について書きたいと思っていたのだが、ツアーをやり過ぎていたせいで、記憶にある出来事がいつどこで起きたことなのかがわからなくなってしまった。そこで当時を知る友人たちに色々話を訊いて収集した情報で一度整理して、どういった流れだったのかを書き留めておきたいと思う。
 個人的にも色々昔のことを思い出すために必要な、資料的な意味もあると思うので、ツアー中心となるが今回はそういった話にお付き合いいただきたい。

 今回のコラムを読んで年代や場所、そのほかにも間違いなどがあった場合にはその都度修正して行こうと思うので、確実な情報である、例えば日付の入った写真やライブビデオ、フライヤーなどを持っていて、そのときの記憶がある場合には、何かの形で知らせてもらえると今後にも役立つので教えていただければ幸いだ。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!