見出し画像

「2025年も5日過ぎて」

ー2025年も5日間が経ちつつありー
2025.1.5(日) 石野夏実
 
 年が変わり、すでに5日も過ぎる夜に、「あけまして~」は「明けまして」より「開けまして」とか「空けまして」の方が、しっくりくる気がするわ~などと文字打ちしながら、思いました。。
数字が好きなので、すぐに365分の5=73分の1が既に過ぎてしまったと変な感傷にふけったりして、しばし指が止まります。。
 
今年もnoteで、よろしくお願いします。
 
ところで大晦日の夜に、2025年は、海外を中心に出かけて見てきた街、町、村の様子を書き残しておこうと思い立ったものの、何から何所から書こうかなと思っていました。
一番記憶に新しい、逆に言えば最後に出かけたところ(18年初夏のロシアのモスクワ)から書こうかなと思ったのですが、今朝、寝起きに父とふたりで行った最初で最後の海外旅行を思い出したので、順当に初海外旅行から書いていくこと決めました。
 
久しぶりに亡き父のことを思い出して、午後から最初に作ったパスポートを探し始めましたが、紛失してありませんでした。
夫のものは3冊出てきたのですが、私のは今のところ10年物が2冊だけ。
いつ出かけたかはアルバムに頼る以外ないようです。
 
年号は、数字が好きなので生まれ年1949年から家族状況で計算してわかるのですが。。。
例えば、娘たちが何年生だったとか、夫の大阪転勤で一家で5年豊中で暮らした時期とかから起算するわけです。
 
神奈川に戻り本格的に仕事を再開する前に(1988年)、建築関係自営業の父が、海外旅行、といっても東南アジアが中心でしたが、母と二人でツアーに参加しハマっていた時期でした。
当時は60代で身体も元気で動けるのと、金銭的な余裕もあったのでしょう。時はまさに1980年代のバブル期です。庶民が海外旅行に目覚めた時期です。
 
私が仕事を再開したら、なかなか海外旅行には行かれないだろうから連れて行ってやろうということで、母が我が家の夫と娘たち(小6と小2)の世話をしてくれました。5日間くらいの旅行だったと思います。
JALパックかJTBのルックツアーで「タイのバンコク、シンガポール、香港の三都市を周遊する5日間の旅行」でした。
タイが父のお気に入りだったようで数回行ってました。私は何度も行かれないだろうからという理由で、一度に行かれる三都市周遊の旅行を選んでくれました。
 
ほとんど自由時間がない団体旅行でしたが、6月という時期でもあったので勤め人や家族連れ、学生もほとんどいなくて、自営業の方が多かったと思います。無職の若者も二人でツアーに参加でした。
周囲とは浮いているというか挙動不審でサングラスを時々かけて、周囲とは違和感のある二人組だったので「何かの運び屋」ではないかと小声で噂する参加者もいました。
私たち父娘は、最初は初老のオヤジが愛人を連れてきているのではないかと参加者には思われていたそうです。
実の親子だと知って皆で大笑いでした。
そんなこんなで寝るとき以外はほとんど一緒に行動する団体旅行が、一般庶民の間に瞬く間に広がった1980年代でした。急激な円高もあったのでしょう。
今夜は、ここまでです。
明日から、仕事ですよね。早く寝ないと。。。

「家内安全 商売繁盛」を京都の八坂神社、清水寺、伏見稲荷、奈良の薬師寺、興福寺、東大寺に信心していないのに三が日祈ってきました。
これは"にわか信者”というより、自分との約束かな。
また1年間、老いを忘れず怖がらず、頑張るぞと心(脳)に伝えました。


いいなと思ったら応援しよう!