
銭湯のおかげです 肆湯目 「東上野 寿湯〜夏の終わり」
夏休みが終わってしまうために、最後の追い込みで宿題をやっていた息子だったが、ダラダラとやっていた宿題になんとか終わりが見えてきた頃に話しかけてきた。
「ねぇ父ちゃん。この前の露天風呂気持ちよかったね」
「ああ、あの露天風呂はよかったな。水風呂もあったからな」
「他にも露天風呂がある銭湯ってないのかな?」
「あると思うぞ。調べてみるか」
「うん。宿題終わったら行こうよ」
「そうか。それじゃ頑張って早く終わりにしろ」
「うん!」
夏休みが終わりになったら、そうそう一緒に銭湯巡りにも行けなくなるだろう。これは夏休み最後に行っておくかと、スマホで検索をしていると、上野駅から歩いて行ける場所に、露天風呂あり、水風呂ありの銭湯があるではないか。
「おお!あったぞ!上野から歩いて行けるな」
「どこどこ?見せて」
宿題を中断して、俺の手からスマホを奪い取り凝視し始める。絵に描いたような「心ここにあらず」といった状態とでも言えばいいだろうか。
「寿湯っていうの?いいねここ!じゃあ超ソッコーで宿題終わりにする!」
「本当にソッコーでできるのか?」
「できる!」
「できるのか?」とニヤニヤしながら言うのは、もちろん息子を煽ってやる気を起こさせるためではある。
するとどうだろう。それまで文句を言いながらダラダラと宿題との対決を長引かせていた息子が、見違えたような集中力を発揮し始める。何かモチベーションが上がる要因があると、仕事が捗るのは大人でも同じだ。まだ小学生なのだが、それでも男というものは単純極まりない生き物である。みるみるうちに宿題を終わらせた。
「父ちゃん終わったよ!ソッコーで終わりにしたでしょ?銭湯行こう!」
「わかったわかった(笑)。最初から銭湯調べとけば良かったな(笑)。」
「そこは父ちゃんも入れるの?」
「クチコミに刺青の人も入ってるって書いてあったから大丈夫だろ」
「じゃあ早く行こう!」
そんなに焦らなくても銭湯は逃げやしない。しかし写真で見る限り、かなり良さそうな銭湯だ。写真を見てわくわくしている自分が、手に取るようによくわかる。
「早く行こうよ!」
「よし!行くか!」
電車で上野駅に着くと、普段上野で買い物などをする時にはあまり使わない、馴染みのない入谷口から外に出る。高架の歩道橋テラスのようになっている眼下には国道4号が走っている。
テラスから階段を降り、国道4号を渡って地下鉄銀座線の稲荷町駅方面に歩くこと6〜7分。大通りから一本入った道で、あの銭湯独特の湿気を含んだ湯気のような香りがしてくる。
「銭湯の匂いがしてきたな。わかるか?この匂い」
「あ!うん。そういえばいつもこの匂いがするね」
「これはもうその辺にあるぞ」
薪で湯を沸かす銭湯の場合には、薪を燃やす香りが漂っていることもあり、銭湯に近づいて来た時の独特の香りは、銭湯好きの心を躍らせる。すると自転車が停められ、宮造り風の日本家屋が目に入ってくる。
「お!ここだな」
「牛乳あるかな?」
「ビールあるかな?」
暖簾をくぐり、下駄箱のロッカーに靴を入れ店内に入ると、受付では牛乳やソフトドリンク、ビールなどの飲み物のほかに、オリジナルTシャツやタオルなどの寿湯グッズも販売されている。
湯銭を払い脱衣場に入ると、結構な混雑だ。どうやらサウナが300円という安さの追加料金で利用できるのと、タオルセットも70円なので、手ぶらでフラっと立ち寄れるのも人気なのだろう。
「あれ?父ちゃん。2階があるよ」
「ほんとだ」
脱衣場には2階まであり、かなりの人数が入れる広い銭湯だと伺える。真ん中には畳敷の台もあり、ロッカーも大小大きさの違うものがある。ロッカーの真ん中あたりの高さの部分が、棚のように荷物を置けるようになっているのも気が利いている。
脱衣場からも露天風呂のある野外スペースへ直接行けるようになっていて、昼間に行ったために明るい光が差し込む気持ちのいい脱衣場だった。
「露天風呂良さそうだね!」
「ああ、でもまず体を洗わなくちゃな」
「うん!」
内湯には4列ほどの洗い場に、ジェットバス、超音波、寝風呂、日替わりの薬湯と種類も豊富でシャンプー、ボディーソープも備え付けなので、設備はかなり整っている。
一般の若者や中年、老人のほかにも、普通に年配の刺青を背負った方や、ワンポイントタトゥーの若者、総身彫の本職と思われる方と若い衆など雑多な人々が混在していて「これぞ銭湯!」といった原風景が広がる。
「ねぇねぇ父ちゃん。刺青入れてる人いっぱいいるね」
「そうだな。父ちゃんよりいっぱい入ってる人もいるし、かっこいいよな」
得てして刺青の面積が広く、彫物が完成している人にはマナーがいい人が多い。手ぬぐい一本で、ちゃっちゃと入る下町のおじさんも粋だが、マナーよく風呂に入る総身彫りの本職の方も、映画のワンシーンのようにかっこよく粋だ。そんな時の背中の彫り物の美しさは、銭湯の醍醐味や楽しみのひとつだと思っている。
「早く入りたいから洗おうよ!」
背中を流しあい全身を洗ったあとには、何も言わなくても使った場所をお湯で流し、桶と椅子をゆすいで元の場所の戻しているところを見ても、息子はもうすっかり銭湯の入り方を熟知している。
「体の泡もちゃんと全部落とせよ」
「うん!早く入ろうよ」
もうこれならどんな公衆浴場にも入れるだろう。大きくなって友達と風呂に入るときにも大丈夫だ。
「父ちゃんはもう少し洗うから、先に入ってていいぞ」
「いや、待ってる」
ひとりで行くのが嫌なのか、もじもじしながら待っている。こんな姿を見られるのも今のうちだ。こんな些細なことが俺の記憶に残り、息子が大人になった時には、楽しかった思い出として心の中に蘇ってくるのだろう。
「よーし!じゃあ入るか!いきなり露天行くか?」
「いや、まずは普通のからにする」
ジェットバスに浸かると、勢いが凄いようだ。
「父ちゃん!これ凄い!」
「飛ばされちゃうか?(笑)。」
「こっちはどうだろう?」
様々なお湯を楽しんでいる息子を尻目に、熱めの湯になっている薬湯に入る。今日は漢方風呂のようで、子供には少し匂いが強いようだ。
「父ちゃんはこっちの熱いのがいいな」
「こっち臭い(笑)。早く露天風呂行こうよ」
「よし!じゃあ露天行くか!」
「うん!」
外へと続くドアを抜けるとかなり広い露天風呂で、椅子があるのでサウナを楽しむお客さんたちの休憩場所にもなっている。
「うわ〜!広いねここの露天風呂」
「この前の大黒湯も広かったけど、こっちも広いな」
ぬるめのお湯ではあるが、薬湯になっていてゆっくり浸かりながらくつろげる素晴らしい露天の岩風呂だ。
「水風呂ふたつあるよ!」
露天岩風呂の水風呂に、洞窟風呂という名の水風呂がある。洞窟風呂のほうは掛け流しで、水温も多少冷たい気がするが、どちらの水風呂も甲乙つけがたい。
「冷たくて気持ちいいね!」
「やっぱり水風呂は最高だなぁ!」
何度か露天風呂や薬湯と水風呂の交互浴を楽しんでいると、慣れてきたのか息子もひとりでお湯を楽しんでいるようだ。
交互浴のタイミングが子供とズレて少し経った頃、露天風呂に浸かっていると、息子が何やら違う動きをしている。どうやら椅子で休憩したいようだ。
「椅子に座るときは、ここにある桶で露天風呂のお湯を汲んで座るところを流してから座りな。最後も同じように流して終わりにするんだぞ」
「わかった」
サウナの整い客の真似をしたかったのか、ゆったりとくつろいでいる。別にサウナに入らなくても、交互浴で十分に整う感覚にはなれる。サウナに入れない子供でも、全く同じ気持ち良さを味わっているのだろう。少し経ってから隣に座ると、息子が話しかけてくる。
「あと2往復ぐらいで出よう!」
「3往復じゃだめ?」
「うーん、しょうがないなぁ」
小学生でまだ4回目の銭湯。水風呂に至っては3回目だというのに、交互浴1回を1往復と数え3回分。それまでにも4往復ほどはしているので全部で7~8往復の交互浴である。相当銭湯慣れしているかのような楽しみ方と言い方だ。子供の吸収力は凄い。
「かなり銭湯好きになったなぁ」
「うん!だって気持ちいいもん!」
子供は本当に素直だ。銭湯は本当に気持ちいい。家の風呂とは別世界のワンダーランドであり、子供と行くには最高の場所である。こんなに親子の絆が手軽に深まる場所もそうそうあるものではないだろう。
「あ〜!気持ちよかったね!早く牛乳飲みたい!」
「父ちゃんはビールだ!」
まだ濡れたタオルや手ぬぐいで体を吹くことに慣れていないので、脱衣場へ戻る際のチェックと手伝いは必要だが、公衆浴場でのマナーはもう大丈夫だろう。
旅行にでも行かなければ、教育と遊び、気持ち良さと親子の絆が深まる機会なんてものはそうそうないと思っていた。しかし銭湯に行くことで、こんなにも素晴らしい経験ができる。これだから銭湯はやめられない。全ては銭湯のおかげです。ありがとう。
しかし夏休みが終わり、新学期が始まるとなると、子供と一緒銭湯へ行く機会も少なくなるだろう。
ここまでハマってしまった銭湯に、ひとりでも行くようになるのは必然だろうと思われる。こうしてこの後、一人でも銭湯巡りを始めるのだが、それはまた次回以降。
さて、次はどこの銭湯に行こうかな。
つづく
都心ど真ん中の上野から徒歩県内、近くには合羽橋道具屋街もある寿湯さんはこちら。
(東京銭湯マップさんのリストに飛びます)
https://www.1010.or.jp/map/item/item-cnt-83
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