アメリカ映画「ディア・ハンター」(1978年)

「ディア・ハンター」1978年マイケル・チミノ監督作品
            2023.10.8~ 石野夏実 
 
 ロバート・デ・ニーロ(1943~)ほど長く様々な主人公を演じてきた現役の俳優は、アメリカでもほとんどいないのではないか(93歳のクリント・イーストウッドがいる)と思ったが、その彼も今夏で80歳になったそうだ。
 本日観た映画「ディア・ハンター」のデ・ニーロは、76年の「タクシードライバー」と77年の「ニューヨーク・ニューヨーク」そして80年の「レイジング・ブル」に挟まれた35歳という年齢での作品にあって、まさに彼でなくては演じられない役であった。
狂気や孤独を感じさせる目は封鎖されていて、眼差しは穏やかで優しさに溢れていた。
右頬のほくろがなければ、一瞥だけではデ・ニーロとわからない。背丈までもが高くなっていると錯覚するほどだった。
 
この映画は、ロシア正教の教会のすぐそばにある製鉄所で働いているロシア系移民5人の仲の良い労働者のうち、3人の若者がベトナム戦争に出征しそれぞれのその後の人生を追っていく物語である。
主人公の鹿狩り(ディア・ハンター)を趣味とするマイケルにロバート・デ・ニーロ。一緒に住んでいる一番仲の良い友人ニックにクリストファー・ウォ-ケン、結婚式をすませてすぐに出征するスティーブンにジョン・サヴェージ。そのほかスタンリー=ジョン・カザール(これが遺作)とアクセル、彼らのたまり場の酒場の主人とで、時々休日に鹿狩りに行く。
映画の題名は「ディア・ハンター」であるが、その理由が私には謎だった。
実はこの映画はアマプラで100円で観られるので、もう一度観てもいいのであるが、英語を意識せずに字幕ばかりを追っていたので聴き落としがかなりあったようだ。
またこの映画は、モノローグがなくセリフも少ないため、画面から推察するしかない場面が多いのである。
例えば初っ端からロシア式の結婚式の話から始まり式場での飲めや歌えや踊れやの宴会が延々と続くのであるが、主人公のマイケルは踊らずじっとニックとその彼女リンダ=メリル・ストリープを眺めている。
最初、リンダに密かに横恋慕していてリンダを観ているのかと思ったら、視線はニックに向かっていたのだった。
スティーブンとジュリアンのロシア教会での結婚式でフォークダンスが楽しげに踊られる場面は、当時のロシア移民のハレの日の祭り気分が十分に伝わる。
そして3時間の上映時間のうち1時間がこの結婚式の場面に充てられていたため、
飽きてしまって画面を閉じたくなったりもするが、仲間たちが全員そろってドンちゃん騒ぎをして過ごした日は、これが最後になった。
戦争に行って3人は再会するのであるが、解放軍に捕虜にされ、現実ではこんなことはないと思うのであるが「ロシアンルーレット」で順番に頭をぶち抜くのである。このような狂気がまかり通っていたとは思えないのであるが3人は、それぞれ捕虜になってそこで再会した。マイケルトニックが示し合わせてその場から脱出し、先に捕まっていて足にケガをし拘束されていたスティーブンを助け出し3人で逃走する。タイでロケをしたそうであるが、急流を漂っている時に米軍のヘリコプターに救出された。ただし乗りこめたのはスティーブンだけだった。
マイケルとニックは離れ離れになってしまい、次の再会はまたもやロシアンルーレットの隠れ賭博場である。ふたりは対決することになりニックは死んだ。
その前にマイケルは、両足を切断し腕も片腕だけになったスティーブンと軍人病院で再会していた。
ニックの遺体はベトナムからアメリカに搬送され故郷に戻ってきた。お葬式がすんでマイケルは、戦争に行かなかったスタンリー、アクセル、酒場の主人の3人と久しぶりに鹿狩りに行った。もう生き物の命を奪うことは出来なくなったマイケルなのだった。
なぜロシアンルーレットが何度も出てくるのか。しかも捕虜を処刑する場面でロシアンルーレットとは?である。
その他にも、突っ込みどころ満載と思った。
この内容でアカデミー賞の受賞は 作品賞/監督賞/助演男優賞/音響賞/編集賞、ノミネートは 主演男優賞/助演女優賞/脚本賞/撮影賞であった。
戦争で犠牲になるのは、ごくごく普通に生きている人々だ。戦争は幸せな日常を奪う。その思いは十分に伝わるが、ロシアンルーレットで自分の頭をぶち抜くのは違和感がある。戦争に行けば生きるか死ぬかのどちらかだ、ということでロシアンルーレットの使用を前面に打ち出したとしたら、なるほどとも思うが。。。
ベトナム戦争は長かった。多くの若者が死に、傷を負い、心を病んだ。
 そして戦争を正当化せず、それを題材にした映画は何本も作られた。
 
※以下、1975年当時、ベトナム戦争終結時のNHKニュースの内容を転載
 「サイゴン陥落 ベトナム戦争終結」
放送年:1975年(当時の貴重な映像フィルムもあり)
4月30日、首都サイゴンが陥落し、南ベトナム政府は無条件降伏を発表した。ベトナム戦争が終結し、南ベトナムは消滅した。1975年に入ると北側の攻勢で南ベトナム軍は北部・中部の拠点から次々と撤退、アメリカも南ベトナムから軍人・民間人ともにヘリコプターなどで脱出した。ベトナムへの本格的な介入から10年、ドミノ理論を振りかざしたアメリカの力の政策は、戦死者56,000人、戦費は45兆円という高い代償を残して幕を下ろした。
 

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