小野耕資「維新の会は日本からなくなったらいい政党だ」(『維新と興亜』令和5年9月号)
日本維新の会の存在感が増している。維新の会は仙台市議会議員選挙で、擁立した五人全員が当選し、地盤である関西圏以外にも徐々に進出し始めた。この仙台という地が禍々しいものを連想させる。
本誌の読者にはおなじみだろうが、宮城県では水道民営化がなされてしまい、事実上受注した会社は外資のヴェオリアである。上下水道と工業用水の運営権を二十年間外資に一括で売却してしまった責任は重い。この背景には宮城県の村井嘉浩知事が民営化に積極的なことがある。そしてこの村井知事と昵懇なのが竹中平蔵氏であり、かつての維新の会衆院選候補者選定委員長が竹中平蔵氏であり、その政策は竹中平蔵氏・原英史氏『日本の宿題』と符合していることは過去本誌で取り上げた(第十号、十九号)。こうしたつながりを持つ仙台という地で維新の会が躍進することは、見過ごすことのできない大問題なのである。増税悪政ばかりの自民党の敵失に乗じて、新自由主義政党が着々と地盤固めをしていることは由々しき事態である。
ところで維新の会の藤田文武幹事長は、文春オンラインでのインタビューで以下のように語った。「竹中さんは何であんなに叩かれるんですかね。合理的なこともたくさん言っていると思います」。小泉竹中路線の肯定である。国内に格差を拡大し、同胞たる国民を貧困に陥れ国力を削いだうえに、国民財産の海外への売却を導いた竹中路線を肯定してみせるセンスのなさ、感性のなさにも驚いたが、「もはや隠そうともしないのか」という感想が胸をよぎった。この政党を野放しにしてはならない。一部に自民党政権の対米従属、新自由主義的悪政に嫌気がさし、維新の会の地方性に期待する向きがあることは承知している。自民党のひどさには私も共感するし、維新の会批判が自民党を利することはあってはならないといつも感じている。しかし、維新の会は自民党とともに非常に危険な存在であり、決して心を許してはならない。
一点面白いインタビューがあったので紹介したい。女性タレントで選挙にも関心を持つ井上咲楽が維新の会馬場伸幸代表にインタビューした記事(週刊ポスト)である。この記事は全般的に維新の会をヨイショするトーンとなってしまっているのが残念ではあるが、井上が「私は維新の躍進は、吉村(洋文)府知事や音喜多(駿)さん(日本維新の会政調会長)などの若くて爽やかな政治家のイメージの効果が大きいのではないかと思っています。〝維新っぽい顔〟ってあるなと思っていて、ベンチャー企業の若い社長さんみたいな感じ」と語っているのは面白い。井上の女性的直感が本質を突いたと言えるのではないだろうか。そう、維新の会は決して大阪発の土着政党ではない。東京一極集中に対抗する地方の声も伝えていない。きわめて都会的な「ベンチャー企業の若い社長さんみたいな」新自由主義者によって主導される政党なのである。
ところで維新の会の党名の英語名は「Japan Innovation Party」である。石原慎太郎氏ら旧「太陽の党」グループの合流により二〇一二年に日本維新の会ができたときの英語名は「Japan Restoration Party」であった。そこに旧みんなの党系のメンバーが合流し、石原氏らのグループは脱党し「次世代の党」を立ち上げることになるのだが、その結果二〇一六年にできた二回目の「日本維新の会」の英語名は「Japan Innovation Party」に変更されている。「Restoration(王政復古)」を掲げることに海外からの強い批判があったとも言われている。「Innovation」はよく「技術革新」と訳されるが、これは誤訳であり、既存のやり方を全く変えるという「革新」、「刷新」という方が正確なニュアンスを伝えている。
馬場代表は日本共産党について「日本からなくなったらいい政党」といったという。要するに共産党が革命を志向する政党であるから上記発言となったようだが、自分たちの政党の英語名も根本変革を志向しているのではないか? 維新の会は共産党のような「かつて武力革命を志向していた」というレベルではなく、共産党とは違う竹中平蔵的方向から日本社会の破壊を志向しているのではないだろうか。馬場代表の発言をあえて文字らせていただこう。日本維新の会は日本からなくなったらいい政党だ!