特集「日本よ国家たれ 主権回復七十年 沖縄復帰五十年」リード(『維新と興亜』第12号、令和4年4月)
サンフランシスコ講和条約が発効し、わが国が主権を回復してから、四月二十八日で七十年が経つ。そして、沖縄が祖国に復帰してから、五月十五日で五十年が経つ。しかし、未だにわが国は真の主権国家ではない。
沖縄には広大な米軍基地が置かれ、米兵の犯罪を自ら裁くことさえできない。米軍に対する検疫も日米地位協定に阻まれ、沖縄ではコロナ感染が拡大した。日本政府はひたすらアメリカにひれ伏し、言いなりを続けている。グローバリストの意向を受けたアメリカ政府から無茶な要求を突き付けられても、唯々諾々と従い続ける国のどこが主権国家なのか。実際、日本を「保護領(protectorate)」と呼んでいる米軍関係者もいるという。
わが国の言論空間もアメリカに支配されている。ウクライナ報道もアメリカ政府の意向に沿った論調で埋め尽くされている。いまや世界各国は、「アメリカの言いなりの日本とわざわざ話をする必要などない。アメリカと話をすれば済む」と考えるようになっているのではないか。
日本の指導者たちよ。安政期に押し付けられた不平等条約の改正に努力し、欧米列強と堂々と渡り合おうと奮闘した先人たちに恥ずかしくないのか。
かつて清水幾太郎は、『核の選択─日本よ国家たれ』において、次のように書いた。
「経済力、軍事力、政治力と揃えば、日本は堂々たる大国ではないか。大国たり得る素質を立派に持ちながら、惰性のゆえか、卑屈のゆえか、日本は、世界の真中で故意に身体障害者のように振舞っている」
指導者たちよ。属国状態から脱するために、米軍基地を撤去し、自らの力で国を守るという意志をなぜ示さないのか。わが国には、自主防衛に必要な自前の兵器を開発する能力がある。足りないのは、自分の足で立とうとする意志だけである。
主権の重要性に目覚めたフィリピンの上院議員たちは、たった一つの決議によって、百年存続していた米軍基地を撤去したではないか。
指導者を動かすためには、国民自身が目覚めて、自ら動かなければならない。いまこそ保守派は「日本よ国家たれ」の声を上げるべきではないのか。