ウォン・カーウァイの香港映画⑪「マイ・ブルーベリー・ナイツ」(2007)

                  2023年8月  石野夏実
 
監督の初の英語作品が2007年に公開された。監督名を伏せてこの映画を観たら感想はどうなんだろうと考えると評価は5段階の4前後で落ち着くのではないだろうか。話に無理はないし全体としてストーリーもまとまっている。映像も凝っているのにそれを悟らせない自然さがある。
しかし、これほど豪華にスターたちを使わなくても無名の俳優たちで成り立つこともできる内容の映画ではないだろうかと思った。そうすると監督がウォン・カーウァイである必要がなくなるわけであるが…
これは派手な映画にする必要がない内容の映画で、主人公の若い女性が失恋から立ち直るために旅に出る再生の物語でロードムービーである。

その旅先で、何人かの人と出会い大きな出来事があり人生というものを見つめることになった300日間アメリカ横断5000マイルの足跡なのだ。
テーマは「恋心」や「恋のゆくえ」が第一ではなくもっと深く「人生」になったように感じた。
結局彼女は自分の戻るべき場所がわかりNYに帰って来るのであるが、その間に彼女が出し続けたたくさんの葉書は、NYのある人宛てだった。

セットは使わずオールロケであったが、当初NYでのオールロケで撮影しようと考えていたが、あっという間に予算オーバーになることが事前調査でわかったので、旅に出るというストーリーになったそうである。

もちろんバーやカフェもそのままで使用。
いつものように、徹底的にロケハンをした。NYからロスまで数限りない場所を訪れ3回自動車で大陸横断、帰りは飛行機の強行軍。(「ブエノスアイレス摂氏零度」の徹底した場所探しドキュメンタリーを思い出す)
同行者は長年の相棒編集者ウイリアム・チャンと撮影カメラマンのダリウス・コンジ。
小道具や壁紙ひとつ、車の型式配色にも心を配る監督たちだから、主人公のノラ・ジョーンズがそれぞれの旅行先の職場で着る制服のデザインと色にも拘ったと思う。可愛いのだ。
 
今回のジャズ系シンガー・ソングライターのノラ・ジョーンズ主演、ジュード・ロウ共演「マイ・ブルーベリー・ナイツ」は、出演者とロケ地がアメリカであって映像といい選曲といい監督色濃い映画であったが、ルート66も、そこを走るノラとポートマンが各々の愛車を運転する姿もアメリカっぽかった。
夜のバーは赤色イメージ、お店のさりげない雰囲気や個性は最高であるが今回の撮影はクリストファー・ドイルではなくダリウス・コンジとのことであった。監督の指示やフィルム編集の時点で、ウォン・カーウァイの色彩は健在であった。
共演者の顔ぶれも、いつもながら豪華である。
ノラは旅行先で車を買うためと不眠症という理由で昼も夜も働いていた。忙しくしていた方が色々考えないで時間が流れていくからだろう。
最初の旅先テネシー州メンフィスでは昼はダイナーで、夜はバーで働いた。
そこで知り合ったアルコール依存症の警察官アーニーにデヴィット・ストラザーン、そして彼の若くて美しい別居中の妻にレイチェル・ワイズ。
もう1カ所の短期就業滞在地はカジノのラスベガスで、こちらも若くて美しい女ギャンブラ―のレスリー=ナタリー・ポートマンと知り合い、ひょんなことから行動を共にする。
ノラとジュード・ロウを共演させ、ナタリー・ポートマン、レイチェル・ワイズの美しい主役級女優ふたりを惜しげもなく脇役に使った贅沢なキャスティングだ。
 
監督からノラに映画の話が来たときは、楽曲の提供かと思ったそうだ。
しかし彼女は事前に観た監督の作品が気に入り、映画初出演初主演であったけれども承諾したとのこと。歌手ノラ・ジョーンズが歌う主題歌は「The Story」。映像と一体化し、しみじみと情感が漂う。
ノラは、いい加減な妥協で映画に出演しない性格だと思うので、監督を信頼していたのであろう。もちろん、監督はノラを主演でストーリーを描いていたと思う。
 
ノラの役は突然の失恋による失意のドン底の女のコの設定ではあるが、彼女が恋人のことを聞きに行ったカフェのオーナーにジュード・ロウが扮している。
そして題名にもなっている「ブルーベリー」はいつも売れ残る、というより全く手つかずで売れないデザートの「ブルーベリーパイ」なのだった。
それでも定番のそのパイは、焼いてお店に出しておかないと気がすまないオーナー。自分は特製モンブランを食べる人。
すぐ向かいのビルに、ノラをフッた彼の部屋が見える。
そのお洒落なカフェの名前は「カフェ・クルーチ」だ。※クルーチとは、ロシア語で「鍵」のこと。
この店は、思い出と共に鍵を入れておくガラス瓶があり、鍵の数だけストーリーがある。
失恋したノラは、何度も閉店時間の客もいなくなったその店に行きオーナーを相手に会話する。ブルーベリーパイを食べながらカウンターで眠ってしまったノラ(役名はエリザベス)の唇に白いクリームのあと。指で拭こうとしたジュード・ロウ(役名はジェレミー)は、その指を止め。。おそらくキスをしてふき取った。
この場面が,同じ設定でもう一度出てくる。ふたりが再会後のラストシーンでだ。DVDの表紙にもなっている。
この頃のジュード・ロウは本当に美しい。長いまつげは何気なくうつむいた時、最高の絵になる。
ノラは横顔が美しい。監督は、俳優たちの一番美しい表情、角度をとてもよく知っている。
ノラは恋人との思い出の部屋の鍵を残して、旅に出た。
失恋の地このNYから、いちど遠く離れる旅に出たいと出発してしまったノラであった。
メンフィスから、ラスベガスから、ノラはジュードに葉書を送る。住所も書かず一方的に頻繁に送る。店に届く葉書をジュードは楽しみに待つ。

ジュードはガラス瓶に自分の鍵も入れておいた。その鍵のストーリーも他人事のようにノラに聞かせたことがある。
その元カノがある夜突然ジュードに会いに来た。彼女は未練が残っているから会いに来たわけであるが、ジュードの心はもうノラが占めていた。大人の会話をして最後のキスをして元カノとはきれいに別れることができた。

ノラの帰りを待つジュード・ロウ。
再会のラストは、ブルーベリーパイが待っていた。

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