cicago_のコピー

ツアーのススメ〜海外編

前回のコラム「ツアーのススメ〜日本編」で書いたように、俺は約20年ほど日本国内をツアーし続けてきたが、遂に海外でのツアーを行うときがやってきた。

初めて行った海外ツアーは、2006年のアメリカツアーだった。

今考えると、全く誰も知り合いがいない国で、ツアーを取ってくれたのもカナダのレーベル。サポートバンドもなしでのFORWARDだけでアメリカのほぼ全域を、一ヶ月ほどかけてツアーしてきたのは無謀だったのかもしれない。

各土地土地で、やる場所と何ヶ所かだけ運転手をしてくれる人間だけを手配してもらっていてツアーに行ったのだが、手探り状態もいいところだった初アメリカツアーは、各地でサポートしてくれた人間やバンド達に助けられ何とか周り切った。

移動の車が無いために、次の街までメンバーが別れて分乗し、ひとつのチームは夜中に移動、もうひとつのチームは当日移動などの他にも、車もレンタカーを借り、運転手もよく知らない街で迷子になったりするときもあった。

レンタカーも大きい車が借りられずに、普通のライトバンに毛が生えたぐらいの大きさの車で、屋根に物販を積み、足元に自分の荷物で身動き取れない状態というときもあった。

英語をまともに話せるのはギターのSOUICHIぐらいで、よくこのツアーが出来たものだと今更ながら感心する。

物販もほぼ俺がやっていたのだが、ライブ終了後にステージからそのまま物販の場所に行き、汗だくでTシャツなどを販売しているとアンコールがかかり「ちょっと待ってくれ!アンコールやってくるから」と言ってまたステージに戻ったりなんてことを繰り返しツアーをやっていた。

運転してくれている人間や、地元の人間が様々なことを手伝ってくれてこのツアーは成功したのだが、このツアーをやってアメリカとの交流が深まり、次からツアーに行きやすくなったのも事実だ。この初アメリカツアーで手応えを感じ、アメリカとの橋渡しが多少なりともできたと思う。

それ以降の友人付き合いをしているアメリカの友人達やバンドが日本に来たり、日本のバンドがアメリカでのツアーがやりやすくなったのではないかという自負もある。

その後3回のアメリカツアーと、BLOWBACKのツアーに個人的について行ったのを含め、計5回アメリカに行っているが、この最初のツアーは忘れることが出来ないツアーだった。

日本のツアーでは、ライブ終了後に打ち上げとして居酒屋などで出演者やお客さんと飲むのだが、アメリカではライブ終了後はもちろん、ライブ前でも泊まっている家でホームパーティーがおこなわれる。

このホームパーティーは毎日続き、アメリカにいる間全ての日、パーティーに明け暮れていたように思う。

全く知らない大学生のパーティーに放り込まれたこともあった。

初めて行った土地で日本から行っている俺たちは、その毎日のパーティーでも地元のアメリカ人達より決して先に寝ることなどなく、必ず誰かが最後までパーティーに参加していた。

日本人代表として、酒でも何でも負けるわけには行かない。

「何だよ、日本のパンクなんてこんなもんか」などと思われるわけには行かないのは当然だろう?

このときのツアー後半では「ラスト・マン・スタンディング」と言って、誰が最後に残っていたかをアメリカ人のツアーメイトと競っていたようなこともあり、物凄く疲れたが非常に楽しく素晴らしいツアーだった。

しかしそのおかげで、今でもアメリカに行くと、俺たちはパーティー好きなバンドとされて、どの街に行ってもパーティーにはほぼ強制参加となっている。

もういい加減休みたいときもあるんだが…

こうして築いた友達関係は今でも続いていて、この最初のツアーから現在まで友人関係の仲間がアメリカにはたくさんいる。

このときのツアーでの最後の街ポートランドでは、カツタと当時HG FACTの佐藤君が来てくれて、初めて行く海外ツアーを1ヶ月回ってきて最後に友達に会えたのは非常に安心したし嬉しかった。

ピッグ・チャンピオン在籍時のPOISON IDEAと2度ライブをやることもできた。初めて観るPOISON IDEAは素晴らしかったし、何よりお客さんがみんな楽しみにしていて、アメリカでのPOISON IDEAの人気の凄さを実感した。

ピッグ・チャンピオンが俺たちのことを知っていて「お前らのレコードも持ってるぜ!」と言ってくれ、色々話が出来たのも嬉しかった。普段椅子に座ってでしかライブの出来なかったピッグ・チャンピオンが、2回目のライブのときに立ち上がりギターを弾いているのを観た地元の人間達は非常にビックリしていた。未確認だが、このときのライブがピッグ・チャンピオンのラストライブである可能性が高い。

そのPOISON IDEAとのライブをセッティングしてくれたスコットは、後にBLOWBACKのツアーに行ったときにサンフランシスコでも世話になり、リンプリストのギターとして日本で再会することになる。

西海岸でサポートしてくれた、STAR STRANGLED BASTARDやTRAGEDYは、その後日本に招聘し、WARHEADと共に日本ツアーもおこなった。

東海岸で世話になったDROP DEADのベンは、WARHEAD、TRAGEDY とのアメリカツアーの際に運転手をしてくれた。

この最初のツアーのときに仲良くなった友人であるロバートのバンドNO STATIKと、2012年になりツアーができたのも非常に感慨深いものがあった。

その後俺たちはアメリカ以外の国、オーストラリアや韓国にも行けた。

ツアーというものは国によって違いはあるが、そういった文化の交流を図ることが人生にとってどれだけ素晴らしいことなのかを理解して欲しい。

せっかくバンドをやっているのなら、せっかく音楽をやっているのなら、出来るだけ多くの人間に想いを伝えて欲しい。

その想いが伝わるのか試して欲しい。

知らない国の、言葉も違う、文化も違う初めて会う人間が自分たちのぶつけた想いに反応して、ダイレクトに気持ちが通じ合うツアーは、人生の宝物になることは間違いない。

そしてツアー、特に海外ツアーというものは、バンドメンバーの人間性も如実に表れるので、その後のバンドのためにも非常に良い効果を発揮する。

ステージングや演奏面は確実に上達し、その経験によりツアー後のライブは確実に変わる。

なにかしっくり行かなかったことが、うまく行くようになったり、軋轢が本格的な決定打となり脱退や解散等もあるだろう。

俺はバンドを辞める気など全く無くここにいる。活動を止める気もサラサラ無い。

それを良いことと捉えるか捉えないかはあなた次第だ。

あなたの人生は、あなたにしか生きることができない。


写真 2006年USA TOUR in CHICAGO

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ISHIYA
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!