アメリカ映画リバー・フェニックス主演「旅立ちの時」

「旅立ちの時」1988年公開アメリカ映画感想
2021.5.15記             石野夏実
 
映画の会の5月の課題映画が「スタンド・バイ・ミー」(86年公開)になり、随分久しぶりに4人組に再会できた。
少年少女時代の思い出は、儚く束の間の出来事であるのに、何気ない時ふと無性に懐かしくなり、郷愁に浸るために存在するのであろうと「スタンド・バイ・ミー」を観るたびに思う。
もし戻ることが出来るのなら、あの日、あの場所で、今はもう会えなくなった友たちと再会したい。
 
折角だから、もう少しリバー・フェニックスの映画が観たいと思い「マイ・プライベート・アイダホ」(有料プライム)を日を空けずに鑑賞した。こちらは91年公開なのでリバーは当時21歳。急死したのが93年で23歳であったので、この映画は、亡くなった年齢に近い。
リバーを知るためには、なるべく年代順に観る方が身体的な成長も分かっていいと思い、翌日に「旅立ちの時」(88年日米公開)を有料プライムで鑑賞した。
彼の生涯出演作品の本数は14本とのことである。もっと色々な作品を観たい気持ちが強いのであるが、今回は「旅立ちの時」と「マイ・プライベート・アイダホ」の感想を書き上げてからということにした。
 
3本とも設定は全く違うのであるが、リバーが演じたそれぞれの役どころの存在感に圧倒される。
私は、短髪の12歳のクリス役の彼しか知らなかったので、17歳ほぼ実年齢の「旅立ちの時」のダニーを演じるリバーが、たった2年ほどで少年からハイティーンへと身長も体躯も成長しつつあるのを観て「マイ・プライベート・アイダホ」の成人になっているマイク役のリバーを先に観てしまったことを後悔した。この3本こそ順番に観るべきである。
 
 実際の彼は、ヒッピーの両親の最初の子として生まれ、下に4人の妹弟がいる。
両親は、新興のカルト宗教に傾倒し子連れで各地を転々としたそうである。そのため彼は、まともに学校教育を受けていないとのこと。一部には、読み書きはできるが読解ができないとまで書かれていた。
特殊な環境での生育は、一般の子供達とは圧倒的に違うのだろうけれど、両親が子供たちを愛情いっぱいに育てたことは確かであろう。家族は結束力が強く、親きょうだい全員が、今に至るまで仲がいいのは立派なことだと思う。
 
一家が食べていくために選んだ道、俳優としてのリバーは、なぜあれほどまでに色々な役になりきることが出来たのだろう。多感な時期をかなり複雑な環境の下で育った特殊性が、役を演じるというより役になりきるという自己暗示に大きく影響しているのかもしれない。
5人きょうだいの長男で下に妹3人と弟ひとりがいて、弟は映画の会でも取り上げられた「ジョーカー」の主演オスカー俳優ホアキン・フェニックスである。
妹たちふたりも、それぞれ女優、ミュージシャンになっている。
フェニックス(不死鳥)という苗字は、両親が思いを込めて途中で改名したものだそうである。
リバーは4歳からギターを弾き、収入が少ない一家の生計を幼い妹弟と共にストリートパフォーマンスで助けた。
子供は、自我が目覚めると反抗を起こす。それは自然なことである。
しかし両親がヒッピーである場合、愛と自由と解放を謳うと思うので、押さえつけの教育はなされないであろうから、反抗ではなく自立が早かったのかもしれない。
彼はまた、今では一般にも知れ渡っている菜食主義よりもっと厳しいヴィ―ガンであった。
とうぜん動物保護と自然環境保護にも力を注いだ。ここでも両親からの影響が大きい。

リバーの人生は23年という短いものであったし、薬物による急死というスキャンダラスな死であったけれど、彼に限らず俳優という特殊な職業は、普通の仕事と違い、オンとオフの切り替えが難しいのではないだろうか。
普通の労働ではないからだ。
役の上で別の人生を生きている時、演じている時の方が、その人らしく生きている時になってしまい、それは主役になった人が、役にのめり込めばのむほど、実生活が空虚になるのではと思えて仕方がない。
負荷がなく全力で役を生きる若い時は、特にそうなるのではないかと思う。
 
「旅立ちの時」は、17歳の高校生ダニーが主人公。ほぼ実年齢の主役であった。
両親が元反戦革命テロリストで、爆破事件を起こしFBIに追われる身。偽名を使い各地を転々としながら地下組織と連絡を取り、組合など労働者の組織を作り上げていく筋金入りの革命家だ。小学生の弟がいて4人の家族は仲が良く団結は強い。
ダニーは野球をしての帰り道、自宅を見張っている車を発見。何かあった時の逃走の準備は出来ていて、両親と落ち合う場所も決めてある。
愛犬を使い、家にいる弟のところに自分の履いている靴を運ばせ、非常事態を知らせた。
弟は要領を得ていて、ピアノを弾くことが唯一の楽しみであるダニー愛用の鍵盤セットを持ち出してくれた。
4人は脱出に成功し、また新たな町を目指し出発した。
愛犬すらも、車から降ろして置き去りにした。

新しい町は、母親(アニー)の両親が暮らす町だった。転出の書類も提出しないまま手馴れた母の嘘で地元の高校に潜り込んだダニーだった。
選択科目に音楽を採りフィリップ先生と知り合う。
ダニーの弾くピアノ(リバーは実際に鍵盤を弾いていた。音源は別)を聴き自宅のピアノの使用を許可。
ダニーが留守宅に行きピアノを弾いていると娘のローナが現れた。
2人は同学年で急速に親しくなっていった。ダニーは先生のサロンでの演奏会に行き、今度はアニーの誕生日会にローナがやってきて楽しいひと時を過ごした。2人は進路を決める時期に差し掛かっていた。

ダニーは、正式な書類もないままフィリップ先生に勧められて、音楽の名門校ジュリアードの実技試験を受けに行った。
試験官に褒められ小躍りして帰宅したダニーであるが。
父親(アーサー)は、強く反対。母親は何とか進学させたいと実の父親に20年ぶりにレストランに会いに行く。見るからに裕福そうな紳士であった。最後には娘の希望を受け入れ、まだ見ぬ孫を引き受けることにした。

ところが、アーサーとアニーの組織の腐れ縁のような男が現れ、一波乱。
男は銀行強盗をして警官に射殺された。
男がアニーの仕事先の顧客のカードを盗んでいたので、アニーに調べが入るのは時間の問題だった。一家は、また逃亡の旅に出発しなければならない。アニーは逃亡生活に疲れてしまっているが、弟のハリーが一人前になるまでは(あと10年くらいか)この生活を続ける覚悟だ。

ハリーは仕事場から、アニーも小学校と高校に息子たちを迎えに行く。
アニーとハリーはタクシーで、ダニーは自転車で追いかけるという。
その前に、授業中のローナを呼び出し別れを告げ、自転車で家族の待つ場所へ急ぐ。
ダニーがピックアップトラックの荷台に自転車を乗せると、ハリーは降ろせと言う。もう一緒に行かなくてもいいと言う。
 
この最後の場面が、ダニーと家族3人の別れの場面で切ない。
しかし、避けては通れない選択の道。
旅立ちの時なのだった。
次に会えるのは、いつなのか。誰にもわからない。
 
この映画の監督は社会派監督の「12人の怒れる男」のシドニー・ルメットで、この作品でゴールデングローブ賞の監督賞にノミネートされた。母親役のクリスティーン・ラーティは、ロサンゼルス映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞、リバーもこの作品でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。
真面目で純粋な役どころであったが、17歳のリバーもそうであったと思わずにはいられなかった。
 
 
 

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