日本映画 黒澤明監督「天国と地獄」

第10回 2022.5.22 実施 他会員当番「天国と地獄」

黒澤明監督 「天国と地獄」 1963年(昭和38)公開 2022.5.14記       
5月の旧作品テーマが「天国と地獄」に決まり、黒澤明(1910年~1998年明治43~平成10)監督作品に向き合うための良い機会を得た。黒澤映画ファンの当番に感謝。

一昨年の暮れ、プライムで黒澤監督の「わが青春に悔なし」を観て感動し、すぐに感想文を投稿した。この映画は敗戦翌年の46年(昭和21)の公開であった。これをきっかけに黒澤監督のモノクロ映画に興味を持ち、まだ観ていなかった作品はプライムで鑑賞した。
リアルタイムで黒澤作品を観始めたのは割と遅く、大学時代の70年(昭和45)「どですかでん」(監督は当時60歳)からである。(氏には61歳での自殺未遂があり)それ以降80年(昭和55)「影武者」、85年(昭和60)「乱」、90年(平成2)「夢」遺作の93年(平成5)「まあだだよ」までである。「8月の狂詩曲」は家でビデオ鑑賞をした。「デルス・ウザーラ」は観ていない。
私が映画館で観た上記の「影武者」や「乱」の黒澤映画は「世界のクロサワ」と呼ばれるようになった時代のもので、莫大な制作費をかけ上映時間も長く世界を相手の大作であった。
氏の黄金時代は日本映画の黄金時代とも重なり、三船敏郎という俳優と出会ってからのモノクロ昭和20年代~30年代のものが最高の作品群だとは思うものの、三船無き後の仲代達矢主演「乱」は、氏の映画監督50年間の歴史の中で、時代劇の集大成であり最高傑作であるのも確かだ。

「天国と地獄」の次作に65年(昭和40)「赤ひげ」があるが、この2作品以降、黒澤映画に三船は登場していない。因みに黒澤の全監督作品は30本、そのうち三船は16本に出演している。 
 多くの評論家が書いているように65年の「赤ひげ」から5年後の70年「どですかでん」(カラー)を境に前半のモノクロ時代の黒澤と後半カラー時代のクロサワにきれいに分けることができるが、それだけではなく、カラー時代もふたつに分けることができると思う。「乱」の5年後90年(平成2)「夢」、91年「8月の狂詩曲」、93年遺作「まあだだよ」は、個人的な心情を映像に埋め込んだ遺品であると思う。

私は60年代の時代劇「用心棒」や「椿三十郎」よりも、戦後の時代性を背負った48年(昭和23)「酔ひどれ天使」や49年「野良犬」の方が好きであるが、今回の「天国と地獄」を観て、「野良犬」に繋がるものがあると思った。
その映画では、復員の車中で全ての荷物を盗まれたふたりの若者を想定。ひとりは警官になり、もうひとりはその警官のピストルを盗み、強盗殺人まで犯す。
どんなに不幸な出来事に遭遇しても、悪人に成り下がってはいけない。それが、黒澤の全映画を通してのメッセージだ。
だから「天国と地獄」の権藤と竹内も何もないところからの自力での出発であるが、努力して今の地位と財産を築いた権藤に比べ悪の道に走った竹内には容赦ない。

黒澤明が日本一の本物の映画監督だと思う根拠は、大衆娯楽文化の商業映画を全うしながら芸術性をも併せ持ち、不特定多数の観客相手に誰もが納得するストーリーと脚本により常に緊張感を与え、明確なテーマ、配役の妙、ロケとセット、カメラワーク、音楽、照明などなど徹底的な拘り=完全主義を貫いているので、時代を経てもなお我々を圧倒する力があるからである。

今どきは、エログロ低俗露出映画を1~2本撮れば誰でも映画監督になれてしまう安直な時代であるが、氏は全く違うスタイルで、戦後の日本映画の黄金時代を築いた。世界の名監督、有名俳優にも認められた世界有数の映画監督である。

テーマ映画に決まってからは、予定のない休日には、自伝「蝦蟇の油」を含め少しずつアマゾンの中古本で買い集めてきた絶版黒澤関連本を楽しみながら読み進んでいる。
3月には映画評論の佐藤忠男氏が亡くなったが、氏の「黒澤明の世界」は読みごたえがあり、浅学で自己流の私にとって出会えてよかった名著であった。
※他に橋本忍著「複眼の映像」、小林信彦「黒澤明という時代」、野上照代インタビュー本「15人の黒澤明」、松田美智子「サムライ評伝三船敏郎」、黒澤和子「回想黒澤明」が手元にある。野上照代氏のインタビューは仲代達矢も山崎努も受けていて説得力があった。流石に野上氏である。中身の濃いインタビュー本であった。

前置きが長くなってしまったが、黒澤監督が偉大過ぎるので、観れば観るほど読めば読むほどハマらずにはいられないため、ご容赦を。ご本人のインタビュー映像もyoutubeに色々upされている。興味のある方は、是非ご覧ください。

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さて「天国と地獄」、初っ端からタイトルバックに流れた音楽がうす気味悪かった。終盤の黄金町の麻薬患者の巣窟場面で流れた音楽と酷似していた。いや同じか。
黒澤明は社会派であるといわれているし、やくざ賛美にならないよう「野良犬」でもふたりの兵隊上がりの若者を対比させた。ここでも悪は許さない。警察の犯人追い詰め方は半端ないし、権藤はどんどん善い人物になっていく。※佐藤氏の辛口評論では、この映画は最低の評価であるが。それは氏の考え方であって、ひとつの意見であると思う。

この映画は子供の誘拐事件の顛末であるが、製靴会社の権力争いの場面から始まった設定のため、最初は主人公の権藤常務(三船)がギラギラしていて、やり手ではあるが人情味のある人物には全く見えなかった。
高台にお城のようにそびえ立つ一軒家の権藤家は、資本家、権力の象徴。それを毎日見上げながら暮らす狭くてみすぼらしいアパートやバラックが入り混じっての一帯は、貧困層スラム街の象徴地帯である。
たたき上げから上り詰めた権藤に対し、姿を見せない完全犯罪をもくろむ誘拐犯としての冷徹非情なインターン生の竹内に、ほぼ新人の山崎努(若い!)

その山崎を初めて映し出す映像が、ゴミだらけのどぶ川に沿ってアパートまで帰る場面。劇伴はシューベルトの「鱒」が使われている。深読みすると意味がありそうであるが。
鱒はきれいな水では生きられない。でもこのどぶ川では汚すぎるから生息できない。深読みはいらないだろう。
また終盤の逮捕時、深夜の別荘から見える白く輝くさざ波の海。共犯の管理人夫婦を殺すために花々の中からヌッと現れるサングラス姿の山崎。
逮捕される時に高らかに流れるのは「オーソレミオ」だ。これの意味は「おー、それみよ!あくじをすれば、かならずつかまる!」と思ってしまったのは、私だけか。
もちろんこのふたつの映像とバックに流れる音楽は、最高のマッチングであった。

犯人に同情の余地はあるのか。非情で冷静な戸倉警部に判断ミスはなかったか。たたき上げの権藤が、面会時に犯人を前に涙ぐんだのはなぜか。
この面会場面の映像も凝っている。背中しか見えない対面者の顔が、ガラスはないのに前面に映し出されるのだ。
そしてラスト5分前の面会時の権藤=三船はギラギラ感が無くなっていて最高にハンサムである。
「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルよりずっとクセがなく美しい。野望が消えたからだろう。

<討議テーマ1>脚本、演出、撮影、編集などについて優れているといると思えたシーンがあれば、いくつか教えてください
全て完璧だと思いましたが、特に上げるとしたら
☆「こだま」を1日2000万円で貸し切ってのあの緊迫した車内状況と唯一7センチ開けることができるトイレの窓からのカバンの投げ落とし。車内から映したであろう酒匂川の鉄橋下に立つ共犯者と人質の遠景のスピード感ある臨場感。
☆焼却するとピンクの煙が出るように仕組んだカバン。あの煙のパートカラーが異様に映えた。
☆戸倉警部と捜査班刑事たちの総力挙げての執念と本気度。特に逮捕の日の犯人を尾行する刑事たちの変装や気付かれないように何回も入れ替わっていく手際のよいチームワーク。
☆「鱒」と「オーソレミヨ」の抜群の音楽効果。
☆日本題名は「天国と地獄」であるが英語題名は「High and Low」である。さて、どちらがいいのでしょう。
☆印象に残ったのは~山崎努のカッコいいツイスト場面。面会時の三船のハンサムなお顔。

<討議テーマ2>犯人はこれまでどんな人生をたどってきたと思いますか。自由に想像してください
☆父親が事業(工場経営か)に失敗して一家心中を試み、犯人の竹内の左手の甲には大きな傷跡が。
残された借金に苦しみながらも体の弱い母親の面倒を見ていたが、その母親も昨年亡くなり身寄りはいない。当時のインターンは無給で休みもほとんど取れなく過酷な状況だったが、あと少し辛抱すれば将来は約束され、一人前の医師として就職でき収入も期待できるのに、なぜ、こんなことを思いついたのか。
金銭が第一の目的ではなく世の中の不公平に対する怒りから完全犯罪を目指したとしても、麻薬中毒患者たちを人とも思わない扱いをする人物だから、彼が医者にならないで良かった。何が楽しくて生きているのだろう。恨みや憎しみからは、何も生まれない。

最後の拘置所場面での権藤との面会から垣間見えるもの。
権藤「きみはそんなに不幸だったのかね」 (間が空く)
権藤「なんのために私を呼んだんだ?」
竹内「私がみじめったらしく死んだとあなたに想像されるのがたまらないから」
(竹内の手が震える)
竹内「手が震えるのは怯えているのではない。長く独房にいた生理現象だ。地獄みたいな生活に慣れているから」

死刑を前にしての叫び!看守が来て取り押さえられシャッターが下がる。今となってはもう遅い。他者の命を残酷に奪っておいて、自分が死刑になるのが怖くて仕方がなくなった。
どのように「死」と向き合うのだろう。「死刑制度」は本当に必要なのだろうか。
父親が事業に失敗するまで、あの丘の上のお城の様な豪邸で権藤家の少年たちのように暮らしていたのではないかと。それこそ「天国」から「地獄」へ。憎しみの源があの少年たちの時期と重なるような気がしました。
医学部からインターンになっているわけですが、もちろん苦学生だったのですが、幼少期は勉強をする環境で育てられていたのでは?と思いました。
生れついた時から貧乏で育ち上昇志向がない場合、まず子どもは勉強しません。日々のんきに暮らせれば現状維持で十分だからです。
どうしてもその環境から抜け出したい場合、逆にあの丘の上の豪邸を見上げる目は「憧れ」であると思います。成功してあのような家に住みたいと。憎悪は生まれないと思います。


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