志賀直哉作「城の崎にて」(1917年)

志賀直哉1917年短編「城の崎にて」3月読書会課題図書
       2023.2.23記  石野夏実
 
 <あらすじ~Wikiより~>
東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に兵庫県の城崎温泉を訪れる。「自分」は一匹のの死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さったが石を投げられて必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。そんなある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。驚かそうと投げた石がそのイモリに当って死んでしまう。哀れみを感じるのと同時に生き物の淋しさを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」を省みる。
 
<感想>
「城の崎にて」(岩波文庫本「小僧の神様」他10編作者自選短編集)は、ページ数にして10ページほどの短編である。正確で細微な描写文体は、余分な装飾がなく簡潔明瞭で脳に直視的に訴える。
文庫に収められている他の短編と比較しても、より写実的でストレートでシンプルである。
志賀自身も良い小説とは「情景が目に浮かぶのが良い小説」と定義しているが、それだけではなく、氏の小説は他のどの短編の中にも明確なテーマがある。
「城の崎にて」のテーマは「命(生)と死」であると思うが、それは「無情」であり「無常」でもあると感じた。
  
この短編集の中では「小僧の神様」が一番好きであった。
良いことをしたはずなのに、何か割り切れない淋しい変な感じは、行動を起こしたほうの当事者として、何度も体験したことがある同感の感情であった。人情やお節介の類であろうか。
「城の崎にて」は、山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした~という文から始まる。
その後養生に、ひとりで城崎温泉に長期滞在した自分(一人称)が主人公であるので、随筆とも思えなくはないが、事件があってから4年経過後(漱石死後)の、きちんと構想を立てての小説であろう。
 
※1913年8月15日上京した際に山手線に跳ね飛ばされ重傷→12日後退院
    10月城崎温泉へ  
    12月末に武者小路実篤を介して漱石から朝日新聞連載小説の依頼
1914年正月 漱石を訪問 
     7月 上京して漱石に辞退申し出。以後休筆
1917年   執筆再開「城の崎にて」(漱石の死後) 
     
 
 
※※課題本の「城の崎にて」を読んでいたら文中に「范の犯罪」の話が書かれていた。また、この岩波文庫にも収めらている。これは、かなり以前に読書会で取り上げられたのを思い出し調べてみた。
クリスチャンのAさんが担当で、2012年11月のテーマ本だった。
裁判長は「無罪」にしたのであるが、難しかったのを覚えている。
殺人という行為における「罪」と「罰」を考えさせられる話であった。
 
 


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