アメリカ映画「ミリオンダラー・ベイビー」感想

第11回2022.7.21他会員当番推奨映画クリント・イーストウッド監督 「ミリオンダラー・ベイビー」2004年アメリカ映画
                2022.7.21記    石野夏実
 
日本公開は翌年(05)であったが、アカデミー賞の主要部門(作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞)を授賞後の上映に興味を持ち、地元のシネコンに観に行った。
ずっと印象に残っていたのは、画面も話も暗くてボクシングの試合の光景だけが明るく白かったこと。当時は主人公マギーの悲劇があまりにも可哀想すぎて、再び観ることはないと思っていた作品だった。
安楽死とは命をどうするかの問題だから、意思伝達できる人は自分で決めていいと思った。
今回、7月の三連休の最後の日に一人でじっくりこのビデオを観る時間を得て思ったことは、多くは観ていないが、いくつか観たイーストウッドの監督作品の中では一番訴えるものが強い作品であった、ということだった。

この作品の中には「生きるとは何か」「人生とはなにか」「いかに生きるか」というテーマがあり、きちんと描かれている答えに強く同感した。
それゆえ観終わってから、この映画は彼の最高傑作であると確信したのだった。
イーストウッド主演の(出稼ぎ)マカロニウエスタン「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」(67年)が(それら以前にはTVドラマで「ローハイド」も人気)高校時代の通い慣れた近所の2番館での思い出の映画である私は、イメージの延長として彼が恋愛映画の監督と主演をするとは思わなかったので「マディソン郡の橋」(95年)を観て脱帽した。
あの作品は、多くの女性の共感を呼んだと思うが、どうして一匹狼イメージのイーストウッドがあの映画を作ることができたのかは、私の中での不思議であった。
ところが、イーストウッドは「ダーティー・ハリー」に主演しながら、どんどん自分で映画を監督し、作品はほぼ毎年のペースで作られ、いまやアメリカを代表する監督のひとりになったのだった。そして今年、彼は92歳で現役である。
「グラントリノ」もそうであるが、頑固でなかなか他者を受け入れない一徹な人物は自己の分身なのか。
イーストウッドの自伝とかは全く読んでいないのでわからないのであるが、筋が通らないことは嫌いだろうし、強固に自己確立出来ている人物が好きなのだろう。心を許し親しくなれば、とことんつくす。
自分が監督で主演の映画は、メッセージ性が強い。

この映画は、人の生き方、人生とはを問い、答えを出している。
たった一瞬の不幸な出来事が、その後のマギーの人生を奪ったけれど彼女は言った。
「あたしは生きた。思い通りに。その誇りを奪わないで」
私は、止血専門のプロをカットマンと呼ぶことも知らなかったが、マギーのクラスが上がって鼻の骨がへし折られ「20秒しか持たない、この間に勝て」といい出血を止めたプロの魔法の指先。その後連続12試合KO勝ち。上り調子であっても、ハラハラドキドキ。私は血が出る格闘技は見るのが怖くてつらい。いつか負ける、大きな痛手を負って。
マギーは生き切った。自分で選んだ人生を精一杯、フランキーを父として。
そして「モ・クシュラ」の意味の中に生きる~愛する人よ、お前は私の血~

※元ボクサーで片目を失明しイーストウッド(フランキー)が経営しているジムの雑用係の役どころで、そこに居るだけで味があり絵になるフリーマンが初の助演男優賞を受賞。「ショーシャンクの空に」(94年)から10年後のフリーマンは、ちょうど役と実年齢がリンクし最適役だった。主演のヒラリー・スワンクもほぼ実年齢の役で、当時みた時よりも、今回じっくりビデオで観た方が表情も無言の演技も十分に伝わり、美人ではないと思っていた先入観が覆された。20年近くも経ってから観直すと、ずいぶん印象が違うものだと、今回特にこの作品で感じたことだった。
 

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