坂本龍一氏の死
かねてよりステージ4のがんであることを公表し、闘病を続けていた坂本龍一氏が亡くなった。先日亡くなった大江健三郎氏と同様、面識がないことをあらかじめお断りしておく。
元々私は坂本氏のファンではなかった。坂本氏にはYMO時代も含めポップな楽曲も多いが、かねてより私はロックンロールやブルースを好むほうであった。その上、東京藝術大学大学院修士課程修了という経歴や「教授」という愛称から、私は坂本氏に対してとっつきにくい印象さえ持っていた。
そんな私が坂本氏の楽曲を聴く契機となったのが、エリック・クラプトンの『オーガスト』(1986年)というスタジオ・アルバムであった。収録曲に坂本氏が作曲した「ビハインド・ザ・マスク」があった。クリス・モスデルとマイケル・ジャクソンによる詞が施されたカヴァー・ヴァージョンであるが、原曲はYMOの海外ツアーで大きな反響を呼んだようである。このことを坂本氏は長らく気にしていたが、私はこの楽曲を最も気に入ることとなった。
それから私は坂本氏の自伝『音楽は自由にする』(新潮社、2009年)を読んだ。そこには、学生運動に明け暮れていたことや音楽学部の雰囲気に馴染めず変わった学生ばかりいるという理由で美術学部に入り浸っていたことやデビューまではファッションに疎く常にジーパンにゴム草履だったこと等々が記されており、歴史学を専攻して後悔し必修の英語の講義で知り合った文学科の学生達と喫煙所に入り浸っていた私はこれらの言葉に救われた。余談であるが、これ以降の私は便所サンダルを履いて大学に通うようになった。今でもこの暑い季節には便所サンダルを履いて外出する習慣が続いている。ともかく、坂本氏の自伝を読んだことで坂本氏に対して持っていたとっつきにくい印象は消え去った。
また坂本氏は、音楽活動の傍ら政治的発言や社会運動でも存在感が際立っていた。あまりにも多岐に渡るので逐一挙げるつもりはないが、先日亡くなった大江氏と同様、「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人の一人でもあった。私にとって、東日本大震災とそれによる福島第一原子力発電所の事故が非常に大きな出来事であったことは、別のところでも書き記したのでここでは繰り返さないが、個人の資格で参加した野田佳彦政権下での大飯原発再稼働反対デモのことを思い出した。雨が降りしきるなか私は首相官邸前で大勢の参加者に囲まれつつ再稼働反対の声を上げていたが、遠く離れたところで「坂本さんが来られた」と声が上がった。坂本氏が翌日に脱原発をテーマとしたロック・フェスティバルを控えていたのを私は知っていたが、この時は「この雨のなか、まさか」と思っていた。デモからの帰途、私は雨のなか坂本氏がデモに参加したという記事を見た。私は感激する他なかった。
思えば、坂本氏は最後の最後まで抗議をしていた。死期が迫るなかできることは限られていたと思われるが、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を東京都知事、文部科学大臣、文化庁長官、新宿区長、港区長に送ったことは記憶に新しい。それから1か月もしないうちに坂本氏の訃報が伝えられ、私は驚きとともに坂本氏の死を惜しんだ。
大江氏といい、坂本氏といい、わずか1か月の間に世界的に影響力のある抵抗者が二人も亡くなった。今後もこのようなことが続くように思えてならない。もう10年来の実感であるが、いわゆる「ロスジェネ」世代の言論人や研究者にまったくもって信用の置けない私にとって、坂本氏をも含め彼らの死は非常に大きな損失のように感じられる。今や原発再稼働や好戦的な気運が高まってしまっている。いわゆる「ロスジェネ」に先行する世代の遺志を受け継いでいかなければならないように思えてならない。
合掌。
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