西村眞悟「『軍隊を動かす原理』を持たない国でいいのか」(『維新と興亜』第5号、令和3年2月)
「日本国憲法」を廃棄すれば我が国の抑止力は格段に高まる
我が国の国家と国民を守る軍事力を如何にして強化するか。この緊急課題を達成する為に、まず為さねばならないことは、昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」の廃棄である。「日本国憲法と題する文書」の下で軍事力強化の努力をいくら重ねても、使い物にならない。「日本国憲法」を廃棄すれば、その瞬間に我が国の抑止力は格段に高まる。何故なら、その時、我が国は、占領軍が仕組んだ桎梏から抜け出し、戦前戦後の連続性、即ち、日本民族の連続性、を回復するからだ。
アメリカを中心にした連合国による我が国の軍事占領と国家主権の剥奪を明示した降伏文書(昭和二十年九月二日)と、我が国の主権回復を宣言したサンフランシスコ講和条約(同二十六年九月八日)から、「日本国憲法」は、我が国に主権が無いときにアメリカ人が起草して施行されたことが確認できる。よって、その文書は、我が国の憲法として無効である。以上を前提にして本論に入る。
まず、「日本国憲法」を憲法だと思い込んでいる我が国が如何にみじめか、痛恨の昭和五十二年(一九七七年)の秋(九月~十一月)を振り返る。総理は福田赳夫。この時、我が国は、核弾頭ミサイルからの防衛、テロ対処そして北朝鮮による日本人拉致、この三つの重要課題に同時に直面した。しかし、国民が知ったのはテロ対処即ち日航機ダッカハイジャック事件だけだ。福田内閣は、対核弾道ミサイル防衛と北朝鮮の日本人拉致を、国民が知らないことを幸いとして、見て見ぬ振りをして打ち過ぎた。
昭和五十二年九月二十八日、パリ発東京行きの日航機を拳銃と手榴弾で武装した日本赤軍グループ五人がハイジャックし、バングラデシュのダッカ空港に着陸した。ハイジャック犯は日本政府に六百万ドルと日本国内で服役または拘留中の九名の引渡を要求し、聞き入れなければ順次人質を殺すと通告してきた。十月一日、福田総理大臣は「人の命は地球より重い」と述べて「超法規的措置」で犯人の要求を受諾し、人質は解放された。その十日後の十月十三日、ドイツ赤軍のグループ四人がルフトハンザ機をハイジャックし、西ドイツ政府に日本赤軍と同様の要求をし、機体はソマリアのモガジシオ空港に着陸する。西ドイツのシュミット首相は、軍の特殊部隊GSG─9をモガジシオに送ってルフトハンザ機内に突入させ、犯人三人を射殺し一人を逮捕して人質全員を救出した。
この事件後、日本政府は西ドイツ政府に対して、如何なる法的根拠でGSG─9をモガジシオに送ったのかと照会したらしい。これに対して西ドイツ政府は、「GSG─9をモガジシオに送ってはならないという法律がないので送った」とアッサリと回答してきたと聞いている。つまり、西ドイツのシュミット首相は、軍隊を動かす「ネガリスト」の原理でGSG─9を出動させたと回答した。しかし、軍隊を動かす原理を持たない福田首相は「超法規的措置」ということになった。軍隊は、「法律に禁止されていなければ出来る」というネガリストで動く。他方警察は、「法律に書かれていれば出来るが書かれていなければ出来ない」というポジリストで動く。即ち、日航機ダッカハイジャック事件は、世界に、日本は軍隊を動かす原理を持たない国であることを周知させたのだ。
そこで、一年後の同五十三年七月、自衛隊のトップである栗栖弘臣統合幕僚会議議長は、「奇襲侵略を受けた場合、総理の出動命令が伝達される前でも、第一線指揮官は『超法規的行動』にでることもあり得る」と言ったのだ。すると、「超法規的措置」をした福田内閣は腰を抜かして栗栖統幕議長を事実上罷免した。その三年後、竹田五郎統幕議長は、「専守防衛」を批判して事実上大平内閣に罷免された。彼ら二人は、帝国海軍大尉と帝国陸軍大尉の経歴をもち、共に「日本国憲法」という文書に縛られて、防衛はできないと表明したのだ。
次に、同年の九月、石川県警は、能登半島の宇出津から日本人久米裕を拉致して船で北朝鮮に送った北朝鮮工作員を逮捕し、彼が所持していた乱数表の解読にも成功して、北朝鮮が日本人を拉致していることを掴んだ。警察庁は乱数表解読の功績で石川県警を表彰した。この時点で、福田内閣は、北朝鮮の日本人拉致という重大な主権侵犯事案を把握した。よって、福田内閣には、自衛隊と海上保安庁と警察に厳戒態勢を命じて北朝鮮による日本人拉致を断固阻止する責務があった。しかし、何もしなかった。その結果、四十五日後の十一月十五日、新潟の海岸から十三歳の横田めぐみさんが拉致され、以後、拉致が続く。私は、十一月十五日のめぐみさんが拉致された同じ夕刻に、特定失踪者調査会の荒木和博ら同志と共に彼女が歩いた帰宅コースを歩き、拉致当日の不審情報を聞き、福田内閣は、久米裕に続き横田めぐみさんが拉致されたことを察知していたとほぼ確信した。
日本民族が持つ「抑止力の源泉」
さて、現在の我が国は、北からロシア、北朝鮮そして中共の核弾頭ミサイルの射程圏内にある。つまり我が国は、世界で一番強いミサイルの脅威にさらされている国である。
そこで、振り返れば、前記の通り、我が国と西ドイツが、相次いで日航機ダッカハイジャック事件とルフトハンザ機ハイジャック事件に直面していた時、西ドイツはもう一つ、欧州における重大問題に対処していたのだ。それは、ソビエトが、NATO(西ドイツ)に向けて実戦配備した中距離核弾頭ミサイルSS20の脅威である。
西ドイツのシュミット首相は、九月、ロンドンで、「政治的軍事的バランスの回復は死活的に重要である」と演説し、バランスを回復するために、ソビエトのSS20に対抗して、アメリカから中距離核弾頭ミサイルパーシングⅡを導入すると発表した。すると、NATO諸国に大規模な反核運動が起こった。しかし、シュミット首相は断固、パーシングⅡを導入してモスクワに向けて実戦配備し、相互確証破壊の態勢を整えた。お前が核を撃てば、我も核を撃ってお前を確実に殺すという態勢だ。その上で、ソビエトに強烈な軍縮圧力をかけて、SS20を欧州方面より撤去させることに成功する。なお、この時起こった大規模な反核運動は、ソビエト崩壊後に、クレムリン秘密文書によってモスクワが仕掛けたものであることが判明した。
その時ソビエトは、東の我が国に向けても中距離核弾頭ミサイルを実戦配備していた。従って、我が国は、シュミット首相の成功を受けて、ソビエトに対抗する核弾頭ミサイルの導入を決断すべきであった。ところが我が国は、目を閉じれば世界が無くなるが如く、ソビエトの核にも中共の核にも無関心で打ち過ぎ、前記の通り、現在、世界で最も密度の高い核弾頭ミサイルの脅威を受ける状態に陥っている。
菅直人内閣の時に、ロシアのエリティン大統領が来日した。我が国の飛行場に降り立ったエリティンは、「貴国に対するミサイルの照準を外してきました」と挨拶した。その時、日本側にエリティンが何を言っているのか即座に分かる者がいなかったと聞いている。エリティンが何を言ったか分からないから、我が国内閣は、我が国に核弾頭ミサイルの照準を当てて実戦配備している独裁国家の首領を、昨年、国賓として我が国に招こうとしていたのだ。以上が、「日本国憲法」という「仕組まれた亡国の桎梏」の下で生きる我が国の姿だ。よって、我が国は、「日本国憲法」を廃棄して、英国と同様の「不文の憲法」の国として雄々しく再生し、民族の連続性を回復しなければならない。
最後に、明治天皇の御製「敷島のやまとこころのををしさはことある時そあらわれにける」を思い、日本民族が持つ「抑止力の源泉即ち日本人」を挙げる。
十年前の東日本大震災の時、自衛隊首脳は福島第一原発の灼熱の原子炉建屋の上空から水を落として原子炉を冷却する決断をした。それを知ったアメリカ軍の将官は、「人の命をなんとも思わないような作戦はするな」と言った。しかし、陸上自衛隊の二機の大型ヘリCH47は、三月十七日早朝、まさにそれをした。それを見た中共軍の将官は言った。「日本人は戦前戦後、全く変わっていない。簡単に命を懸けてくる。もし、我々が核ミサイルの照準を日本に当てて発射準備をすれば、日本人は確実に飛行機に爆弾を積んでミサイルに突っ込んでくるだろう。」