トオマス・マン作「トニオ・クレエゲル」

トオマス・マン作「トニオ・クレエゲル」(実吉捷郎訳)感想
          2021.11.5記  石野夏実
 ※同人誌の2021年11月読書会のテーマ本の感想です。

 今月の読書本を、昭和27年の岩波文庫が低本のkindle無料本で読んだので、訳が少し古臭く大げさなのは仕方がなかったが、ちゃんとした新しいものを買えば読み方も感想も違ったものになったのであろうか。

そもそも、過剰な自意識からくる(偽りの)自信喪失、自身が持ち得ていないものへの異常な憧憬、見えているだけの表面的な「美しさ」に対する偏愛。これが14歳の頃のハンスに夢中になっていたトニオ。
美少女インゲボルグは、トニオが16歳の時に好きになった異性の女の子だ。インゲへの思いも描写も恋する少年の立場からきちんと書かれているのでバイセクシャルだったのだろう。(作者自身も結婚し6人の子供がいたそうなので、トニオと同じと思われる)

中ほどは、リザベタという女性画家の家での問答。リザベタは聡明で、単刀直入にトニオの評価を下す。
「あなたは横道にそれた俗人。踏み迷っている俗人」
 
秋になりトニオは「風を入れに逃げ出し逐電しにデンマークへ旅行に出る。13年ぶりに故郷(訳では発足点)にも立ち寄ります」とリザベタに告げる。

最後は、旅に出てからの話。リザベタが、必ずくださいねと約束した彼女宛の手紙で終わる悟りの境地の独白。

自己の精神の多面性の容認は、北方的な父の気質(几帳面で憂鬱)と母の外国的な血(情熱的で官能的で衝動的なだらしなさ)の混合のものとの自覚が生じてから。
旅での収穫は、ある時は芸術家、ある時は俗人。それでいいのだと思うことでとても生きやすくなったトニオ・クレエゲルであった。
※そんなにグタグタ理屈っぽく悩まなくったって、どんな人もそれぞれに感情があり感受性は研ぎ澄まされていて、他者が思うよりずっとデリケートなんだよってトニオに言いたいわ、と思いました。
他者を一面で評価するのは傲慢だよとも言いたい。
それに、生きて生活していること自体、誰もが俗人だよ。
 
最後に、マン原作の映画「ベニスに死す」(ルキノ・ヴィスコンティ)が大のお気に入りの女友達がいますが、私には公開された当時も今も、あの狂気を理解容認することはあっても、好みからいえば好きな映画とはいえませんでした。
偏執だと思い「美」って何なの?と思ってしまったのですが、マンもビスコンティも、描かずにはいられなかったのでしょう。
それが性(サガ)と呼ぶものなんでしょうか。
 
理屈っぽいドイツ人気質は、哲学も文学も音楽も最高級のものを生み出した。
マンは1875年に生まれ1955年に亡くなるまで80年の生涯、まさにドイツ人らしく己の「生」と対峙し生き切ったと思う。

提出が遅くなりました~。マンを調べていたらワイマール時代に行きつき、ヒトラーとマンの関係が興味深くて、ハマってしまいました。
それとトニオ時代辺りまでのワグナー、ベニス時代のマーラーも聴いたりなんかして。。
横道にそれ過ぎましたが、読書の機会がなかったら、それらもなかったでしょう。有難うございました。  
   

いいなと思ったら応援しよう!