2021年ベスト映画
今年もとても幸せな映画ライフでした。
映画を観るのも書くのも選ぶのも、ほんとうに楽しかった!
1. 『偶然と想像』(12月)
言葉を、信じている人の映画だった。セリフ、演出、カメラ、編集、音楽どれをとってもテンポよく、映画がこちらに語りかけてくるようで、いややはり、ただ滔々とスクリーンの中で映画が時を過ごしているだけのようでもある。他人と自分、世界と自分、世界と他人、その関係の偶然(か必然か)をロマンティックな想像力をもって映画にしてみせた。人間への信頼と冷静と希望を文学的表現にのせて。
セリフは全部書き出したくなること必至。観る度に視点が生まれる。はじめは一話に惹かれ、2度目は二話に心掴まれた。渋川清彦がじっとこちらを見つめながら存在全肯定説教を滝のように浴びせてくるシーンなんか、思い出すだけで泣きそうだ。戦え、私の感情のために。そして、いつかそれに救われる誰かのために(意訳)。わたし、これを抱いて生きていけると思った。それから、「それはそれで羨ましい」というセリフ。人生が何度あっても追いつかないと嘆く全カルチャー好きのハートを撃ち抜くこのセリフ。ああ、濱口竜介脚本集刊行熱望です。
感じたことのない斬新な後味だった。ほんとうにたのしかった。日本映画はきっとまだまだ、まだまだ面白くなる、そんな幸福な予感に溢れた希望の映画。
2. 『緑の光線』(2月)
先の活動の方向性に思考を巡らせながら、歩を進めることができないジレンマに感情を拗らせていた上半期。あの時期にこの映画出会えた今年のわたしは豪運と言ってよい。
「好き」や「良かった」を超えて、「主人公デルフィーヌは、まさかわたしをモデルに作ったのでは」と思うほど、完全にわたしの映画となった。事の善悪を決めきれないところとか、集団行動ができないこととか、大事な感情を言語化できなくて泣きたくなる気持ちとか。ほんとうに、その時の自分に共感が深すぎて、まるで自分を客観視してるような98分だった。主人公の相当に面倒くさい拗らせっぷりに、周囲の人たちいつも本当にごめんなさいと思う一方で、世界にはこの気持ちを掬って描いてくれる人がいるんだと反芻しては心が震えた。最も尊かったのは、主人公が、海で遊ぶ集団から離れ向かった崖の上。草木が風に揺れる、ほんの一瞬のあのシーン。そこには、主人公が自分自身のままなら無さと向き合う時間が映っていた。それは孤独でしんどくて、それでも、人生をつくっていくための一番大切な時間に思えた。
下半期。長い間決めあぐねた重い一歩を、あの時の自分では思ってもみないほど当然のものとして踏み出した。その先には両手に余るほどの縁と、身に余るような素敵な時間が待っていた。あの時、わたしが劇場で目撃したのは紛れもなく『緑の光線』だった。
上映後には深田晃司監督のレクチャー付き。「映画はスクリーンと観客の間にある」。これ以上ないエリック・ロメールとの出会いだったと思う。ネオクラシックな名作を現代の気鋭監督の講義付きで観せてくれる現代アートハウス入門。本当に素敵な企画に大感謝。何度でもやってほしい。というか、できることならなにか応援させてほしい。本気でそう思っている企画。全力でおすすめです。
3. 『春江水暖~しゅんこうすいだん〜』(2月)
堂々たる長回しと嘘みたいなロングショット、ゆっくり進む物語は土地に流れる大河の如く。圧巻の2時間30分はまさに「現代の山水絵巻」。少しの俳優と家族・友人で構成されたキャスティングには真実が宿り、「映画を撮る」ことで変わりゆく都市の姿と家族の歴史を刻んだ。個人的で普遍的。監督は自分と同世代。しかも長編デビュー作とは、、とても信じがたい。晩年の巨匠が作ったような傑作なのだ。
配給はムヴィオラさん。作品愛が強すぎてホームページにパンフレットとほぼ同じ内容を書いてしまってるあたり、最高だ。さらに、代表の武井みゆきさんによるnoteには『春江水暖』買い付けの経緯や監督インタビュー、作品のみどころから、なんとグー・シャオガン監督の「好きな映画10本」まで紹介されている。これ、本当にタダで読んでいいんですか?な、充実っぷり。映画を届けるって、こういうことか……。13記事にわたる”語り”の冒頭、「映画を死なせる」という強烈なワードに緊張を覚えつつ、その先に綴られる1本の映画への思い入れに、映画を観た時と同じくらい、自分の中の情熱が焚き付けられるのを感じた。映画を愛するとはきっと、こういうことなのだと思う。映画が見られることと同じくらい、それを届ける人の情熱と特別な視点を共有されることはほんとうに貴重だ。ほんとうに、ほんとうに素敵なので映画を見たならば是非絶対読んでもらいたい。
4. 『スウィート・シング』(12月)
最高に愛しくて尊くて純粋で自由だった。ほんと、宝物みたい。ずっと煌めいてるんだけど、最初20分くらいの煌めきは尋常じゃなくて。なんのために生きてるんだ、なんのために映画観るんだって考えながら観てた。身近で大切な愛情、あたたかな食事、手放さないユーモア、これ以上大事なことなんて無いんじゃん?って思ったら、普段眠ってる感性がゆらゆら動いて爆発した。多感な時期にあっても、厳しい境遇にあっても、彼らが最後まで手放さずにいた純真さが、その周りの人々を助けてくれたんだと思う。たとえ、現実がそうはいかなかったとしても、この映画は希望を描いた。
クラウドファウンディングで資金を集め、監督自身の家族に役を託し、自ら教える映画学生と映画をつくったというエピソードに、製作への渇望を感じる。迷わず買ったパンフレットに大好きな小柳帝さんの文章があったのも必然のようで本当嬉しかった。愛する作品『SMOKE』にも通ずる滋味深さが溢れてきて、ホリデイシーズンに観れた喜び噛みしめた。こんな映画がもっともっと観られる世界になればいいのに。最高だよほんと。
5. 『二重のまち/交代地のうたを編む』(3月)
震災後の東北に移り住んだ映像作家・小森はるかと詩人・瀬尾夏美のふたりが「非当事者が語ること」に真摯に向き合ったドキュメンタリー。
オーディションで選ばれた4人の旅人がメインの被写体。被災者としての記憶を持つ家庭を訪ね、その経験を聞く。それを持ち寄りグループワークで伝承し合う。そして、被災地となったその街で、嵩上げ工事により新たな街が重ねられようとしているその場所で、瀬尾なつみが書いた「二重のまち/交代地のうた」の詩をよむ。「非当事者が語ること」それはどこか触りづらいものでもあり、けれど触らねば、伝承に向き合わなければ風化してしまうもの。あれから10年。時の流れは残酷でもあり、背負いきれない傷を優しく癒すこともある。
観客に言葉ひとつひとつを反芻する時間を与えるように、「間」をくれる編集がつくり手の思慮深さを示しているように感じた。ちいさな伝承のはじまり。ドキュメンタリーにおける真実について思考がはじまり、この生真面目なつくり手たちと話してみたい気持ちがうまれた。小森はるか監督とは同い年だ。
6. 『ノマドランド』(3月)
フィクションとドキュメンタリーの境目がどんどん曖昧になっていると思う。『春江水暖』もそうだった。メッセージが強い映画は特に、そのフォーマットで描くことを選んだ理由を考えながら観てしまう。『ノマドランド』は原作があるけれど、主演フランシス・マクドーマンドの周囲との関係づくりや、リアルノマドの人々が出演してること、そしてなによりも、あの広大な自然はフィクションの枠を完全に飛び越えて、ただそこに存在する真実だった。
このところ、他人や世界への自分の加害性が恐ろしくなる瞬間があったり、「人新世」なんて言葉に慄いたりもしている。けれど生きるしかないこの現実に、この映画は、「それでも二進も三進もいかなくなったときは、この世界にも余白があっていいのかもしれない」と優しく腰掛けさせてくれるようで、「いや、私たちはそうやってしか生きられないだけじゃないか」と厳しい現実をつきつけるような、ただそこに存在する真実を淡々と、けれど少しあたたかく、まっすぐ遠くを見つめるような映画だった。わたしたちは今日も来年もその先もきっと、この世界のひとりとして大きな変わりなく、生をまっとうする。
7. 『ビーチ・バム まじめに不真面目』(5月)
映画部一緒にやってる上野ちゃんに最高だからって激推しされて観に行ったんだけど、ほんと超さいこーだった。酒、美女、遊びが大好きな「元」天才詩人が、なによりも愛してるのは妻!って。もうその設定だけで十分花火打ち上がるんだけど、我らが憑依系俳優マシュー・マコノヒーが、稀に見るダルダルスタイルにハイブランドのシャツをそれと分からんほどヨレヨレに着こなして、ビールとタイプライターで夏を過ごす天才に化けてるんだからさいこーのさいこーったらない。
終始キマってる仲間と一緒にチルアウト。好きなもの気持ちいいものを追い求める超ポジティブな天才の「まじめに不真面目」な生き方は、多分わたしには逆立ちしても難しい生き方で。出された「お題」に対するあんな不真面目で面白くてクールな打ち返し絶対にできない。心底、痺れる、憧れる。毎年夏の始まりと終わりにはあのラストシーンを観よう。愛してる。
8. 『ドライブ・マイ・カー』(10月)
まさか同じ監督の映画が年間ベストに2本も。しかも公開時期丸被りって、贅の極みに大感謝。濱口竜介監督ほんとうにありがとうございます。
いくら映画が好きでも3時間って言われるとそれなりに覚悟して観たけれど、少し冗長か?これは春樹節か?などと思いながら観ていたその余白、ぜんぶぜんぶ、観客を映画の時空の流れに取り込む濱口映画の妙だった。気づけば私の頭は完全に主人公・家福になっていて、時に妻・音としてものを考え、透子に寄り添う。
伝えたかったけれど伝えられなかった言葉、夫婦の在り方、幸福、後悔、偶然と想像、プロフェッショナルと創造。物言わぬ観察者が「言葉」を発したとき、心が少しだけ溶けた。原作が「演じること」とつくり手を向き合わせ、劇中劇がわたしを「働くこと」と向き合わせた。生きることも、交わすことも、赦しも、未来も、全部「働くのです」という言葉に集約された。濱口監督は魔法みたいなタイミングに言葉を置く。
2018年のマイベスト建築、谷口吉生の広島市環境局中工場が大活躍していたのも萌えました。
9. 『夏時間』(6月)
あの嗚咽にはわたしもきっと覚えがあって。寂しくて悔しくて、自分の気持ちの理解さえ儘ならなくて。でも巡る考えは色々あって、私なりの正しさがあって。うまく伝えられず、自己嫌悪にもなるし、折り合いのつかないこの気持ちが悲しくて無力で。声にならない嗚咽と一緒に涙がボロボロ溢れた、あの季節の遣る瀬無い記憶。そうきっと、あの日の記憶もこの映画と一緒にちゃんと未来に連れてってあげよう。もうすっかり大人になったけど、わたしを大人にしたのはあの日の彼女なんだから。
ただ、あの日の私を救うような、記憶を慈しむような、そんな映画でした。『はちどり』『82年生まれ、キム・ジヨン』がお好きな方は是非。こちらも韓国映画です。それにしても、これもまた長編デビュー作とは。。どうなっとんねん最高やんか。
10. 『すばらしき世界』(1月)
罪を犯した男。みんな、不幸せ故に不寛容な世の中。そんな世界の中で、健気に生きる一束の花の美しさ。私たちはこの世界で、何を大事に生きていくのか。西川美和監督は、何故この世界を"それでも"「すばらしき世界」と描いたのか。インタビュー音声も沢山あるしパンフも買ったけど、もう少し、自分で考えていたい。言葉にしてしまいたくない。そんな映画。
後半、嗚咽出るくらいずっと泣いてた。やっぱり太賀が気になるし、役所広司はとんでもない。中盤、嬉々として走るたった2.3秒のあのシーンは、黒沢映画や白石組で観てきたどの演技よりも、役所広司の底知れぬ演技力、その凄みが詰まっていたと思う。ああ、日本映画が面白い。
==以下、次点========
あえて設けた10本のラインには入らなかったけれど、書かずに今年を語ることはできない。そんな、愛すべき大切な大切な映画たち。
『ディナー・イン・アメリカ』
KBCシネマの吉井さんが薦めてくれて観れた作品。うっかりノーマークだった。がしかし、最高にパンクな愛とアメリカ映画の楽しさが詰まった、ラブストーリーだった!はじまりのテンポ良さも、言葉ユーモアも、カメラのユーモアも、ディナーにフォーカスするあたりも最高に抜けのいい映画だった。メイクもスタイリングも最高よ!元気ない時に瓶コーラかでっかいビール、いや、Lサイズのシェイク!飲みながら観ればその日はぬくぬくした気持ちで眠れると思う。
『街の上で』
今泉監督でいちばんすき。深夜の水出し麦茶マグカップ。あのシーンのためのぜんぶだった。男女の友情云々を超えて人間を見たコミュニケーションがそこにあったよ。からの、登場人物大集合押し問答で「てかお前誰だよ」は大爆笑。映画館で観れた喜びを噛みしめた。あとTV見ないっ子すぎて古川琴音さんの魅力にここではまった。
『ソウルフルワールド』
哲学や宗教の歴史も満ち満ちに詰まった懐深い大人のピクサー。本当は「10本」に入れようか迷ったけれど、みんなのブームは昨年かなってことでここに落ち着けました。生きてる意味とか自分の存在そのものを全肯定されるようで、今日目覚めた私も歩く私も食べる私もみんな最高だ!って思わせてくれた映画。側溝から吹き上げる風に落ち葉が舞うシーンで突然号泣して横でながら見してた夫ドン引き。憂鬱な仕事はじめの直前とか全力でオススメ。あとそれから、メインキャラクターの「22番」が「ぴちょんくん(ダイキン)」に次ぐ私的豊島美術館に生息してそうランキング2位。かわいい。
『逃げた女』
ついに、初めましてホン・サンス。スキャンダルも致し方n……なんて言いたくなるよなキム・ミニの美。韓国旅行でいちばんすきだったミニシアター「EMU」もでてきてヨンジ先生もでてきてそりゃもう。スタイリングまでツボすぎて、帰り道、十数年ぶりにブラックデニムを買いました。(まだ履いてない)
『ウェンディー&ルーシー』
グッチーズ・フリースクールさんが届けた特集上映「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」の中の一作。イベントと重なってこれしか観られなかったのだけど、劇場で観れてほんとうによかった。濱口映画しかり、ロメールしかり、小森はるかしかり、『春江水暖』しかり、今年はなんだか「待ってくれる」映画に惹かれた。物語の都合でせっついたりしない、こちらの心が旅するのをちゃんと待ってくれる映画たち。『緑の光線』のデルフィーヌ同様、ウェンディにも自分の人生を引き受ける時間が必要だった。これほど強く共感できたことは、今年のわたしに大切な真実だった。もしかすると、何年後かにこのnoteを振り返り、未熟だった自分を思い出して恥ずかしく思う瞬間があるかもしれない。けれどこの時間は、私が自らの弱さと未熟さを引き受け戦った時間。もっと先に誇りとなることを信じて。この時間と心を忘れないで。
『あのこは貴族』
橋の向こう。「なに見てんだよ!」と言わずに手を振った、真っ白ジャージの彼女たちとの関係が描くものを理解した瞬間、この数年で学び、感じて、大切に抱いてきた感情が一気に押し寄せ、涙が溢れて、映画が自分のものになった。あまりにタイムリーだった。し、きっとこれからもいつだってタイムリーだと思う。みんな、みんなを大事に生きていこうね。
特別枠:『暗くなるまでには』(Asian Film Joint)
映画を好きになったきっかけは、自分にはさほどわからなかった『桐島、部活やめるってよ』を宇多丸さんはじめとした映画兄さんたちが嬉々として語るラジオを聴いたことでした。あれは、映画の分からなさに出会い、視点を与えられ、無知の知に出会い、絶望と共に映画の沼への入り口がずざざーっと音を立てて開いた瞬間だった。
あれから時は経ち、生意気にも「言葉少なく、待ってくれる映画が好きだ」なんて一丁前なことを言うようになった自分に、福岡の映画兄さんがずざざーっと差し出してきたのがこの映画。
なにが描かれているのか、なにを語ろうとしているのか、到底分からなかった。(企画者と一緒にトークイベントまでしたのにだよ?)けれど、6回にわたるフォーラムと「映画館でしか体験し得ない、ある種のインスタレーションだと思ってほしい」という導線を頼りに特集上映の最終日、2回目の鑑賞。2回観ても掴みどころのない作品を前に座り込みそうになっていたラスト、ほんの20秒ほど。一瞬だけ、映画が自分のものになった気がした。
現在進行形で咀嚼中なので、ベストに並べることも、感想をまとめ直すこともできなかった。とはいえ、この体験は年一どころか数年〜十数年に一度あるかないかのものなので、鑑賞中にノートに走り書いたメモだけを残しておく。
そして、映画館のロビーにいた知人たちとわーっと感想を言い合った帰り道、ひとり歩きながらまた書いた。
映画文化の醸成に、こんな回答の出し方があるのかと思わされた企画。心底、尊敬するし、正直すごく妬きました。くそーう。すごいな、悔しいな…!けれどやはり、すごく、すっごく素晴らしい特集上映。2022年には福岡以外のエリアでも観られる機会をつくるそう。ぜひ、フォーラムもセットでおすすめしたい。
三好さん、本当に素敵な機会をありがとうございました!!
おわりに
あ〜、これだけ書いてもまだまだ語り尽くせないけれど。。今年はここまで!
最後まで読んでくれてありがとう。以上、2021年ベスト映画でした。
最後に、つくり手のみなさん、届け手のみなさん、映画館のみなさん、素敵な映画をたくさん観せてくれて、ほんとうにほんとうにありがとうございます。映画界、悲しくなる話題もあるけれど、皆さんが届けてくれる映画にこんなに幸せにしてもらっている現実もあります。
だからこそ、映画を愛する人々が健やかに過ごせる普通を願ってやまないし、そのために私や映画ファンにできることを考えつづけていきたいと思っています。まずはお礼だけでも届くとうれしい。ほんとうに、いつもありがとう。
2022年、どうか楽しい1年にしたいですね。
それでは皆さん、よいお年を!
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