中沢道二「道二翁道話」を読む(八)

(日本思想大系「石門心学」の原文を現代語訳しています)

「道二翁道話初篇巻下」

「ある人が「三世(過去、現在、未来)とは何ですか」と質問した。手を一つ打つ、この内にある。わかるかな。手を打つ先は未来、手を打った所は現在、打った後は過去という。三世とはどこにあるか。過去も未来も、ただ今ばかり。この今を会得することが、本心を知るということなのだ。この今の外には何もない。

あすの事きのふの事に渡らずとただ今橋をわたれ世の人
(世の人よ、明日の事や昨日の事は考えず、ただ今という橋を渡れ)

過去の心は、今どこにある。どこにもない。だから過去の心は把握することができない。未来の心は、今どこにある。どこにもない。だから未来の心も把握することができない。現在というのは、今見たり聞いたりするばっかり。この外に、何か今らしいものがあるだろうか。何かを言っても、言ったそばからすぐ消えてしまう。夢や幻のようで、何にも会得するものはない。ただ見るも聞くも夢まぼろし。一切万物ことごとく影法師。見たといっても出るところもなく入るところもない。聞くといっても取ることも捨てることもできない。だから現在の心も把握することはできないのだ。今というのは捉えられるものではない。前にあったかと思えば、忽然と後ろに行ってしまう。」

(以下私見)
我々が過去を想起する時も、未来を予想するときも、ただ現在の脳内で電気信号が流れているに過ぎない。。今この瞬間も、私の脳内の複雑極まりない1000億個の神経細胞からなるネットワークに電気信号が流れ続けているが、私にはそれを理解することができない。。

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