ウォン・カーウァイの香港映画⑫「グランド・マスター」(2013年)
2023年8月 石野夏実
この映画が監督の最新作であるが、公開は今〈23年〉から10年前である。いまだ新作映画の話は聞こえてこない。
さてこの映画はカンフーの一代宗師(いちだいそうし)イップ・マン(=葉問)の伝記映画なのであるが、もちろん単なる偉人記録映画ではない。
主演はイップ・マンにトニー・レオン、共演はゴン・ルオメイ役のチャン・ツィイー。
監督作品でのふたりの共演は「2046」(04年)以来である。
ウォン・カーウァイの作品は、出来上がるまでに何年もかかるものが多く、この「グランド・マスター」も全くカンフー初心者だったトニーとツィイーであったが、撮影に入る前に何年も訓練を受けたそうである。トニーは4年とか。
ツィイーも3年くらいの年数の特訓を現役のグランドマスターたちから受けたそうである。
ツィイーのカンフーは踊るように美しい。身体がしなやかで動きも優雅でありながらダイナミックだ。全国的な舞踊コンクールで15歳と16歳で優勝しているという。彼女のカンフー姿をみるだけでもこの映画の価値はある。
マイナス30度の厳寒地でのロケは一番の見せ場だ。大晦日の奉天北駅を模したセットで3か月間、毎晩撮影したという。ツィイーが闘う相手は父を殺した弟子の馬三(マーサン)。
この映画を撮るためにトニーは2度骨折をしたし、ツィイーは腰を傷めて1週間寝ていなければならなかったそうである。
トップスターなのに、新しいことに挑戦し精進するふたりのような俳優が日本にいるだろうか、これから出てくるだろうかと思いを巡らした。
彼らが本気で練習に励むのは、監督への信頼と作品が持つ求心力なのであろう。監督の作品では、トップスターたちが何年もかかる撮影への参加を積極的に引き受ける。
今回はカンフー映画ということで恋愛話は本筋ではない、と決めてかかっていたのが間違いだった。
ウォン・カーウァイ監督作品で「恋心」が入っていない映画はひとつもないのであった。
この「グランド・マスター」の共演者は、北の宗師の娘でカンフーの達人ルオメイ=チャン・ツィイーである。
ふたりは一度だけ対決した。場所は遊郭の室内だった。スポンサーが遊郭の元締めなのだ。
ふたりは互角で、トニー(イップマン)の顔とツィイー(ルオメイ)の顔の距離がなくなった時、ふたりは恋に落ちたように見えた。
イップマンは店を壊した方が負けだと試合前に取り決めた。イップマンが空中から1階の床に舞い降りた時、床板が少し浮き上がった。
ルオメイの勝ちだった。
ルオメイは、この時の瞬間を人知れず胸に抱きながら生きてきたのだろう。生きる支えは、瞬間の一枚の絵があればそれでいいのだと思う。生涯で忘れられない瞬間の絵は誰にもあるはずだ。
日中戦争も終わり、時が流れた。ふたりは香港に住んでいて、ルオメイは医院を開業。イップマンは弟子を取って教室を開いていた。最後の弟子が十一歳で入門したかの有名なブルース・リーである。
イップマンは心を打ち明けなかったが、ふたりが文通を楽しんでいたことや、ルオメイの暮らす北に必ず行くと約束しコートまで誂えたことを慮ると、愛妻家ではあったがルオメイを好きであったことも確かであろう。
ルオメイが亡くなる前に、イップマンとルオメイは再会し心ゆくまで色々な話をした。これが最後の別れだった。
ルオメイは「あなたにお返しするものがあるの」と言ってイップマンが北に行くために誂えたコートのボタン(大事に持っていた)を差し出した。
「一番いい時にあなたに会えて幸運だった。もう時間がないの。『人生悔いなし』というけれど、そんなの嘘。悔いのない人生なんて味気ないわ。本当のことを言うとーあなたが好きだった。何も期待してないわ。好きに罪はない。ただ好きなだけ。秘密にしていたのに、あなたに会ったら口にしてしまった」
wiki等を読むと、イップマンには妻子を残し一緒に暮らした女性もいて、ふたりには子どもも生まれていたと書かれていた。
東北出身のルオメイは北の宗師のひとり娘であった。イップマンは南の代表として北の宗師と実戦ではなく問答で打ち勝ち、決着の餅割りにも勝利した。一部始終を見ていた若きルオメイはこの時からイップマンに恋をしたのであろう。
「本作は、構想期間を含め17年、準備期間7年、撮影だけでも3年を費やした」と監督は言う。
「『イップ・マン』を題材にして撮ると言った後、他の監督の手によって7、8本、イップ・マンの映画が撮られたんだ。僕は、映画を撮るのがすごく遅くて、他の人がすごく速いから、あまり言いたくないんだ」という逸話も紹介されていた。(MOVIE WALKERより引用)
=終わりに=
私は昨年(22年)からウォン・カーウァイ監督とその作品を少しずつ観てきたものの、監督の全作品の底流にある一貫したテーマは何であるかを、当初つかめないでいた。
「恋する心」なのかとも思ったが、4Kレストアされた5作品が全国で上映されたその予告編の「ブエノスアイレス」の終わりに「愛がすべて 人生はタイミングの問題だ 王家衛」と書かれていた。
黒澤明監督の作品に流れる共通したテーマは「生き方=ヒューマニズム」であると思う。
是枝裕和監督のそれは「家族」であろう。
行定勲監督は「ラブストーリー」であると思う。
ウォン・カーウァイ監督は「恋心」であることは確かであるが、もっと儚く脆い「切なく報われぬ恋」ではなかろうか。
88年の「今すぐ抱きしめたい」90年「欲望の翼」から35年が経った。
世界中の映画ファンに熱く支持され、斬新ながら重さを感じさせない独自の雰囲気を醸し出し、映画は総合芸術であると観客が確信せざるを得ない数々の作品を創出してきたウォン・カーウァイ監督。
映像作家と呼ばれるに値する第一の人。
動きのある撮影、台詞よりもモノローグ、映像と融合する音楽の選曲センスと色彩の巧みさは他に類を見ない。
この時期の作品を支えたのは撮影監督のクリストファー・ドイル、美術と衣装監督であり編集でも監督と二人三脚で走り抜いたウイリアム・チャン(「欲望の翼」と「楽園の瑕」の編集はパトリック・タム)である。
さらに盟友の俳優トニー・レオンやレスリー・チャン、マギー・チャン、クラウディ・ラウ、金城武、のちにチャン・チェン、チャン・ツィイーを得て成り立つ作品群を見ていけば、一作に何年もかかるとしても、10年のうちにこれほど多くの名作を創出したエネルギーを持つ監督は二度と出ないであろう。
そして何度でも観るに値する全作品の美しさと奥深さは、香港の特異性と中国(文化も含め)の歴史をさりげなく意識させるウオン・カーウァイ渾身の魔法であると思う。
〈 了 〉