坪内隆彦「対米自立を阻む『名誉白人』意識」(『維新と興亜』第6号、令和3年4月)
いま、アメリカではアジア系住民に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)が多発している。標的になっているのは、中国系だけではない。三月十六日には、ジョージア州アトランタで、三カ所の韓国系マッサージ店が銃撃され、韓国系女性六人を含む八人が殺害された。犯人の白人男性は、「全てのアジア人を殺すつもりだ」と語っていたとも報じられている。
アメリカ社会では、これまでもアジア系に対する差別感情が何度も高まった。例えば、日米自動車摩擦が激しかった一九八〇年代には、デトロイトなどで日本車をハンマーでたたき壊すパフォーマンスが繰り広げられた。こうした中で、一九八二年には中国系のヴィンセント・チンさんが日本人と間違えられて白人二人に撲殺されている。
遡れば、中国人排斥法(一八八二年)、排日移民法(一九二四年)、日系人強制収用(一九四二年)など、アメリカではアジア系住民に対する差別が繰り返されてきた。我々は、アジア系住民に対するヘイトクライムの背景にある、根深い人種的偏見と闘わなければならない。しかし、その前に、我々日本人には重い課題がある。欧米崇拝、「名誉白人」意識の克服だ。
一九〇一年に白豪主義を掲げるオーストラリアで人種差別的な移民制限法が成立した時のことだ。シドニー領事の永瀧久吉は、オーストラリア政府に抗議文書を送った。そこには、「文明国標準の帝国に属す日本人は、カナカ人(ハワイに住むポリネシア系先住民)・黒人・太平洋諸島人・インド人、またほかの東洋人より、遥かに高度である」と書かれていたのだ。
わが国は、人種的偏見に立ち向かうのではなく、文明国標準(the standard of civilization)を満たしているので、日本人を白人と同様に扱うべきだと主張しているのだ。
西洋列強による植民地支配が進む中で、西洋文明こそが「正しい」人類の発展経路であり、「西洋人=白人」はほかの人種より優れているという認識が定着していった。西欧諸国は自分たちを「文明国」とし、西洋文明に適応できない地域を遅れた「未開国」とみなした。九州産業大学教授の酒井一臣氏が指摘するように、この文明国と未開国を区別する基準となったのが、「文明国標準」だった。法律・社会・経済制度のみならず、それらの制度の背景にある価値観・宗教、生活様式にいたるまで、西洋文明国の基準で文明化の度合いが判別されるようになったのだ。
確かに、わが国が置かれた状況は厳しかった。欧米の植民地とならず、国家の独立を維持するため、ひたすら文明国標準を追い求めざるを得なかった。安政の不平等条約改正にも文明国標準の達成が必要とされた。しかし、わが国は欧米崇拝へ傾斜してしまった。
福澤諭吉は明治十八(一八八五)年に「脱亜論」を発表し、「我は心において亜細亜東方の悪友を謝絶するなり」と書いた。明治期には「日本人の白人化」を夢見る者さえいた。西洋人との混血や風俗改良による日本人種改造論が唱えられたのだ。一方、文明史家の田口卯吉は「日本人種アーリア人種起源説」を唱えた。欧米文明の絶対性に疑問を抱いた西郷南洲や岡倉天心の主張は退けられた。
そしていま、わが国のアメリカ従属を支えているのも、欧米崇拝と名誉白人意識ではないか。田中康夫氏によると、日本に日米安保条約を結ばせたジョン・フォスター・ダレスは、以下のように述べていたという。
「日本人の…欧米への劣等感。他方でアジアに於ける近代人は自分たちのみで、中国人や朝鮮人、更にロシア人よりも優越していると自惚れる日本人。その相反する屈折した感情=アンビヴァレンスを巧妙に利用せよ」(「ニッポン凄いゾ論の終焉」)
対米自立を阻む名誉白人意識を克服するとともに、西洋が一方的に押し付けてきた文明国標準からの解放を目指すときではないだろうか。