アメリカ映画「チョコレートドーナツ」(2012年アメリカ公開、2014年日本公開)

              2020.8.21記  石野夏実 
 
 これは、1979年のカリフォルニアが舞台で、ゲイのカップルの恋愛とダウン症の少年マルコとの愛、ふたつの愛を描いているアメリカ映画です。

実話に基づくこの映画の製作&公開は2012年、日本での公開はその2年後。日本の題名は「チョコレートドーナツ」で原題は「Any Day Now」。「すぐにでも」くらいの意味でしょうか。チョコレートドーナツは、マルコの大好物。もっと深い意味があるのかもしれませんが、原題の方が私は好きです。
「Any Day Now」は、エンディングで歌われるボブ・ディランの「I Shall Be Released」の歌詞です。「Any Day Now」は優しく次の歌詞を誘います。

少しあらすじを書きます。
主人公ルディは、歌手を夢見ながらショーパブで歌って踊るゲイだけど、家賃にも困るほどのその日暮らし。ある夜、検察官(のちに弁護士)のポールが店を訪れ、ふたりは惹かれ合う。ルディが暮らすアパートの部屋の隣には、ダウン症のマルコが母親と住んでいた。薬物中毒の母親は、違法ドラッグで逮捕され、刑務所へ。
マルコは保護者不在で施設に送られるが、そこを抜け出し母と暮らしたアパートに向かう。彼がいつも抱えているのは、家族である大切な古びた女の子のお人形。
マルコは話せないわけではないが、話すのは不得手だ。うれしい時、楽しい時には笑う。その笑顔はまるで天使のよう。

ルディは、マルコを施設へ戻したくない。独立した子供部屋もあるような住居と、安定した職に就いているという条件でマルコを施設に送らずに一緒に住める申請が許可される。それには、ポールの職業や住居の助けが必要だった。
ルディとポールは、いとこ同士という偽の親戚関係を同居の理由にした。
マルコを引き取る条件を備えたポールとルディとマルコは、申請が許可され束の間の幸せな日々を三人で楽しく過ごしていた。ポールの上司にパーティーに招かれた三人は、上司に二人がゲイであると睨まれた。

70年代のアメリカは、カリフォルニアといえどもまだまだゲイに対する偏見も風当たりも強かった。
ルディとポールは、マルコを正式な養子にしようと動き出すが、ポールの検察時代の上司にゲイであることで阻まれ、母親の刑務所からの出所が養子縁組を拒む条件で予定より早く実行され、ふたりとの養子縁組は白紙になった。二人にとって、マルコのいない生活は寂しく味気なかった。

ルディは、ポールの助言もありデモテープをプロモーションに送ってプロとして認められ歌手の仕事が始まった。
一方、出所してマルコを引き取ったものの、生活力がなく売春と薬でしか生きていかれない母親。
客を取った母親に部屋から出されたマルコは、三日間彷徨って橋の下で死んでいた。
ラストシーンは冒頭のシーンと同じ設定だ。人形を抱え夜の街を彷徨うマルコ。
エンディングは、歌手として歌うルディの「I Shall Be Released」が映像と共に流れ、ポールが裁判にかかわった人々にタイプで手紙を打つ姿を真正面から映す。それらはマルコの事故死の記事を添えて彼らに届けられる。
 
大人がマルコを見殺しにした。たとえそれが事故死であっても、死ななくてもよかった命。マルコは、存在だけでエディとポールを幸せにした。
そして彼らからたくさんの愛情を受けて、もっと長く幸せに暮らせるはずだった。
 

「チョコレートドーナツ」は、感想よりもストーリーを書くことの方が重要ではないかと思いました。エディ役のアラン・カミングはエディになり切り、彼が歌うどの歌も心に強く届きます。ポール役もマルコ役もピッタリの俳優でした。
同性同士が愛し合うことにも、私は少しも違和感を感じません。どの人も、生きたいように生きればいい。誰と一緒に生きていこうと、自分が一番幸せであると思える相手と暮らせれば、最高ではないでしょうか。たった一度だけの与えられた「命」ですから。
 

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