「不思議なことが人生では何度か起きる」直近編
「不思議なことが人生では何度か起きる」直近編
2025,1.30(木)記 石野夏実
昨秋から、同人誌に発表した原稿を題名ごとに分けたもの(「ウオン・カーウァイの香港映画」①~⑫など)や、同人の読書会で自分が当番の時に指定した読書本、当番でない時のいち同人として発表した感想などをnoteに参加し連日投稿して今日に至る。
加えて、分科会の映画の会の会員にもなっていたので、当番だった時の推奨映画や他会員推奨の新旧作品の感想を書いたものも手元にあり、それらを整理して投稿していった。
配信ドラマ、主に韓ドラであるが、気に入った作品の感想も載せてきた。
自分の当番の時の思い入れの強い映画、それはお気に入りベストスリーでもあるのだが、note初投稿の「ラ・ラ・ランド」のスキはいまだゼロで「GO」もスキを表明してくれた方はひとり。やっと「タクシー・ドライバー」で4名となった。
第3者の評価と、こちらのお気に入りとの温度差の違いがよく分かり、逆に有難かった。
それと、この映画の会の会員が当番時に掲げる課題映画は、全員が観てきて感想を書き、その後ZOOMでも意見を述べ合うやり方であったが、距離が近すぎて批判ができにくい雰囲気もあった。
それゆえnoteでの反応が実に少ない映画感想での現実は、冷静に納得のいくものであった。
会の会員が選ぶ映画は、マニアックな作品がわりと多かった。
名作でもあまり古いものは好かれない傾向にあると感じている今の時代、特に古い洋画には反応が返ってこない現実には、なるほどと思った。
もはや興味がないのだ。
それは文学作品でも同じ傾向だ。
月1回の読書会は、当番は張り切るのであるが、私としても興味のない古そうなものを読まなければならないという使命感というか強制力というか、そんな力に従って読むわけであるが、どうしても興味がわかず読み切れない作品の場合もある。
そんな時は、欠席もしくは手ぶらで参加になってしまう。
だから投稿した多くの作品群の中にあって、反応が鈍いものは当然の結果だと思う。
興味がないのは、仕方がないことである。
ただ、一人でも二人でも自分と同じように読んだり観たりしてスキを表明してくれる人がいると、ホッとするし嬉しい。
下調べに時間をかけ、気合を入れて課題本にした大江健三郎の作品と人となりは、結果的に同人誌最後の読書当番の発表になった。
映画の随筆「ウオン・カーウァイの香港映画」は私にとって、同人誌最後の掲載作品になった。
振り返れば、これらは卒業制作に相応しい選択であったと思う。
これ以上、追いかけたいと思う作家や監督はいないし、区切りはついた気がした。
前号では「三組の盟友たち~良き友よき相棒」という映画の随筆を掲載した。スコセッシとデ・ニーロ、黒澤明と三船敏郎、フェリー二とマストロヤンニの三組の盟友を取り上げた。
この二つの随筆は、思う存分に書いた気がして、同人誌を気持ちよく卒業できた。
もちろん書くこと読むことは続けていく。
漱石や吉本隆明の書いたものをきちんと読み返す趣味の読書はこれからも時間を増やしたいし、好きな作者として一番に上げたい名前である。
漱石先生は、大量の血を吐くほどの胃潰瘍を患い、激痛でもそれでも原稿用紙に向かった。
吉本隆明は、あんなに尖がっていて孤高の思想家だったのに、晩年は海水浴で溺れて九死に一生を得てから丸くなった。
それ以後の、若者に語るように書いた文庫などは読みやすいのであるが、尖っている頃に書かかれた難しすぎて完読できていない吉本本来のハードカバーを、一字一行確かめながら読み進んでみたい。
「共同幻想論」「言語にとって美とは何か」「心的幻想論序説」の3冊が目標だ。
漱石先生のものは、未読の短編集や講演集、書簡集を読み進めたい。
以上の話は全くもって関係がなさそうな前振りで、ここからが本題です。
「旅行記 イギリス編」を投稿し終えて、次はツアーも交え9回訪れたパリ編をどうやって書いていこうか考えていたところ、3、11以前の旅行記のメモすらまだ見つからず困っていた。
どうしようかなとスマホを開いてファイルのアプリをタッチした。
驚いたことに今まで見かけなかった古いPDFファイルがひとつだけ紛れ込んでいるではないですか。
「え!どうしたの?ファイルくん」状態でした。
どこから来たのか全く不明で、順に並んだファイルの日付は2024年12月1日でした。
題名は日付もなく「12月のパリ旅行」。
読んでみると、確かに自分で書いた文章です。しかも2014年の12月の話で、何回目かのパリ旅行の詳細が旅行記になっていました。
このエッセイの題「不思議なことが人生では何度か起きる」直近編のきっかけです。すぐに書き始めました。
あと2度、不思議なことが今までに起きています。
こちらのふたつは、確率ですむ話かもしれませんが、今回のパリ旅行記のPDFはどうして突如出てきていたのか不思議でなりません。
2度の不思議な話ひとつ目は、22歳になったクリスマス前後の夕方のことです。
名古屋の地元時代、中高のグループで一緒に遊んでいたリーダーが東京の本社へ就職試験を受けに来ていて、もちろんそんなことは全く知らない状態で、偶然再会したのです。
それも後楽園球場の横を歩いていた時に、大きな広い通りの真ん中でです。
「え!なんで?」と互いに固まりましたが、こちらは後に夫となるBFと、あちらは一緒に試験を受けに来た大学の友人と、それぞれふたり連れでした。
この広い東京で、しかも後楽園球場の横で、名古屋からたまたま上京した人と。凄い偶然ですよね。不思議ひとつ目でした。
もうひとつは、noteにも時々登場する親友(相棒)です。
私が人工股関節の手術をするので入院前に買い出しをしておこうと年に一度行くかどうかの、滅多に行かないスーパーに出かけた昼下がり、珍しくそのスーパーではお客を見かけませんでした。
すると、どこからか相棒が出てきて話しかけたのです。
「あんた、どうしてたのよ。久しぶりだね」
「10日後に入院だからね。お見舞い来てよね」
「でもさ、けっこう大きな手術と聞いてるからさ、すぐには行かないよ。痛いらしいし、落ち着いたころに見舞いに行くよ」
「うん、待ってるね」
少し話して別れました。
それが、彼女に会った最後でした。
入院して手術して数日たっても彼女は来ない。
当時は3週間入院する手術でした。
4、5日して彼女が亡くなった知らせが届きました。
お風呂で亡くなっていました。
当時は娘さんたちも結婚して家を出ていたので、ご主人と二人住まいでした。
ご主人が先にお風呂に入って寝てしまうと、朝まで異変に気が付きません。
私は、まだ一時外出もできない状態で、お通夜にもお葬式にも出られませんでした。
娘二人が代わりに行ってくれましたが、今でも彼女のことを毎日のように思い出します。
ふたりで行った海外旅行も、noteに書くため写真を眺めていたら当時を思い出します。
そんな矢先の不思議なPDFファイルの突然の登場でした。
このスマホ、今はもう日本では売っていない2台目のHUAWEIですが、故障もなく使い勝手が良くて手放せません。
不思議な別のPDFがまた出てくるといいなこのスマホ。もうないかな。
でもいいわ。。たすかりました。ありがとう、何かの偶然の力に感謝です。