ウォン・カーウァイの香港映画⑤「天使の涙」(1995)

  2023年8月  石野夏実
 
原題は「堕落天使」、英題は直訳で「Fallen Angels」そして日本での題名は「天使の涙」。邦題はロマンチックな響きである。
しかしこの映画は群像恋愛劇であるが、主人公のひとりが「殺し屋」稼業であるため、二丁拳銃の早業で撃ちまくりのシーンが複数出てくる問答無用の映画でもある。
 
「恋する惑星」を前半=第1部(金城武モウが主人公〉、後半=第2部(フェイ・ウォンが主人公)と分け2部作とし、この「天使の涙」を第3部として一つの映画として観てほしいとウォン・カーウァイ監督は言っているそうであるが、重さ暗さを感じさせないポップな二作とは明らかに違っている。これは残酷非情場面ありのノワール映画でもあると思う。
香港という都市の持つ複雑な多面性は、暴力、暗黒を避けては通れない。 
 
映画の主たる登場人物は、クールでハンサムな殺し屋=レオン・ライ(1966~)、彼に仕事を依頼し密かに愛する女性エージェントにポルトガル系ハーフのスタイリッシュな黒髪美女=ミシェル・リー(1970~)。
ふたりが会うこともなく共有する部屋は、仕事場兼ベッドルームのワンルーム。
そこの管理人の息子モウ(「恋する惑星」の主人公と同じ名前。今回は5歳時にパイナップ缶の食べ過ぎで耳は聞こえるが発語ができない役)=金城武(1973~)
殺し屋が入店したマクドナルドは客が全くいない店なのに、わざと隣に座った少々イカレタ女のコ=カレン・モク(1970~)。
マックと全く場面設定は違うが、たまたまそばにいるモウに1ドルを借り、彼に失恋相手の男や相手の女の怒りをぶつける黒髪の美しい娘=チャーリー・ヤン(1974~)。
以上の5人は、売り出し中の若手スターの中でも選りすぐりのキャスティングである。
以前何度も書いたが、スコセッシも黒澤もウォン・カーウァイも映画はキャスティングで決まると述べている。先ずは俳優ありきである。
金城武は監督のお気に入り俳優の仲間に加わったが、一方で監督はレオン・ライのスター気取りが抜けなかったことが気に入らなかったという。彼の起用は一度で終わっているが、作品の評価は高い。
この作品でのモウは、夜中にシャッターが降ろされた商店に入り込み無断で商売をする。肉屋の豚の足で遊ぶのは序の口で、豚の丸焼き1匹を撫でまわし乗ったりもする。
この豚の場面は金城のアイディアだったらしい。その美しい顔で、豚を相手に遊び心満載のユーモラスなパフォーマンス。
暗いカーウァイ映画ではあまり見かけないが、この作品は明るい方のカーウァイ作品の要素もふんだんに取り入れられている。
金城武の若さを「陽」と読んでいたのであろう。

5人それぞれが絡み合いながら、ふたつの死=殺し屋(レオン・ライ)と管理人(モウの父親)を捉えていく。
「死」の瞬間は、というより「最後の記憶の瞬間」は誰もが「覚悟」しているのではないだろうか、と感じた。
余談になるが、意識不明でそのまま死んでいく人も、突然の事故で跳ね飛ばされ亡くなる人も、瞬間の覚悟「死ぬ!」という意識はあるはずだ。意識がなくなる直前の意識、ということである。
しかし、夜毎の睡眠は、すでに何万回も経験しているはずなのに,記憶しながら入眠することはない。
となると「死」の瞬間の記憶も、ないのかもしれないことになる。
ところが最近の実験では、心臓が脳に血液を送らなくなるまでの30秒間のタイムラグの間に、脳波は集中したり夢を見たり記憶を呼び起こしたりする高度な認識作業を行っている時と同じパターンだった、という研究発表も出ている。
入眠は心臓の停止と関係がないから「死」とは別物であるということになる。
 
ところで「天使の涙」で一番気に入ったのは、若いスターたちの美しさだ。ストーリーは新鮮さもあまりなく、盛り上がりにも欠け、やや平坦だと思った。俳優の個性勝負だけだ。
 
当時は、学者も評論家もウォン・カーウァイ作品に「香港」という地での大きな意味を求めたのだろう。一にも二にも香港の特殊性、返還という決められた約束の消滅と再生。狭い土地に大勢が暮らす世界有数の人口過密地帯。混沌の中の活力溢れる底知れぬ魅力の大都市、それが《香港!》
 

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