ウォン・カーウァイの香港映画①「いますぐ抱きしめたい」(1988年)

              2023年8月  石野夏実
     《序》
 
 ウォン・カーウァイは1958年上海に生まれ、5歳の時に家族で香港に移住した。ちょうど文化大革命勃発直前の1963年である。1か月後、文化大革命が起きた。迎えに行かれず兄と姉は上海に取り残された。
ホテルの支配人だった父親が本好きで、監督も子どもの頃からたくさん本を読んだという。兄姉と文通で近代世界文学の話をしたそうだ。.母親は映画狂で、小学校から帰ると一緒に映画館で毎日何本も観たとのことである。

大学ではグラフィックデザイン専攻であるが趣味は写真。 在学中からテレビ演出家の養成講座を受けた。テレビの現場を経てテレビと映画の脚本家としてたちまち頭角を現し多くの作品に携わる。※「CHINA  EXPRESS 北京~上海~香港~台北―疾走する電影都市」(エスクアィア マガジン ジャパン参考)
香港映画ニューウエーブ最後世代監督に位置すると思うがニューウエーブ第2世代との分類記載本もあった。
 
今回、1988年の初監督作品「今すぐ抱きしめたい」から2013年「 グランド・マスター」まで全10本+「ブエノスアイレス摂氏零度」ドキュメンタリー映画(1999)+オムニバスドラマ映画「愛の神エロス~若き仕立て屋の恋」ロングバージョン(2004)の合計12本を、監督の中長編作品として扱うことにした。
どれも表面的なストーリーだけを追う映画ではないので、何度でも観直すことをしたくなるし、新しい発見がある。
映像(=俳優と風景)と音楽とモノローグの三位一体が織りなす独特なウォン・カーウァイの作品の世界は、まさに映画が総合芸術であることを体感させる。 
今年〈23年)完成かといわれているカーウァイ監督&プロデューサー作品「繁花」は、彼の初の連続ドラマである。世は連続ドラマ時代だ。監督の出身はテレビドラマの脚本家であり、すでに配信先も決まっているそうなので、新たな楽しみができたと期待している。
  
  《作品の紹介と感想》
 
①「いますぐ抱きしめたい」(1988年)
 
初監督作品の「いますぐ抱きしめたい」は、監督の他作品とはやや違い、香港映画特有のド真ん中のノワール映画(暗黒、やくざ、犯罪など)である。
主演はアンディ・ラウ(1961~)、共演は恋人にマギー・チャン(1964~)、舎弟にジャッキー・チュン(1961~)で、3人がとても若く初々しい。
アンディ・ラウの目力の強さは、ハンパない。マギー・チャンは、化粧っ気もなく真面目そうな娘役である。ふたりは次作「欲望の翼」でも共演している。
原題「旺角卡門」(モンコクカルメン)の意味は香港屈指の繁華街モンコク(地名)のカルメンであるが、誰がカルメンなのであろうか。どうしてカルメンなの? である。
英題は「As Tears Go By」(涙あふれて)で、こちらの方がしっくりくる。 
邦題の「いますぐ抱きしめたい」とは、アンディの恋人に対しての思いなのであろうが、出来が悪いとはいえ可愛い弟分に対してなのかと思うほどの舎弟愛が場面ごとに溢れているノアール映画であった。
題名に関してだけでも、あれこれ考えさせられるのがウォン・カーウァイ作品である。
モンコクを縄張りにするヤクザの子分(アンディ)とその弟分と、そのまた弟分の三人が主人公アンディーのグループである。ライバルグループとは同じ組内で仲が悪く年中喧嘩が絶えない。
14歳で人を殺したことがあるチンピラヤクザのアンディの住まいに初対面の従妹マギーが病院通いのため数日間泊まりに来た。ふたりはいい雰囲気になりながらも、マギーは故郷のランタウ島へ帰っていった。
弟分のジャッキー=ジャッキー・チュンは、手のかかるトラブルメーカーだ。トコトン弟分の面倒を見るのが、ヤクザの義理人情なのだろう。面倒ばかり起こすジャッキーではあるが、アンディーはジャッキーを助けに、どこにいても必ず最優先で駆けつける。
マギーに会いたくて(前恋人にも愛想をつかされ、九龍のやくざ生活にも疲れているのだろう)訪れていたランタウ島から翌日急遽九龍に帰ることになったアンディ。
マギーの暮らすランタウ島でアンディーとマギーはやっと恋人になれたばかりなのに。
「今夜必ず帰る」とマギーに約束して飛び出したアンディは、対抗グループに叩きのめされ重傷を負って最終便のフェリーで帰ってきた。
アンディーと再会しなければマギーが結婚する予定だった医者に治療してもらって、ふたりはホテルに帰った。
 やくざ者のアンディは、マギーとの暮らしよりもジャッキーとの仁義を優先するが、自分もジャッキーも足を洗う潮時だとも思っているようだ。
翌日になると、すぐにまたジャッキーの弟分からジャッキー絡みで呼び出されて九龍に戻るアンディ。
英題「As Tears Go By」は、傷だらけのアンディが、九龍に戻るフェリー発着所行きのバスを見送る時に流したマギーの別れの涙からの題名だと思ったのであるが、明日をも知れないアンディーの心情でもあろう。
今度こそは、もう生きて会うことは出来ないかもしれないと思うマギーの不安げな表情と悲しみのひと筋の涙。主演アンディの歌「痴心錯付」が流れる。
 
アンディが最初にマギーに会いに島を訪れた時、アメリカ映画「トップガン」で有名な曲、ベルリンの「Take My Breath Away」が広東語カバーで「激情」として林憶蓮の歌で流れるが、その選曲に切なさがこみ上げる。
裏切者を殺す鉄砲玉に志願して大金を手にしたジャッキーは、弟分に兄貴分としてけじめの金を渡しに行き、その弟分がアンディーにポケベルで緊急事態を連絡したのだった。
アンディーは、故郷に帰っても居場所がないジャッキーを探し、人殺しをやめるよう説得するが、すきを見てジャッキーは逃げた。
私服や警官に護衛された裏切り者を殺しに行ったジャッキー。相手を撃ったが自分も警官たちに撃ち殺された。
アンディーが駆け付け裏切者にトドメの数発を撃ちこんだ。
しかし彼も警官に撃たれて死んでいくところでジ・エンド。
※台湾版はアンディーは生きていて… の別ストーリーとか。
 
やくざの世界を描いたノワール映画は、残酷で容赦ない暴力場面が多いので、私は出来れば観たくないジャンルであるが、今回は観るしかなかった。
この映画の後に続くウオン・カーウァイ監督作品を取り上げていくためには、避けて通れない最初の監督作品であるからだ。
2000年に制作された「花様年華」を、監督のどの作品よりも先に観てしまった私は、一番評価が高いといわれる「花様年華」に圧倒され、次に「欲望の翼」を観てあまりにも日本映画と違いすぎる感覚=色彩と音楽と軽やかさと刹那的な匂いにノックアウトされてしまった。ザ・香港なのだった。
思い返せば、この「いますぐ抱きしめたい」の街角や行きかう人々、建物、極彩色のネオン群は、かって80年代に旅行先の香港で観た光景そのものだった。
 
カーウァイ監督はマーティン・スコセッシ監督初の商業映画で、前号でも紹介した「ミーン・ストリート」にヒントを得たそうである。暴走する弟分のキャラクターはロバート・デ・ニーロが演じたジョニーを参考にしたという。
街角の映像も「ミーン・ストリート」のドキュメンタリータッチのスタイルと似ている。フランスのヌーベルバーグにも大きく影響されているはずだ。ゴ・ダールが好きと知り納得できた。
監督は幼いころ映画狂の母親に毎日のように映画館に連れていかれ、西部劇のジョン・ウェインからアラン・ドロンまで日に2~3本も観たそうである。大学生になりベルトリッチやゴ・ダール、小津や黒澤を観たという。
 

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