フランス映画「オルフェ」1950年公開

第8回(2021.11.21)同人推奨映画

監督のジャン・コクトー(1889~1963)は私が中学生の時に亡くなった。だから、その短くも強い印象を与える名前は覚えやすく身近なのであった。
ただし、知っていたのは名前だけで、作品に触れたのはずっと後である。
肩書は詩人、小説家、劇作家、画家、映画監督、脚本家、評論家などなど。その芸術分野での多才ぶりは、総合芸術である「映画」によってもっとも発揮されたと思う。
「オルフェ」に限らずフランス映画は、映画の中で語られるセリフが、会話であったり独白であったりするものの、強烈に詩を感じさせる。それは言葉の放つ孤高な美しさが真理をまとっているからだ。

フランスは詩人の国。だから詩人として世間に認知されていれば、職業として成り立つし、とても尊敬される存在なのだ。
この映画「オルフェ」の主人公オルフェも詩人として名が知れ渡り、出歩けば注目の的であり、警察署長でさえ一目置いて丁寧に応対する。
街ではファンがスターのようにサインを欲しがるのだった。
ただし、彼はスランプに陥っていた。
オルフェ役は、ジャン・コクトーの長年の愛人であったといわれているジャン・マレー(1913~1998)だ。
彼は、ごつい感じのする丸みのない顔立ちである。このオルフェは意志が強く短気な役であるので適役であった。と、書きながら、コクトーはジャン・マレーのためにこの作品を作ったのかもしれないと閃いたが、wikiを読むと最初は違う男優と女優の予定だったらしいので、そうではなかったのだろう。交代した理由は何も書いていなかったので分からない。

ギリシア神話にもキリスト教にも疎い日本のパンピーな私は、観ているその欧州映画がそれらをベースに作られている、と知ることが多い。
この映画も、ギリシア神話のオルフェウス伝説を1950年のパリに置き換えたものとのことである。
怪しくも美しく冷たい感じのする、カフェでは王女と呼ばれ、最終章ではマダムと呼ばれる女死神役のマリア・カザレスも、適役であった。
「鏡」がこの世から冥界へ行く入り口なのであるが、あのピタッとした薄い手術用のような手袋は、鏡へ入る小道具であるが安っぽい。

冥界で死神が受ける裁判の裁判官たちのその辺の普通のおじさんっぽさには、もう少し工夫が欲しかった。
冥界の警察官の制服の異常にウエストを絞った幅広い革製のベルトの制服はお洒落なフランスのセンスが光っているのだから、裁判官の法服にも、もう少し奇抜なアイディアが欲しかった。

冥界の被告は死神で、裁判官たちは彼女に尋ねる
「彼の妻を連れてきたか」「ウイ」
「男を独り占めにするためか」「ウイ」
「彼を愛しているか」「ウイ」
「男の寝顔を見に行ったか」「ウイ」
こんなことが許されるわけがないし、嘘をつけば罰が待っている。共犯者として死神の運転手でお付きのウルトビーズと、証人としてオルフェが冥界に来させられたのだった。
  
自転車事故(死神が手配したオートバイ警官が故意にひき殺した)で死んでしまった妊娠中のオルフェの妻ユリディスをこの世に連れ戻したままにしておくには、オルフェは妻と顔を合わせてはいけないという条件があるのだが、そんなことは、ずっとできるものではなく、とうとう車のバックミラーでオルフェは妻の顔を見てしまった。(バックミラーも「鏡」である)その瞬間、妻の姿は消えてなくなる。

外が騒がしい。ガレージからオルフェが出る。ウルトビーズは車に隠してあった拳銃をオルフェに渡す。オルフェは乱入してきた騒乱者たちに銃を向ける。若者に銃が渡りオルフェは殺されてしまった。警察が来る、乱入者たちは逃げる。その間にオルフェの死体はウルトビーズと冥界の警官によって車に乗せられ運ばれる。冥界に着いたオルフェの遺体は、死神によって、死神とウルトビーズの念力の力でこの世での命を与えられる。
 
死神はオルフェと愛し合い、ウルトビーズはオルフェの妻のユリディスを愛した。
ウルトビーズのほうの愛は報われなかったが、ラストはこの世の人間を愛した冥界のこのふたりが犯した罪により警官に連行され、徐々に遠ざかる姿が影になり、終わっていく。
死神と出会ってからの記憶をすべて喪失し、出会う前の時間に逆戻りすることで、オルフェと妻は、元の愛し合っているふたりに戻った。

死神の、冥界での罰はどのようなものなのだろう。音のない静かな世界が、おそらく冥界の世界であろうから、死神の言うように、罰はけたたましく休むことのないバックで流れたアフリカ原住民の太鼓の音なのだろう。
冥界にいる者は、罪を犯してもすでに死んでいるので、もう一度死ぬという罰はない。
この映画は、一度観たくらいでは内容もきちんと理解しにくく、二度三度要所を繰り返し観直した。
全くタイプの違う二人の女性を同時に愛することは、おそらく可能であろう。これが一番ダイレクトな感想である。

※「黒いオルフェ」〈1959年フランス、ブラジル、イタリア合作)との比較であるが、どちらも良かった。
「黒いオルフェ」は3日間の、短いけれど一生分を生きた恋。
感電死で終わってしまった悔やみきれない悲恋ではあるが。
一方、コクトーの「オルフェ」は永遠の恋人。主役は、オルフェに恋した死神だったかもしれない。
主題曲の「黒いオルフェ」は、ボサノバ発祥の頃の1曲のようである。
ジャズの定番としても有名で、サックスからピアノから、もちろんギターまで、多くのミュージシャンに奏でられ歌われている名曲である。
コクトーの「オルフェ」には子供が出てこなかったが、「黒いオルフェ」の子役達の芸達者なことに大拍手。サンバの踊りもパンデイロも最高だった。
 
 

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