ご挨拶

    noteを開設してから二か月が経とうとしていますが、今回が初投稿になります。
 投稿が停滞するかも知れないと思っていましたが、開設してから停滞するというのも、私自身の怠惰の故であることをご了承下さい。申し訳ありません。
 さて、自己紹介がまだでした。石岡拓也と申しまして、神奈川県藤沢市出身で、今も在住です。十年ほど前に、都内の大学の文学部史学科に入学し、後に大学院では、哲学科に進学し、修士課程を修了し、現在に至ります。
 史学科から哲学科に進学したというと、不思議に思われるかも知れませんが、この件は墓場まで持って行くとまでは申し上げませんが、ここでは詳しい経緯を省かせていただきます。「口は災いの元」とは言いますが、こればかりは、私自身の性格もありますので、仕方がありません。ここまででお許しを。
 史学科を卒業したからといって、歴史の研究者ではなく、哲学科を修了したからといって、哲学の研究者でもなければ、哲学者でもない。当時は、日本の近代思想を研究しておりましたが、『古事記』や『日本書紀』について聞かれても、現時点では満足していただけるような回答を提供できないことをお許し下さい。今後は、哲学、歴史、思想史、文学にまつわる記事等を投稿していこうと考えています。記事の内容によっては、汚い言葉を飛ばさざるを得なくなったりした上で、様々な反響があろうことは予想しておりますが、粛々と受け止めるつもりです。今後ともよろしくお願いいたします。
 私のプロフィール欄について、気になる点があるかも知れません。そのなかで、一つだけ申し上げておきますと、例の画像ですね。「みそまんじゅう」(笑)。これにつきましてはね、私が中学校に入学した頃に、英語の授業で、I’m fine, thank you. And you?と言うところを、ふざけて「アイアム味噌饅頭」と言いました。そうしたら途端に、「おい、みそまんじゅう」、「おい、みそまん」、「おい、みそ」等々と言われるようになってしまった(笑)。もちろん、これらはいじめではないですよ(笑)。そして、この件を覚えていたのか、当時のクラスメイトで現在は医者となった方が、大学の医学部を卒業するにあたって、旅行先で、偶然だと思いますが、「みそまんじゅう」を見つけて、お土産として買ってきてくれたのです。それで、この「みそまんじゅう」がプロフィール画像となりました。「アイアム味噌饅頭」と言った訳ですからね(笑)。
 昔フランスにモーリス・ブランショ(1907-2003)という哲学者なのか文学者なのかわからない人物がいたのですが、ハイデッガーの存在論の影響下、「死」についての概念を分析した人物で、挙句の果てに、『私の死の瞬間』(1994年)という本来ならば執筆不可能な小説を執筆しています。なぜ執筆不可能なのかと言われると、もうすでにおわかりかも知れませんが、『私の死の瞬間』を語るにあたって、「お前はもう死んでいる」からです(笑)。もし、「三途川」などと語る人物を見かけたならば、「ああ、観念的な嘘をつく人だな」と思ってもらっても構いません(笑)。
 話を戻しまして、先のブランショは、生前、顔写真を一切公表しなかったことから、「顔のない作家」などと称されていました。私がプロフィールで、「顔を晒す程の物書きではないが……」と書いたのは、そこから来ています。もっとも、私の場合、たんに顔を晒すのが嫌なだけで、ブランショの場合は、書かれたものにおいては書き手が不在となるというブランショ自身の思索の結論から来るのですが。先にプロフィール欄について一つだけ申し上げるとしましたが、色々と説明してしまいましたね。お許し下さい。とにもかくにも、「みそまんじゅう」の画像を私の顔だと思ってもらっても構いません。くどいようですが、「アイアム味噌饅頭」と言った訳ですからね(笑)。

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