日本映画「彼女がその名を知らない鳥たち」感想

同人推奨(2021.8.22)映画「彼女がその名を知らない鳥たち」(2017年10月公開)

1か月ほど前に同じ白石和彌監督の「ひとよ」(2019.11公開)を観て、掲示板に感想を投稿した。「ひとよ」は一気に観ることが出来たが、この「彼女がその名を~」は嫌悪感が半端なく湧いてきて、10分もたたないうちに、また今度観ようと思ってしまう作品だった。
8月に入り例会も近いので観なければと思いつつ、やっと今日観終わることが出来た。
この映画が例会の映画に指定された時、いや、その前にも題名に惹かれて少しだけ観始めたことがあったが、蒼井優(役名は十和子)が元々あまり好きな女優ではないのと、阿部サダヲ(役名は陣治)の不潔さが、これでもかというほど見事すぎて(おそらく悪乗りしてどんどんエスカレートしたのではないだろうか)、この閉塞的な時代に息苦しいものはあまり見たくもないという感情が勝り、今日まで引き延ばしていた。

登場人物は、十和子をはじめ十和子を騙していた黒崎(竹ノ内豊)やデパートの社員の水島(松坂桃李)など自分勝手なひどい人物ばかりだ。
異常に十和子を大事にする下僕のような陣治をみていると、一旦決まってしまった力関係は本人が壊そうと意識しない限り続くものだと思えてしまう。

愛される側の立場は強く、愛する側の立場が弱いのは、理の当然だが、陣治の与えるばかりの無償の愛は、最後に十和子の罪を背負ってフェンスの上から仰向けで両手を広げ飛び降り自殺をすることで完結する。
満足そうな涙でぐしゃぐしゃの泣き笑い顔の陣治の姿が消えた時、最初に三羽が、そのあとすぐに、たくさんの名前も知らない鳥たちが一斉に群れをなして舞い上がる。無数の鳥を見送る放心した十和子の顔に一筋の涙。
死ぬことで、やっと十和子の中に自分の存在を植え付けた陣治。

陣治だけが本当の恋人と言える存在だったと、十和子に自覚させた覚悟の死。ラストになっての描写で、初めてこの映画自体が救われた気がした。

典型的なエログロ不条理映画であるのに、原作の文庫本の帯には「最低な大人たちによる最高に美しい恋愛ミステリー」と書かれていて小さな字で20万部のベストセラー待望の映画化となっていた。

原作者は沼田まほかる、2006年10月発行であった。
wikiによれば、読み終わったあとで嫌な気持ちになるミステリーを「イヤミス」といい、沼田まほかる氏はその代表作家のひとりであるようだ。湊かなえも「イヤミス系」で同じ類と。
なるほど、本は読んでいないが一時期テレビドラマでよく見かけた湊かなえ原作のすっきりしないドラマはこれだったのかと、妙に納得した。
メンタルヘルスに何らかの問題を抱えている女子を「メンヘラ女子」といい「重い女」とか「面倒くさい女」とか「かまってちゃん」などは、その類とのことも今夜整理できた。
しかし、このような小説が出版されてから10年後に映画化され20万部も売れるとは、この種の本を読まない私にはある意味新鮮な驚きであった。

十和子が殺した黒崎の死体の後始末を陣治がするわけであるが、雨が降っていたので犯行現場の血痕は洗い流されたとしても、犯行後の血だらけの十和子が乗っていた黒崎の車の室内は、全て拭ききれないはずだし、人目が付くところで目撃者がいないというのも稚拙な設定である。この車は、翌日には失踪したといわれている黒崎のマンションの駐車場で発見されている。

十和子の不健康な顔肌の荒れのアップが多く、目についた。血色も悪い。
蒼井優が意図的に作り込んだものだとすれば、芸が細かい。それと十和子愛用の時代を感じさせる若い子が着なさそうなレトロなコートの違和感。これは衣装?小道具?の演出なのだろうか。
色々な映画の賞を取ったそうであるが、それを知って複雑な思いになった。日本映画の賞のレベルは明らかに下がっているのではないだろうか。強く訴えるものがなかった。

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