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「海外旅行記2001年~2018年」アメリカ編(1)

「海外旅行記2001年~2018年」アメリカ編(1)
2025.1.8   石野夏実
 ※写真は2002年当時のメトロポリタン美術館です

 2000年の春、私は前年秋に50歳になっていて、母が4年ほどの介護を経て1月に亡くなり、父は1か月の入院でその5年前に亡くなっていた。
塾とライブハウスの仕事を一緒に終うのは少し早いかなとは思ってみたものの、私にとって命を与えてくれた親という存在がこの世から全く消えてなくなり、それは子である私にとってはもう親には二度と会うことができない大きな別れであると痛感したので、訣別から新生へと思い切って次の10年に踏み出すことにした。
 
周囲はやめてしまうのは勿体ないというし、50歳はまだこれからという考えもあるのだろうけれど、この二つの仕事は面白かったものの生涯を費やす仕事ではないと思っていたから、決断も早かった。
おそらく一度休んで、自由を満喫したかったのだろう。
 
10年は物事をひと区切りするのに相応しい単位であるようだ。全人に通用するかどうかは?であるが。。
核(コア)が変わっていく10年なのだ。
たとえば私個人のひとかたまりの10年単位ならば、20歳からの10年は結婚と出産。30歳から40歳の10年は子育て。40歳から50歳の10年は仕事が中心だった。まさに働き盛りであった。
このように振り返ってみると、10年単位で動いてきていたのがわかる。
 
現代は当然違うと思う。
妻、母の顔を持っていてもほとんどの女性は何らかの形で働いているし、10年ひと区切りではなく、時間の流れ方も社会の変動も超早い。
 
どんな時代と呼ばれているのか知りたくてネット検索したら※COMPANYさんより拾い↓
<現在は「VUCAの時代」(読み方はブーカ)と表現される通り、激動(Volatility)であり、不確実(Uncertainty)で、それらが複雑(Complexity)に絡み合っており、しかも曖昧(Ambiguity)という状態>とのこと。
またまた脱線しそうなので、このくらいにします。 
 
 したいことを、たとえば海外旅行ひとり旅など、今まで一度もできなかったことをしてみようと、強く思うようになりました。
娘たちは大学生になっていて、私が何日不在であっても困らない年齢になっていました。夫の食事も洗濯も、出かけてしまえば皆で何とかするはずでしょうし。。
 
1999年にピアニストのフジコ・ヘミングさんがNHKのドキュメンタリー番組で取り上げられ、その生きてきた激動の人生とリストの「ラ・カンパネラ」を初めて聴いた驚きでフジコさんのファンになりました。
 
近隣のコンサートにも出かけ、2001年6月にはアメリカのNYにあるカーネギ―ホールでリサイタルを開催するとの知らせが届きました。
 
前回書きましたように、私の初海外旅行は父と二人で「東南アジア3都市周遊団体ツアー」でしたが、その後は、母と娘たちとか、夫と娘たちとの家族旅行を年に一度のお楽しみとしてバリ島、ハワイ、東南アジアに出かけていました。
お正月は家にいて、おせちを食べて夫の実家の両親に年始挨拶と決まっていたので、家族旅行は夏休み行事になりました。
 
お盆前後は旅行客が多くて、我が家は夫も私も仕事が忙しく、時間ギリギリに航空会社窓口に到着なので2度もオーバーブッキングでビジネスクラスに回されました。
思えば、超ラッキーなことでした。普通では金額が高くて乗れません。それに今ではコンピューターが発達していてこんなアクシデントは絶対にないと思います。
思い出しても、アハハです。1990年前後のことですね。
あ!また脱線。。
 
フジコさんのコンサートをNYまで出かけて行って聴くというほど熱心なファンではなかったのですが、NYに一度行ってみたかったのでひとり旅の計画を立てました。英語なら何とかなるでしょうということで、度胸です。
仕事は前年にやめていたので、資金の関係上いかに安く旅行できるか、往復飛行機代とホテル代がメインですからいろいろ探しました。
飛行機はユナイテッドの安いチケットだったと思います。2001年の6月のコンサートは9.11の3か月前です。次にNYへ行ったのは次女とテロ半年後2002年の3月でした。(※これは次回に)
 
名のあるホテルは高いし安宿は怖いし。
結局、ユースホステルにしようと思いましたが、ユースには一度も泊まったことがなかったので、当時流行していたB&Bに宿泊することにしました。
ベッド&ブレックファーストでB&Bなんですが、民宿のようなものでした。
 
私が4日ほど滞在したB&Bは、日本人女性が経営する女性しか泊まれないところだったので2段ベッドだったような記憶ですが、とにかく安かったです。当時のメモと写真が見つからず、自分の整理整頓のしなさすぎに呆れています。
曖昧な記憶が、それでも戻りつつありますが、当時の地下鉄は、深夜早朝の時間帯さえ気を付ければそれほど怖くなかったような記憶です。驚いたことに、マンハッタンは地下鉄が地上を走る島でした。
 
今回の目的は、フジコさんのコンサートとジョン・レノンが大好きなので(もちろんヨーコさんも好き)セントラルパーク前のダコタハウスを見に行くことも大きな目的のひとつでした。
あとは、メトロポリタンミュージアムに行ってみたくて。
それとニューヨーク近代美術館(MOMA)も。「星月夜」のゴッホもゴーギャンもルソーもありました。
美術館の"らせん階段”が印象的でしたが、グッゲンハイム美術館が”らせん階段”だったのか、今となってはごちゃ混ぜです。
グッゲンハイムはカンディンスキーの絵がたくさんありました。
メトロポリタンミュージアムは位置付けとしては、パリのルーヴル美術館でしょうか。
 
最後に食べ物。
カリフォルニアロールを、テイクアウトもしているような小さなお店で初めて食べたのですが、気に入って何度も食べました。モスクワにもあります。今でも大好物でスシローに行くと必ず食べてます♪
 

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