ウォン・カーウァイの香港映画②「欲望の翼」(1990年)
2023年8月 石野夏実
今回の主役は、仕事にも就かずダラダラ気ままに刹那的に生きているヨディ役のレスリー・チャン(1956~2003)である。
レスリー・チャンは二重でくっきりした目の持ち主であるが、アンディの射貫くようなストレートな目力とは違って、憂いと儚さが漂う瞳なのである。
他の出演者は、ヨディが言い寄ったくせに捨てた恋人スーにマギー・チャン、踊り子で次の恋人ミミにカリーナ・ラウ(1965~)、ミミに一目ぼれしたヨディの親友サブにジャッキー・チュン(1961~)、スー=マギー・チャンと真夜中の警ら中に知り合う警官タイドにアンディー・ラウ。 そしてラストシーンに出てくる他の出演者との関係性が全く見当たらない謎のギャンブラー風の男にトニー・レオン(1962~)という豪華さである。
この映画は登場人物である彼ら6人の青春群像劇という定説になっているが、どう考えても関係性から言えばトニー・レオンを除く5人の群像劇である。
6人の定説のその理由は、この映画は前編で元々後編を作る予定であったためトニーは後編に出演するので、繋げるためにラストで突如出演となったそうであるから、ということらしい。
ところが、後編は作られないまま終わってしまったとのこと。
その理由は、予算オーバーで後編の分まで使ってしまったからなのだそうである。
謎のギャンブラー風のトニーは、ずっと後の映画「2046」と繋がっていて、そこで登場する主役だ。
その「2046」の前話は「花様年華」である。
「欲望の翼」と同じくスーという名の女性が「花様年華」のヒロインである。
ショットから察すると、ふたりのスーに共通しているのは新聞を読む場面があり、監督の好きなタイプは、スー=マギーのような活字好きな知的な女性なのだと思った。
名前や設定、色々が複雑に絡み合っているようなので、想像を巡らせるのも面白い。
出演者たちを見てもわかるように、当時すでにスターになっている若手人気俳優を豪華に6人も揃えれば、出演料だけでもかなりの額になってしまうが、客を大きく動員できると読んだのであろう。
興行的には大々的にクリスマス公開大ヒットを当て込んだようであるが、失敗だったといわれている。
斬新な着想、従来の香港映画にはない凝った撮影や音楽のセンスの良さのため(=オープニングはロス・インディオス・タバハラスのラテン曲「Always in My Heart」、エンディングは梅艶芳(アニタ・ムイ)の「是這様的」)のちの「花様年華」同様に批評家や映画関係者などプロの間ではとても評判が良かったが、大規模公開であるにも関わらず観客の入りは大したことがなかったそうである。
大衆受けする単純な筋立てのノアール映画や恋愛映画ではなく、余韻を残す暗くて新しい作風の映画だったからだろうと思う。この手の映画は、日本でも大ヒットは難しい。
さてヨディであるが、実母会いたさにフィリピンに行き、結局会うこと叶わず、酔いつぶれて有り金全部と時計まで行きずりの女に盗まれた。
船乗りになった元警官のタイドが真夜中に偶然通りかかり、ヨディは彼の宿泊ホテルに泊めてもらうことになった。
そして翌朝、ヨディは一番列車が発着する駅構内のレストランで地元のギャングとひと悶着起こし、タイドと逃げ込んだ列車内で刺客に撃たれて、やがて死んでいく。タイドは、その直前に別車両に行き難を逃れた。
次の駅までは、あと12時間。
虚しさと哀しみを乗せ、フィリピンの熱帯雨林のジャングルを背景に、列車は何事もなかったかのように走るのであった。
《足のない鳥は飛び続け、疲れたら風の中で眠り、そして生涯でただ一度地面に降りるーそれが最期の時》これはこの映画の有名なモノローグであるが…
ラストの死にゆくレスリー(ヨディ)のモノローグ《俺は死ぬまで飛び続ける鳥の話を信じてた。でも鳥は飛ぶ前に、もう死んでいた。一番愛した女が誰なのかわからない。彼女は元気かな。あー朝が来た。俺が死ぬ今日もいい天気で終わるのかな》
アンディ(タイド)のラスト場面でのモノローグ《奴が息を引き取る前、俺はある質問をした》から会話に入る。
タイド「覚えているか?去年の4月16日の3時に何をしていたか?」
ヨディ「妙な質問だ」(ヨディがスー=マギーを口説きに、働いているサッカー場の売店に行った時に使った気障なセリフ『君といたこの1分間を忘れない』その日の日時のこと)
タイド「女友達が俺によくこの質問をしたんだ。俺がその日に何をしてたかってな。俺は覚えていない。お前は?」
ヨディ「その女といた」
タイド「覚えていたのか」
ヨディ「肝心なことは忘れない」
(中略)
ヨディ「愛しているのか?」
タイド「そんなんじゃあない… 友達さ」
ヨディ「あの日を忘れたって言っとけ。お前と彼女のためだ」
タイド「もう会わないかもな。もし会えても、たぶん忘れているさ」
レスリー(ヨディ)は、目を開けたまま死んでいく。
撃たれた直後のレスリーは「最後に見えるものが何か知りたい。だから目を閉じない。お前は?死ぬ前何が見たい?(略)」と語りかけていた。
その通り目を開けたままの最期だった。
アンディ(タイド)をカメラは斜め上から撮っているのでその目はうつむきかげんに見える。「いますぐ抱きしめたい」のアンディと全く雰囲気が違う。目力を抑えているのだろう。私はこの映画での警官アンディ―・ラウが好きだ。
原題は「阿飛正傳」で「阿飛」の意味が解からず、調べて「不良」という意味を知ったのであるが、もう少し調べたらジェイムス・ディーン主演「理由なき反抗」の香港でのタイトルと同じとウォン・カーウァイがインタビューで答えていた。
英題は「DAYS OF BEING WILD」で、レスリー・チャン扮する主人公ヨディの「奔放な?荒涼とした?日々」の意味は的を得ていると思うが、邦題「欲望の翼」もなかなかいい題名だと思うのは私だけではないはずだ。
登場人物たちは、みなヨディに翻弄される。
ヨディは「欲望の翼」を持った危うくて飛び方さえ知らない鳥だったと思う。
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