デイミアン・チャゼル監督作品「バビロン」

デイミアン・チャゼル監督2023年日本公開「バビロン」感想
2023.2.14記            石野夏実
 
2月10日金曜日公開だったデイミアン・チャゼル監督の超大作「バビロン」を数日遅れで本日(2/14)鑑賞。
映画館は平日午後1時始まり3時間超えということであるが、客席も前方は全く埋まっていず、後方もまばらであった。

初っ端からハリウッドの真夜中乱痴気騒ぎの破廉恥パーティーを結構時間をかけて流し、まずはフイッツジェラルドの小説「ジャズエイジの物語」「グレート・ギャッツビ―」映画ではディカプリオ主演の「華麗なるギャッツビー」を思い出させたが、この映画の方がとてもグロい。
そして手の込んだシーンとキャストを見ただけでも、どれくらいの製作費がかかっているんだろう、などと心配になった。
 
※Wikiより~ジャズ・エイジ(Jazz Age)は、狂騒の20年代と呼ばれるアメリカ合衆国の1920年代の文化・世相を指す言葉である。フランスの「レ・ザネ・フォル」(狂乱の時代。Années folles)に相当する。F・スコット・フィッツジェラルドの『ジャズ・エイジの物語』(1922年)に由来する。
第一次世界大戦が終結し、ジャズが時代の流行の音楽となり、享楽的な都市文化が発達した時代で、大量消費時代・マスメディアの時代の幕開けでもあった。1929年世界恐慌により終焉を迎えた。
 
この乱痴気騒ぎの悪ノリやエロを超えてのグロい映像は、今までのデイミアン・チャゼルの映画にはなかったと思うので、とうとう彼も普通の監督になってしまったのかと思ったが「ラ・ラ・ランド」よりも前にこの狂乱の時代の着想があったそうであった。。。

「この映画は、映画の歴史の大転換期=サイレントからトーキーに移行する変動の時代を主役一人を追うのではなく、主軸を3人にすることによって、この時代が大不況の時代と重なる激動の時代であることを描きたかったのである」とインタビューでデイミアン・チャゼルは答えている(映画パンフレットより)
同人誌の随筆末尾にも書いたのであるが、映画や小説の作り手の初期作品(処女作から3作目くらいまでか)は、その作り手の訴えたいことが一番濃厚に全力で注がれているので、そのあとに作るものは、魂を揺さぶる新鮮さがもはや無くなってくる。悲しいかな、それはいかに優秀な作り手でもだ。
 
アレンジ勝負の具象の画家や譜面前提の音楽家(歌手、楽器演奏)は、少し違うのかもしれない。技術の上達が観客を魅了し、それは日々の努力の上に成り立つからだ。もちろんプラスαは必要であるが、ゼロから創出する能力とは別物だと思う。
どう違うのか、もう少し見極めたいが、原作なしのオリジナルで勝負の監督も小説家も、あるいは作曲家も、次々に新作を世に送り出すことは、きついだろうと思う。
なぜなら、ひとりの人間が他者に比べてどれほど有能でクリエイティブな脳をもっていても限界があるからだ。それは人間だから当然だと思う。
原作がある映画の場合は、その都度の物語の捉え方と表出方法を考えればいい。コアは原作という形ですでにあるから、楽である。
ゼロから作る必要がないからだ。
 
 この「バビロン」は、ディミアン・チャゼルの今まで観た3本の映画「セッション」「ラ・ラ・ランド」「ファースト・マン」とは全く違う視点で、サイレントからトーキーに移り変わるハリウッド映画界全体を描写していた。上記3本はいずれも個人に照準。「ファースト・マン」は歴史上の著名な人物、人類初の月に降り立ったアームストロング宇宙飛行士を主人公にしているが、それでも彼にそれほど歴史的な偉業を背負わせていない。

この新作に関しては、コロナなど大きな複数の外的要因もあったと思うが、当たらなかったら大赤字ではないのかと心配したほどだ。
申し訳ないが、失敗作だったと思う。琴線に触れなかったのだ。
 
次作で挽回してほしいが、アイディアに枯渇はないのだろうか。創りたいものは創ってしまったのだろうか。 

*****************************

追記:豪華なキャスティング、こだわりのセット、大道具小道具、エキストラなど半端ない費用のかけ方で、製作費推定8000万ドル~1億ドルで興行収入は6300万ドルだそうである。
因みに「ラ・ラ・ランド」は制作費3000万ドルで興行収入は4億4500万ドルであった。次作の情報を探したが、25年公開予定の映画を撮るというニュースは24年4月に流れたが、内容は未定(2024.10.22)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?