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「5日間で2本の新作映画を観た」=『アンダーニンジャ』と『ゆきてかへらぬ』感想

「5日間で2本の新作日本映画を観た」=『アンダーニンジャ』と『ゆきてかへらぬ』感想
 
2025.2.27記  石野夏実
 
近所にシネコンがあり、先週末22日(土)に山﨑賢人主演の「アンダーニンジャ」を、26日(水)には広瀬すず主演の「ゆきてかへらぬ」(パンフレットの表紙は"YASUKO SONGS OF DAYS PAST”)を観てきた。
 
この英語題名以外に日本語の「ゆきてかへりぬ」が書かれていない。
あとで理由を考えることにしようと、バッグに買ったばかりのパンフレットを仕舞いあと5分の開始時間を待った。(今風のものにしたかった?のだと結論)
 
仕事帰りに観に行く平日午後2時前後の館内は、同じ料金なのに観客も少なくゆったりしていて、贅沢で良い気分になれる好きな時空である。
映画の観客年齢にもよるが、ポップコーンの匂いもなくおしゃべりも聞こえず、両隣に他者がいない空間は三連休の初日に「アンダーニンジャ」を観た時とは正反対であった。
 
さて、スズ&ケン。
シネコンの上映スケジュール一覧に、二人の名前の主役映画が並ぶのは珍しいことなのか?どうなんだろうと思いながら、、、
片やエンタメ、片や文芸と両極端に位置する作品を観ようと決めて出かけて行ったのである。
 
 ふたりには、過去に

たった1作「4月は君の嘘」の映画での共演しかなく、ドラマでも一度も共演していない状況は、ずっと勿体ない気がしている。
公認のカップルが共演することは、タブーなのか。なぜだろう。
プロデューサーでも監督でもいいので、ドラマや映画で共演の企画を出して欲しいけれど、ふたりの路線は絡まなさそうな気がしないでもないが、その気になればできるでしょ。
実生活もダメになりそうな予感がしてきている昨今、大方の予想を裏切って欲しい。
 
先ずは「アンダーニンジャ」感想から。
 
隠れ山﨑賢人ファンとしては、もっと早く観に行きたかったけれど、かなり出遅れてしまった。
この映画の公開は1月24日からで、すぐにでも観に行こうと思ったものの1か月後の2月22日に重い腰を上げてやっと観ることができた。
 
理由は、30歳の誕生日を迎え30代に突入しても、いまだコミック実写版の主役ばかりをしていて、いや、やらされていてなのか、よくわからないが、こんなんでエエンかい!と思ってしまう様な映画である気がしたからだ。
色々な役ができる俳優なのに勿体ないと。。。
いや、本人は肩の力を抜いて楽しんでいたのかもしれない。
そんな感触が、観終わってからしたが。。
 
どんな役でもこなせてしまう力量、偏にそれは欠点の全くない顔の造作=目鼻口(八重歯を抜いてからの歯も)の美しさとバランスの良さ、並外れた運動神経の賜物でもあると思うのであるが。。
身体の動きは、「動」の中にそれ以上の「静」を纏っていると判断する。
それは、佇まいが儚さと美しさを併せ持っているからでもあろうか。
したがって、もっと文学的な文芸作品の主人公をさせてもいいのではないかとずっと思っている。
 
 
さて今回は、花沢健吾のコミック原作、福田雄一監督&脚本での現代ニンジャ役であった。
どんな映画であるのか、ほとんど話の内容も原作の好評も知らずに、いつものように近所のシネコンに山﨑賢人の映画を観に行くという目的が最優先で出かけた。
 
おそらくというより確実に世間では実写版日本一の若手俳優として認知された存在であろうが、私は「劇場」(2020年)や「羊と鋼の森」(2016年)の山﨑賢人の方「も」好きなのである。
 
「が」にせず「も」にしたのは、エンタメ系、シリアス系、いや漫画系、文学方面小説系問わず、求められる主人公に成りきれるからである。
おそらく頭で考えるより身体全体で役を引き受け、その人物に成りきれる。。。と思うのであるが。。監督の注文が、描く姿が、おそらく全てであろう。
憑依型ではない。が、成りきれるパワーには複雑な計算は絡んでいないと思う。
他の方の意見はどうであろう。
 
今回の雲隠九郎というニンジャ役は、実力はありそうだけどかったるそうなニンジャでもあるので、最初の登場時から無精ひげを生やし、薄汚れてだらけている雰囲気なのであった。
 
狭くて汚い、物も置いていないアパートで、暇を持て余しゴロゴロしている。
隣室の住人であるムロツヨシと押入れの襖を開け閉めする単純なギャグをしつこすぎるくらい何回も繰り返す。
本人たちさえも途中やや吹き出しながら繰り返しているバカさ加減を、評価するべきなのか?どうなのかであるが。。。
 
もう一つ、佐藤二朗が作家の役をしているのだけれど、白石麻衣の編集者を相手に全くサムくてウケナイしらける踊りをするのであるが、いで立ちといい、セリフといいギャクと動きといい、明らかに観客のウケ狙いの逆バージョンの自虐バージョンであったと思う。
原作に忠実なのかもしれないが、読んでいない私のような観客にはユーモアのユの字の1%も伝わらない。ドッチラケしかないのである。
 
これが福田ワールドの個性なのか?悪ふざけなのか?真骨頂なのか?わかってて取り入れているとは思うものの、笑い取り狙いなら私は代金返せと言いたかった。
 
しかし、山﨑賢人の脱力感と半分死んだような眼は、この映画の雰囲気に合わせたものなのかもしれないと思ったのは、最後の最後に雲隠九郎が死んで十郎が出現した時、いつもの山﨑賢人の目になっていたので、それまでの生気のない目は、わざとしていた演技だったと理解できた。
 
もっと暗くて重い役をやらせてみて欲しい、それが観たいと思うファンもいるはずだ。
キングダムもゴールデンカムイもいいけれど、平成の坂本龍馬が福山雅治だったら、令和の龍馬をやらせてみたいし、福沢諭吉=山﨑賢人、大隈重信=菅田将暉で大河ドラマなどをお願いしたい。福沢と大隈は知り合いであった。
 
かって菅田将暉が「ビジュアル100の中身ゼロ」と評した山﨑賢人であったとしても、その頃よりすでに何年も経っていて主演映画の文学作品だって読んだはずである。
多くの監督や脚本家とも出会うことによって知識も増え素養も深まったのではないだろうか。
広瀬すずも同じだ。ふたりは共通点も多い。
デビューが15歳辺りで子役期間を経ぬまま苦労なく大きな役を手に入れ大人の世界に入っている。
ふたりは体育会系でバスケとサッカーに邁進。きょうだいの一番下に位置し人間観察も学んでいるので、他者とのバランス感覚がいいはずだ。
 
30歳になった山﨑賢人がこれからの10年、どんな風に変わっていくのか楽しみである。変わらなかったら、菅田将暉の言うように、ただの。。である。
仕事が減っても変わるべきだ。
 
 
さて、広瀬すずの「ゆきてかへりぬ」についてです。
 
第一印象は目を見張る映像美の見事さ。京都の雨。赤い蛇の目傘。黒い屋根瓦に大きな赤い柿ひとつ、転がらずにそこにある。
2階の部屋から泰子(広瀬すず)登場。
 
登場人物たちもみな美形、頑張って作った2025年公開の文芸映画だと第一印象は好印象。
世間の評価は、中身は読んでいませんがかなり辛口の☆の数。
今の若者たちにはウケないのか。。
 
この映画で演じているのは、今の俳優としては旬で先端を行く俳優の広瀬すずと岡田将生なので、ややモダン過ぎの感も。そこも考慮して観るべきだと思いますが。。
それとも、題材が古いのでしょうか。
三角関係は古くはないテーマ、有史以来永遠の嫉妬と絶望と失恋のベクトル。
 
※これは実話をもとに映画化されてはいるものの、年齢や状況には誤差もあり。
映画は映画として一つの作品として見るべきで、原作と少し違っていてもそれは許容すべきかと思う。ドキュメンタリーではなく俳優とセット空間を介しての創作なので。但し、大幅変更はダメです。
 
この映画は、詩人中原中也(木戸大聖)と年上の文芸評論家小林秀雄(岡田将生)の友情、それに絡む早熟な17歳中也の同棲相手である3歳年上の大部屋女優の長谷川泰子、その3人の三角関係の顛末である。最後は中也の葬式(1937年逝去)がすんだところまでを描いている。
 
広瀬すずによると、主役の泰子役のオファーは3年前で撮影は2年前であったと書かれていたが、これぞ令和の文芸映画である。
2025年公開の映画なので、今から100年も前の実際にあった話が元になっている。
大正末期から昭和初めの話なので、泰子の出演映画も無声映画であるし、派出な模様の着物姿もモダンな洋装も実に絵になる。
中也定番のつば広帽子とマントも小林の洒落た洋服も独自のセンスを貫いている。
映像に関してもセットが実に丹念に作られ、美しい映画であった。
 
セットを組んだままずっと使用の順取りということで、俳優たちの演技も徐々に慣れていっている。
木戸大聖の容姿は中也にピッタリ相応しく良かったしマントも帽子も似合っていたが、最初の京都時代の声が良くない。
俳優は、容姿と声が全てである。その声質が良くない。
ただし撮影終了は2年前ということなので、今の木戸大聖の声を聞くとヴォイス訓練でもしたのか、とても良くなっていると感じた。
 
広瀬すずも岡田将生も美しさだけでなく、声の個性も併せ持つ。
声質は、俳優の素質の大きな部分である。
 
映画の内容に関して、この3人の有名な三角関係は映画を観るずっと以前から知っていて、中也の詩集も有名な2冊(青空文庫にもある)ので読み直してみたが、手元にある佐々木幹郎編「中原中也の恋の歌」(1998年発行)の方が青空文庫の詩集より映画とリンクしていて、迫りくるものが多い。
 


このポケット文庫の解説を書いているのも佐々木幹郎なので以下に抜粋の要約を。
 
 中也は30年という短い生涯の中で恋の歌を多く作ったが多くは泰子宛だ。
16歳の時知り合い、泰子は19歳。2年間一緒に暮らし、その後一緒に上京。東京では京都時代の友人の富永太郎の紹介で文学仲間の交遊も広がり小林とも知り合う。小林と泰子は恋仲になり、やがて泰子は小林のもとへ去る。
泰子との別れは中原にとって想像できないほどのことだった。
この時以来「口惜しい人になった」と言い続けた。
小林は28年5月に泰子と別れる。小林は3人の関係を「奇妙な三角関係」と呼んだ。
この関係が終わっても泰子は中原の元には帰らなかった。
泰子の存在は、中原を詩人として小林を批評家として鍛え上げた。
中原の恋の歌は、泰子と別れてからのものがほとんどだ。幸福の最中は気づかず失って初めて気が付く。以下省略。
 
吉本隆明は書物でも本格的な「中原中也研究」をしているのが、リンク自由の講演会から下記引用。
 
中也の未発表の「怨恨」という詩です。
 
「怨恨」
 
僕は奴の欺瞞に腹を立てている
奴の馬鹿を奴より一層馬鹿者の前に匿すために、
奴が陰に日向に僕を抑えているのは恕せぬ。
そのために僕の全生活は乏しくなっている。
嘗て僕は奴をかばってさえいた。
奴はただ奴の老婆心の中で、勝手に僕の正直を怖れることから、
僕の生活を抑え、僕にかくれて愛相をふりまき、
御都合なことをしてやがる
近頃では世間も奴にすっかり瞞され、
奴を見上げるそのひまに、
奴は同類を子飼い育てる。
その同類の悪口を、奴一人の時に僕がいうと、
奴はどうだ、僕に従って其奴等の悪口をいう。
なんといやらしい奴だろう、奴を僕は恕してはおけぬ。
 
っていう、そういう「怨恨」っていう詩があります。これは、研究者の人はなんていうかわかりませんけど、ぼくは、この「奴」っていうのは、小林秀雄だって思っています。
そんなに簡単じゃないんですけど、中原中也の感情も簡単じゃないんですけど、簡単に、あいつだから許そうっていうものでもないわけで、それは、男女の関係の非常に特徴なわけでして、それは、怨恨もあるし、仕方がないやってあきらめもあるし、悔しさもあるしっていうことが渦巻いて、中原中也の後半生の感覚、あるいは、感性っていうのと、生き方っていうのを変えてしまうわけです。
その次の『在りし日の歌』っていう詩集は、中原中也が自分で編纂したんですけども、それは、小林秀雄に、折があったらこれを出版してくれっていうふうに、小林秀雄に託して、自分は東京の生活をやめて、山口県のほうですけど、故郷へ帰ってしまうわけです。それくらい、中原中也の一生涯の後半を変えていったといえば、変えていった事件であったわけです。
 
以上「吉本隆明の183講演-ほぼ日刊イトイ新聞より抜粋
 
色々な手持ち資料から鑑みると、この映画は全てわかって知った上で映画化に向けて丁寧に書かれた脚本を使い、イメージを膨らませ最上のキャスティングで臨んだ16年ぶりに待たれていた監督=根岸吉太郎、脚本=田中陽造の手になる堂々の文芸作品なのです。
 
様々なエピソードを盛り込んだ光景も細部まで手が込んでいる。
例えばマントを翻しながら中也が滑るローラースケートであったり、中也の元を去る泰子の荷物をあれもこれも増やして小林宅まで一緒に運ぶ中也であったり、3人で飲むウイスキーや、生活費を前借する小林、買い物かごを下げた小林、満開の海棠の下の中也と小林、最後は3人で踊ることになったチャールストンなどなど。
一番怖くて説得力があったのは、中也が小林と泰子の住まいに運んできた自分のとお揃いの大きなボンボン時計。
神経が参ってしまっている泰子がさらに悪化する。同じ音がする時刻を向こうで中也も共有している不気味さ。3人共狂っていた最後の青春時代か。
 
中也の小道具の幼いころ遊んだ宝物入れの箱。この中に入っていた母親が編んだ一番大切な小さな赤い手袋。
泰子の引っ越しの茶碗に丸めて入れプレゼントしたその手袋。それは僕の心臓だと。
最後に泰子が焼き場で中也の顔を見たとき、棺に入れた赤い心臓の様な丸めた手袋。
 
「骨になるのを見たくない」という小林と最後の別れ。焼き場の煙突から煙がたなびく。
 
私は中也ファンでもないし、監督や脚本家もほとんど未知の人であったから、素直にこの映画が観られたのかもしれない。
背丈が151センチほど?といわれている小柄な中也は、小林と並ぶとおそらく子どもの様であったと思う。
お金の苦労も知らず、職にも就かず、好きなように生きることができた(遠縁の女性と結婚しかわいい盛りの2歳で子供が亡くなった)中也であるが、喪失の歴史は続いた。
 
失恋し、愛する人を奪った相手は親友。
その後の関係も背負いながら生きた短い生涯の晩年は、詩作しかなかっただろう。
自分に正直に生き、現実と向き合い凝視し、言葉に表し遺す。
それらの詩により、100年後にも読まれる詩人となった。
 
黒い帽子を被った有名なポートレートは「詩人宣言」の記念で、18歳の頃のものらしいです。
 

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