黒澤明「夢」(1990年)

黒澤明監督1990年作品「夢」
               2022.2.11記  石野夏実
               2024.11.3本日追記しました 
 
 黒澤明監督晩年の三部作のひとつ「夢」は8編から成るオムニバスで、全て「こんな夢を見た」で始まる。漱石の「夢十夜」の書き出し「こんな夢を見た」を思い描くが、内容は被っていないので、言葉だけを漱石の小説からいただいたのだろうと思った。
脚色して映画化しても面白かったとは思うが。

映画「夢」の最後の8話目は「水車のある村」で、ラストは葬式シーンであるが、この村の葬式は、天寿を全うした場合は「めでたい」ということで、皆で明るく踊って送り出す慣習なのであった。
笠智衆が先頭に立ち、楽しそうに踊る姿は「すべてよし」との人生賛歌である。
※「映画の会」に新たに入会の方が、映画にかなり詳しくてフェリーニの「81/2」のラストは黒澤の「夢」のラストと同じで人生肯定ではないかと書かれていたので観ていなかった「夢」を早速ビデオ鑑賞したのであった。
 
大学時代の私は、映研もJAZZ研も敷居が高く、商学部のクラス仲間とガリ版刷りの文集を出すのがせいぜいだった。下宿だったためテレビもなく、時々友人の話や情報源である新聞や雑誌で観たいものを発見するとジャンル構わず大小劇場に飛んで行った。
和洋新旧何でもありで、手当たり次第に観に行った。

お金はなくても時間だけは十分に使いたい放題、生涯一番自由を満喫できる学生生活の中で、リアルタイムで黒澤映画を観たのは「どですかでん」(1970年秋公開)が最初だった。
この作品は、黒澤映画初のカラー作品で山本周五郎の朝日新聞連載小説「季節のない街」を原作としている。「どですかでん」の意味は、少年六ちゃんが架空の市電を運転する時に使う周五郎作の造語擬音であった。

しかし翌年(1971年)の暮れ、61歳の黒澤は自殺未遂を起こし大きくニュースで取り上げられた。
次に観たのは1980年(黒澤70歳)の「影武者」であり1985年(黒澤75歳)の「乱」が最後であったと思ったが、1993年に最後の作品である内田百閒を描いた「まあだだよ」を、映画館で観た記憶が蘇った。

戦争中なのか、狭いあばら家に松村達夫の百閒先生と香川京子の奥様が居た。教え子たちの訪問。この映画にも、雨とか虹とかの風景は、あったのだろうか。

<追記>
 
黒澤明の後期の作品の何本かを映画館で観ていた時は、とにかく「黒澤映画を観に行く」、これが監督へのリスペクトであり映画という文化への愛着だと心のどこかで意識していたように思う。

この「夢」の感想は、最後の8話の分だけしか書いていなくて片手落ちで心もとなかったので、今日から始まる11月の3連休を使ってアマゾンプライム(有料)で観直すことにした。
ちょうど2時間の作品であったので一気見した。
2年半前に観た時の印象が蘇ったもの、全く忘れていたもの色々であった。

実は、最近読んだ高峰秀子のベストエッセイ集(文庫)の中に「クロさんのこと」という章があり興味深く読み、あらためて黒澤と高峰の関係に思いを馳せた。
ふたりが何十年ぶりかで再会した場所は、黒澤の師匠である山本嘉次郎の「思い出会」であったと書かれていた。
ふたりが婚約するのではとニュースに書かれた時期もあり、黒澤の自伝「蝦蟇の油」でも三船敏郎が東宝の撮影所にニューフェイスの試験を受けに来た時「ちょいと凄いのが来ているんだよ、、、」と高峰に声をかけられ、会場に飛んで行ったと書いてあったほど親しく話す間柄であったようだ。
余談はさておき、高峰の初恋の人でもあったかしれない黒澤と互いに挨拶するわけでもなく黙って山さんの写真を眺めていたと書いている。

高峰は「デルス・ウザーラ、観た」と黒澤に言い、ちょっとその話をしていたら会が始まり、それが高峰が黒澤を見た最後になったと書いていた。
加えて以下のような、あと5行の追加文があった。。

平成2年(1990年)映画館で黒澤明の「夢」を観た。「夢」」には黒澤明のすべてが入っていた。映画が終わって場内が明るくなった時、私はふっと「クロさんは映画で遺言を作ったな」と思った。なぜそう思ったのかわからなかったけれど、そう感じた、と。
 
互いの若い頃から知り合い、黒澤を見てきた高峰は、疎遠になってからもおそらくずっと黒澤の作る映画を観続けてきたのだと思う。
その高峰が「遺言」と書いていることに、大いに納得した。
この「夢」という映画にはダイレクトに多弁にメッセージが込められている。
「原発事故」が起きたふたつの話(「赤富士」と「鬼哭」)の想定は、この映画の完成前に「チェリノブイリ原発事故」が起こり、日本各地では原発が稼働し始め、その恐ろしさを訴えたかったのだろう。
 
最後の第8話「水車のある村」は人生の肯定、自然への回帰、人工的な高度と思われている文明への懐疑、否定など103歳想定の老人(笠智衆)に語らせている。聞き手は旅行者の寺尾聡だ。8話のうち寺尾は6話に出演している。
晩年は、俳優の寺尾聡が気に入っていたのだろう、他作品にも何本も出演している。

最初の1話「日照り雨」は、シュールで凝った映像だ。「狐の嫁入り」の行列の動作と表情が素晴らしかった。衣装もいい。
2話目は、雛祭りの「桃畑」。伐採された桃ノ木の霊たちは、雛祭りの段飾りの人形たちになり。。。このふたつの話は、内容云々よりも映像美で勝負なのだろう。
3話目は、ガラッと変わってゴッホの絵画展で「跳ね橋」の絵の中にキャンバスを持った寺尾が入り込んで、辺り一面麦畑の中でゴッホと会話する。
これも思い付きは悪くないが、スコセッシがゴッホ役であったのが面白かったことくらいで内容はない。絵描き志望だった黒澤はよほどゴッホが好きだったのだろう。どこかに書いていたのを読んだことがある。セザンヌも好きだったようだ。
3話は「雪あらし」の話で、私はこれが一番つまらなかった。4話は「トンネル」。中隊長の寺尾以外、部下の兵士は全員戦死。浮かばれない部下たち。これも内容は平坦だった。メイクと映像には、ドキッとする。
 
今回心に一番残ったのは、原発の怖さをドキュメンタリータッチにしないで絵画風映像で真っ赤な富士山の背後にあちらこちらから爆発する原発を描き、逃げ回る人々と地獄を描いたこと。
それと血の池地獄の前で角が生えた頭を抱え、のたうち回る罪深い鬼たち。作りものなのに、心底怖かった。黒澤明は映像の人だと思った。


いいなと思ったら応援しよう!