日本映画「明け方の若者たち」感想

2021年12月31日公開 松本花奈監督「明け方の若者たち」感想
2022.1.24記     石野夏実

1月20日のこと、朝食もすみ東京新聞の朝刊を何気なく繰っていたら、文化欄に紙面を大きく割いた映画の囲み。「明け方の若者たち」の松本花奈監督のきりりとしたカラー写真が目に飛び込んだ。23歳の監督は、卒業を控えた現役大学生ということだった。
記事=恋に仕事に主人公は揺れるが「どん底になっても、時が癒してくれて思い出になることを表現したかった」=に素早く目を通したら、仕事もオフだったので急に観たくなり、どこか近くで上映しているところはないかと、早速スマホで検索した。
地元のシネコンでまだ上映していて、タイムリーなことにこの日が終了予定日だった。上映時間を見ると初回の8時50分からの1回のみ。ラスト日のラストではないか。観るしかないと素早く決め、支度をし終わったのが8時35分。車で5分のTOHOシネマズに急いだ。
結果、滑り込みセーフ。5本ほどの他作品の予告編も観ることができ、数か月ぶりの映画館の大音量と大画面を堪能した。オミクロンが大流行中なので、KF94の特別マスクを使用。
 
さて、肝心な内容は以下の通り。予備知識は今朝まで全くなく、真剣に観ることにした。
主人公の男子大学生(僕)が社会人になり日々過ぎ行く日常の様子を、恋人や友人を絡ませながら、どこにでもいそうな今の若者(たち)として等身大で描いている作品。ロケ地は明大前、下北沢、高円寺などで、シモキタのヴィレバンもスズナリも餃子の王将も出てくる。私には身近な町なのだ。
朝いちばん早い時間の映画にしては、そこそこの入りだった。主演が北村匠海ということもあり、学生を含め若い女性がほぼ9割を占めていた。
就職が内定した(卒業の1年前には決まっている?)大学生の飲み会から話は始まる。第2就職氷河期2012年4月の明大前だ。場所は沖縄料理の居酒屋の2階。狭い飲み屋での祝勝会だったが、使用される勝ち組という言葉を好きではないけれど、表情は何事にも大して反応せず無難にやり過ごす主人公の僕(北村匠海)。他者との争いは好まなさそうな穏やかな今風の大人しい若者のようだ。
その彼が、ひとりの女のコ?女の人? に目が行く。黒髪、黒い瞳が魅力的な少し大人っぽい感じがする彼女=黒島結菜、2歳年上の大学院生だった。
僕の後ろを通って早めに会を抜ける彼女と知り合う。結局ふたりで明大前の「くじら公園」でコンビニで買った缶酎ハイを何本も空け話し込む。
この辺りまでは、見知らぬふたりが飲み会で出会い、その日のうちに意気投合して恋が始まる1年前に観た「花束みたいな恋をした」を思い出させる設定だ。
ただこちらのふたりのほうが、自然体の演技で物語を強引に作り上げていないところに好感が持てたが。。。
※ところがこの映画は、番外編がアマゾンプライムですでに配信されていて、彼女がスマホが見当たらないからちょっとかけてみてと僕をナンパ。そしてこの方法は、彼女がすでに学生結婚していて、夫と知り合った時の夫のやり方を真似したものだった。
 ※※「花束~」の方は、有村架純が同居する親に頼まれたトイレットペーパーの大袋を2つも持ち歩く不自然さがいつまでも後を引いた。今どき、いや10年前だってトイペをバスや電車に持ち込む人はいなかった。深夜ならなおさら、近くのコンビニで小さな袋入りを買えばすむし、翌日近所のドラッグストアで大袋を買えばいいのであって、あれは違和感のある不自然な設定だった。
と細かい余計なことを書いてしまう性分なのであるが「明け方の若者たち」の僕にも泣けたし「花束~」の麦(菅田将暉)の姿にも泣けた。
理由は、男のコの方が女のコより純情だなって思うからで、それは今も昔も変わらない。
もちろん女を騙す悪い男はたくさんいるだろうけれど、概して女のコより男のコの方が純情だなって思う。

おそらく、人生で一度も恋をしたことがない人はいないであろうが、人生で最高の思い出の恋は、ひとつしかないはずだ。はたから不幸に見えても報われなくても、それでも忘れられない恋は本物だから、心の奥深く死ぬまで大事にしまわれていて、生きている限りは時々思い出の引き出しから静かに取り出される。僕の恋はこの恋だろう、と私は確信したので泣けたのだった。

この映画は、僕の恋愛だけでなく同期入社の頼りになる友人尚人との友情も描いているし、地味ながら辞めないで続けている仕事も描いている。悪い人がひとりも出てこないから、裏切りやドロドロがない。救われる部分だ。
 
ところで、今の若者、彼らの内面はどうなんだろう。私たちの50年前の青春時代とは違い、感情をむき出しにしないで生きているのが今の若者なのだろうか。趣味や音楽に自分を見つけ、穏やかに生きられたらそれで満足なのかもしれない。幸せに大きいも小さいもないと思い、自分だけの幸せ、それで十分に満足し無理はしない。野望はもはや不要なのだ。

この映画で特筆すべきは、バックに流れる音楽と選曲の抜群のセンスだろう。マカロニえんぴつのオリジナル主題歌「ハッピーエンドへの期待は」はもちろんのこと、彼女のスマホアラームで流れるキリンジの「エイリアンズ」一度聴いただけでも、たまらない緩さがしっかり心に届く。
また、僕と彼女と尚人の三人が明け方まで飲んで高円寺の駅前を走る時の、同じくマカロニえんぴつ「ヤングアダルト」を聴いて、心に突き刺さる歌詞の鋭利な言葉の組み合わせセンスに驚いた。今一番注目されているロックバンドの理由がよくわかった。
最後に、少し。
以下は、アマプラ(アマゾンプライム)オリジナルでアナザーストーリーとして配信されている45分ドラマを踏まえての加筆。
映画館映画では、後半から彼女が実は学生結婚をしていて、夫が不在中の恋であることが知らされる。番外編では、相手は彼女がアメリカの大学に留学中に知り合った30歳のハンサムなエリート会社員であり、結婚前や新婚早々のふたりのドラマが流れる。
夫は、彼女がもういちど外国に行きたがっているので外国勤務を希望したのに、彼女はしたい仕事の就職先の内定をもらったので日本に残ると主張。夫は、かなり怒り狂ってDVっぽいしぐさをする。
本編の方では夫は顔も出てこないので存在が薄いまま終わったのであるが、実は彼女は夫にベタぼれなのであった。僕には自分が結婚していることを、出会ったその日に彼女は告げていた。それでもいいと思ったから僕は「僕と付き合うと楽しいよ」と言って付き合ったのであるが。

彼女も、3年間夫と会えない淋しさが一番の理由なのだろうけれど、夫の存在を忘れ僕との恋を楽しんでいた。
この恋は最初から期限付きなのであったし、僕もそれは承知だった。
だから、別れが突然やってきても別れなければならないのはお約束だ。
それでも3年も恋をしていた気持ちはずっと引きずると思う、3人共にそれぞれに。
彼女は仕事のキャリアも積みますます自立するだろうし、7歳くらい?年上の夫も彼女を理解してくれているのであるが、空白の3年間をこのまま容認の関係が続くのであろうか。人の心は複雑だ。
3年前、海外勤務に出かける見送りの日、エスカレーターで降りる夫は、後ろも振り向かず彼女がまだ見ているかもしれない状況下で結婚指輪を外しポケットへ。一緒に来なかった彼女への意思表示を彼女におそらく見せつた。
番外編の正式な題名は「ある夜、彼女は明け方を想う」である。
楽しかった日々の追憶は、青春の思い出の1ページで閉じられるほどのもので終わるのだろうか。
北村匠海の醸し出す秘めた強い優しさと、黒島結菜の黒い瞳と美しい顔立ちでの最強の演技、ふたりを再認識した映画であった。
※追記 2024.10.17
カツセマサヒコの原作を、この映画を観てすぐ購入していたようである。おそらく積読したままできちんと読んでいなかった。先ほど感想UPのため原稿を読み返していたら、この映画を気に入っていたころのことを少し思い出した。マカロニえんぴつの「ヤングアダルト」の歌詞が気に入り、車の運転中にしょっちゅう聞いていた時期があった頃を思い出した。
この原作はカツセマサヒコが小説家デビューの単独書籍であった。10章あるうちの最後の3章を読んでみた。大学を出てからの4年間が描かれていrた。仕事と親友と彼女を忘れられない自分とを、説得力のある心情を吐露しながら淡々と書き進んでいる。私たちの世代には決してかけない文章。でもね、心根は同じなんだよね、全く同じ。


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