見出し画像

若手民族派座談会 下(加藤百、野尻誠斗、中村一晃、仲原和孝、海野学、三角直矢、佐野允彦)(『維新と興亜』第5号、令和3年2月)

弱者切り捨て政策に対して、右派こそ声を上げるべきだ……海野


── 菅政権が新たに設置した成長戦略会議に新自由主義の旗振り役である竹中平蔵氏が入りました。第二次安倍政権も新自由主義路線を強めましたが、菅政権ではさらにそれに拍車がかかりそうです。
仲原 安倍前総理は、二〇一二年十二月に第二次政権が発足するに当たり、「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています」と述べました。当時、私はそれに共感しました。ところが実際には、安倍政権は社稷を思わないような新自由主義的な政策を推進しました。自民党内で新自由主義に反対する勢力の力が不足していることが残念でなりません。
海野 安倍政権時代には「安倍総理にものを申す人間は左翼だ」という紋切り型の言い方をよく聞きましたが、ちょっと待ってくれと言いたいのです。安倍政権は口では保守っぽいことを言っておきながら、弱者を切り捨てるような経済政策を推進しました。江戸時代に大塩平八郎や生田万が救民を掲げて立ち上がったように、右派こそ弱者が切り捨てられている状況に対して声を上げるべきなのではないですか。安倍さんがやることだから黙っておこうというようなただ現状にアグラをかくだけの態度は間違っています。
野尻 政府が新自由主義政策を進めた結果、大企業だけが得をし、格差が拡大しました。政府の経済政策の役割は、国民への富の再分配にあるのではないでしょうか。最底辺の人でも生活ができるようにするために、政府は存在するはずです。
三角 私も、新自由主義、グローバリズムには反対の立場です。新自由主義経済は、自滅的な欠陥制度だと思います。経済学的にも、新自由主義経済を否定する根拠があると考えています。

「亡国の新自由主義者を粉砕せよ!パソナ前緊急行動」を主催……中村


中村 私も、格差を広げ、弱者を切り捨てる新自由主義的な政策に断固反対の立場です。昨年十月には、竹中氏が会長を務めるパソナの大手町本社前で抗議街宣「亡国の新自由主義者を粉砕せよ!パソナ前緊急行動」を主催し、竹中氏を糾弾しました。一人でも多くの国民に新自由主義の問題点を理解してもらいたいという気持ちで立ち上がったのです。私は、新自由主義的な考え方の核心にあるものとは何なのか、なぜ国民が新自由主義的な風潮を受け入れているのかをいま必死に考えています。
佐野 九九%の人間が一%の人間に収奪されるような経済システムを、なぜ多数の国民が支持しているのか。その構造にメスを入れる必要があります。
 日本経済を牽引しているのは大企業であり、経済的な強者である大企業の経営者は、みな新自由主義者です。環太平洋連携協定(TPP)推進を主張してきたのも、経団連です。彼らが、自民党に対して自分たちに都合のいい新自由主義的な政策を進めるよう要求しているという構図です。野尻君が言ったように、政府は富の再分配を考慮して経済政策を策定しなければならないはずなのに、経団連がカネを握っているので、自民党政権も彼らの要望に応えざるを得ません。カネの力に政府の政策が支配されているということです。
 規制改革推進会議など国の重要政策を決める政府の諮問会議に、経営者や御用学者ばかりが名を連ねていることも大きな問題です。その人選をしている首相の責任は重い。

消費増税は右翼がテロを起こすタイミングだった……海野


海野 低所得者層に負担を強いる消費税の増税についても、右派が黙っているのはおかしいと思います。いまコロナによって、非正規雇用で働いている人たちをはじめ、多くの人が生活に困窮しています。ところが、個人単位としては、政府はコロナ対策の特別定額給付金として一回十万円を配っただけで終わりですね。消費増税とコロナ対策こそ、右翼がテロを起こすタイミングだったと感じました。自民党本部に生卵を投げつけるくらいのことをする人がいてもよかったのではないかと思います。…まあ、言うならお前がやれという話になるので不甲斐ないところですが。
 また、政府が推進してきた外国人技能実習制度にも大きな問題があります。わざわざ日本に憧れ、日本は目標とすべき国だと期待して日本に来た外国人の人たちを痛めつけ、日本が嫌いになって母国に帰っていくような状況は、日本の国益を大きく損っています。
野尻 私が強い憤りを感じたのは、消費税増税に合わせて法人税が下がったことです。大企業の法人税実効税率が低いなど、日本の税制全体が大企業に都合よくできています。もっと大企業から税金をとる方向で税制全体を見直すべきだと思います。
 この三十年間を振り返ると、「日本での活動をもっと自由にできるようにしてほしい」というアメリカ企業の意向を受けて、アメリカは日本に規制改革を要求してきました。アメリカは、年次改革要望書を突きつけ、郵政をはじめ、保険、医療、労働など様々な分野で日本の改革を要求してきたのです。日本政府は、その要求通りに改革を進めてきました。政府は国民の方を見ているのではなく、アメリカやグローバル資本の方しか見ていないということです。この流れを早く止めなければいけません。
海野 日本に改革を要求してきたのはアメリカですが、アメリカ国内でも大企業の経営者など一部の富裕層と低所得者層の対立が深まっていて、トランプ政権で顕在化したように、低所得者層はグローバリズムに反対していますね。新自由主義の流れに抵抗するために、我々民族派は日の丸を掲げて「万国の労働者よ、団結せよ!」と叫ばなければならないのではないでしょうか。

主流派経済学を根底から否定する潮流は生まれるか……三角


── かつては資本主義にも様々な形態がありました。フランスの経済学者ミシェル=アルベールは、株主利益の最大化を優先する「アングロサクソン型資本主義」と、それとは異なるドイツなど欧州諸国の「ライン型資本主義」の違いを明確にしました。この「ライン型資本主義」と同様に、「日本型資本主義」においても、終身雇用・年功序列に象徴されるように、企業が疑似共同体的な役割を果たしていました。ところが、一九八〇年代以降、大企業やグローバル企業の利益追求に都合のいい「アングロサクソン型資本主義」に収斂していきました。
 「アングロサクソン型資本主義」を理論的に支えてきたのが、ミルトン・フリードマンを中心とする新古典派経済学です。そして、新古典派をはじめとする近代経済学の大前提になっているのが、人間は「自己の経済的利益を極大化することを唯一の行動基準として経済合理的に行動する」という仮説です。そもそも、そうした人間像は間違っているのではないか。
中村 もともと僕は、大学、大学院で物理を専攻した人間なので、右派は経済についての科学的視点が弱いと感じています。そこで、新自由主義の礎になっているような経済学を学び直しているところです。新自由主義の経済学にも確かに理論はあると思うのです。にもかかわらず、なぜその理論が破綻しているのかを、科学的に分析しなければ、新自由主義経済に立ち向かえないと思うのです。
 一方、ケインズ経済学は、一応新自由主義、マネタリズムに対するものとされていますが、ケインズ経済学も含めて近代経済学の議論の中心にあるのは、GDPをどう増やすかであって、分配の問題については踏み込めていません。分配の問題は、倫理の問題であり、国民や政治家が「弱者を救済しよう」という方向に政策を持っていかなければ、どうにもならないのではないかと思います。
三角 私も、経済理論に基づいて新自由主義を否定していく必要があると思っています。これまで、経済界そのものが主流派経済学の独壇場になってしまっていて、それに対抗する勢力が弱かったので、権威のある学者の言っていることに引きずられてきました。
 しかし、「現代貨幣理論(MMT)」の登場で、これまで傍流とみなされてきた経済学者たちが注目されるとともに、主流派経済学を支えていた仮説や前提とするモデル自体が間違っているという考え方が出てきています。これから主流派経済学を根底から否定するような潮流が生まれるかどうか、現在はその分岐点にあると思っています。

農本主義的な考え方に立ち返れ……加藤


野尻 マルクス経済学がかつての力を失っていることは確かだと思いますが、マルクスが唱えたことを全て否定することはできないと思っています。マルクス経済学では、資本蓄積に伴い「相対的過剰人口」(産業予備軍)が形成され、資本が任意に利用できる労働供給源になると説かれています。不況になれば、産業予備軍は真っ先に切り捨てられます。現在我が国で急増している派遣社員など非正規雇用は、産業予備軍と大して変わらないのではないか。マルクス経済学もすべて切り捨ててしまうのではなく、それを学んだ上で活かせる部分は活かす必要があると思います。
── 我が国は、どのような経済システムを目指すべきでしょうか。
中村 国家社会主義のようなシステムもあり得るとは思います。ただ、私は資本主義の問題を一つ一つ解決していく修正資本主義的なものを目指すべきだと思います。
加藤 私は、新自由主義から転換するためには、農本主義的な考え方に立ち返るべきだと考えています。モノの経済的な価値や物質としての機能ばかりが注視される一方、日本人らしい文化的な生活がおざなりになっているように思えます。
 民族派陣営は、思想の力によって経済を立て直すという立場に立ち、制度改革の前に日本人一人ひとりの心を変えていくことが先決だと思います。一人ひとりの維新があって、そこから民族維新、そして世界維新へとつながっていく。
海野 現在、多くの場合に、弱者救済は近代の人権思想に基づいて唱えられていると思いますが、私は日本民族派として、「国民は天皇陛下の赤子だから、すべて救わなければならない」という理念に基づいて、経済政策も考えるべきだと思います。貧苦にあえぐ国民がいるということに、陛下の宸襟を悩ませてはなりません。

政治は天皇にお返しすべきだ……仲原


── 次に国体にかかわる問題について議論したいと思います。天皇はどのような存在であられるべきなのか。戦後の論壇では、「天皇親政」は日本の歴史の中で例外的だという議論が強まりましたが、問われるべきは、天皇親政の時代が長かったか短かったかではなく、我が国本来の国の在り方ではないでしょうか。
佐野 私は天皇親政を追求すべきだとは思いますが、その前に天皇の政治責任の問題を解決する必要があると思います。例えば、戦争で負けた時の責任をどうとるのか。親政と政治責任の整合性を確保しなければなりません。
仲原 私も天皇親政に賛成です。それが本来の国の在り方です。政治は天皇にお返しすべきだと思います。ただ、佐野さんが指摘されたように、政治責任の問題があるので、どのように天皇親政を運用するかを研究すべきだと思います。
野尻 どのような形態の天皇親政かについては様々な議論があると思いますが、私は少なくとも、天皇に対して国務大臣などが国政の報告を行う「内奏」などを通じて、大御心を政治に反映させることは非常に重要だと思います。それは我が国の国体に適っています。
 国家の統一という点でも天皇親政は重要です。大日本帝国憲法は、三権分立を規定しつつ、天皇が「統治権ヲ総攬シ」(四条)と定めました。私は、その主眼は「国の統一」を保つことにあったと思います。したがって、国の統一を保つ上で、天皇親政は非常に重要だと思うのです。
中村 私は、長期的には天皇親政を目指すべきだと思います。ただし、それが可能となるのは、世俗政治というものが必要なくなった世界においてだと思います。そのような世界になった時に、天皇を中心とする一君万民体制が成立するのだと思います。
海野 私は、天皇親政には必ずしも賛同できませんが、天皇の祭祀権は確立すべきだと思っています。葦津珍彦先生は、占領体制によって、大嘗祭、三種の神器、元号の法律上の規定が失われたと指摘されています。この三つは、いずれも本来は自主憲法を制定した上で再規定しなければいけないものでしたが、運用によって追認的にまかなわれてきました。皇室祭祀令の廃止については、宮内庁は依命通牒を出し、「新たに明文の規定がなくなった事項については、旧皇室令に準じて実施すること」を確認していますが、それでは十分ではありません。
加藤 天皇は祭祀に専念なされて、臣民は祭祀に即した政治をするべきです。その政治を糺すべきは民族派の役目なのかと思います。
三角 私は天皇親政には賛成できません。なぜなら、国家の統一を保つにあたり、親政である必要はないと思うからです。また、親政となれば、天皇に政治的な能力が求められることになりますが、それが常に担保されるかは疑問です。なにより、皆さんが指摘しているように、失政があった場合に責任が生ずることは重大な問題です。私は、天皇は国民から遍く愛される存在であるべきであり、天皇が自ら政治を行われた結果、国民が不満を抱くようなことは避けなければならないと思います。

皇室典範は憲法の上位に位置づけられるべきだ……佐野


── 我が国の長い歴史を振り返れば、天皇の失政があったり、戦争に敗北したりした際には、常に臣下が知恵を絞って天皇をお守りしてきたのではないでしょうか。
 また、平時においてはともかく、我が国では国家の危機的状況においては陛下の政治的決断が不可欠なのではないか。明治維新においても、天皇が五か条のご誓文のよう基本方針を示されたことが重要でした。基本方針の細かい解釈は臣下が責任をもって行えばいいのではないでしょうか。天皇親政という建前がなければ、五か条のご誓文のようなものは出せません。
野尻 天皇親政を目指すとしても、政治や戦争における責任を臣下の者が負うしくみが最低限必要だと思います。
海野 現在の政治家は「俗」にまみれた存在であり、そこに「聖」の象徴である天皇をまみれさせていいのだろうかという問題もあります。
 私が最も重視しているのは、天皇の祭祀権です。ところが、宮中祭祀を担当する宮内庁の掌典職は、日本が日本として存立する上で、最も重要な役職であるにもかかわらず、天皇の私的使用人のような扱いを受けています。国会議員も勉強不足で、こうした問題を正面から取り上げようとしません。
 大嘗祭の時にも、宮内庁が大嘗宮の主要三殿を従来の萱葺きから板葺きに変更するという決定をしたり、神嘗祭が行われる十月十七日に、中曽根康弘元首相の内閣・自民党の合同葬儀をしたりするような事態も起こっています。私は何よりまず、祭祀の問題を正すべきだと思います。
佐野 私は、皇室典範の位置づけを変える必要があると考えています。現行の皇室典範は日本国憲法に基づく法律と位置づけられていますが、皇室典範は憲法の上位に位置づけられるべきです。

「自民党はCIAが作った政党だ」と明確に主張すればいい……野尻

ここから先は

1,851字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?