「海外旅行記2001~2018」中国編
「海外旅行記2001~2018」中国編
2025.1.14~16記 石野夏実
前回書きましたが、01年からの連続3回アメリカ本土の個人旅行は02年で終了でした。
04年の6月に今は亡き相棒(先輩であり親友)と「上海から北京への寝台新幹線の旅 ~発売記念」と銘打ったトラピックスの激安ツアーに参加しました。
香港には、何度か行ったことがありましたが(いずれもツアー型)、中国本土は二人とも初めてでした。
このツアー、全食事がついていて驚きの3泊5日(新幹線車中1泊)コースの料金は29800円でした。
あまりの安さに20年経った今でも値段を覚えています。
新幹線寝台車両は個室になっていて、2段ベッドが2組で小さなテーブルもあり合計4人で1室でしたが、機能的で巧く作られていました。
眠っている間の夜間に、静かに北京まで運んでくれるのでした。
早朝到着だったと思います。
色々あるオプションなどは別料金でしたが、この旅行はメモや資料はないものの写真が何枚か手元にあるので、順を追っていくと旅の様子がわかるのでした。
オプションは上海と北京での2つの雑技団の公演鑑賞と、北京からの「万里の長城」見学でした。
雑技団の演技は、柔軟な身のこなし=関節がどうなっているのだろうと思うほどのそっくり返る曲がり具合など、驚嘆の連続でした。球形内のオートバイ宙返りサーカスもすごかったです。演舞も見事でした。
「万里の長城」は大した距離は歩きませんでしたが、北京に行ったら少しだけでも登るべきだと思います。
中国の国と、これを作ってしまった中国人のスケールの大きさに圧倒されます。だからこれを見たら「中国人には敵わないなぁ」と思うはずだと確信しました。
上海は夜の港湾の人工美と洗練されたお洒落な街角の印象が、さすがでした。
相棒とふたりで上海がとても気に入り「1泊2日で十分楽しめるね。こんなに近いなら、今度また来よう」と約束したのでした。かないませんでしたが。。
行きは成田から上海まで飛行機直行便で3時間半くらい。夜の上海の港を散策しました。地元のカップルや地方からの観光客もたくさんいました。
私は欧米へ行くと、結構中国人や韓国人と間違えられるんです(笑)
上海に泊まった翌日は、蘇州見学などをして上海から夜行寝台新幹線で北京へ。
駅に到着後は天安門広場と紫禁城、故宮博物館見学、頤和園(いわえん)散策まではコースに入っていて強行軍でした。
夜の雑技団公演を観て遅くにホテルへ。
翌朝の万里の長城見学が最後のオプション、午後から成田へ戻りました。
所要時間も4時間弱?距離を考えるとさほどかからず(検索したら偏西風が理由らしい)遠いようで近いお隣の大きな国との印象を強めました。
実に効率よく動き、楽しめた「上海~北京の寝台新幹線の旅」でした。
食べ物は、日本の中華料理の方が味に癖がなくマイルドなので、好みでいえば私は日本の味の方が好きです。本場で食べる中国料理、特に北京料理は、香辛料の八角が強くて私はやや苦手です。"郷に入りては郷に従え”をモットーに何でも美味しく食べることにしているので完食を貫きますが、八角はやっぱり苦手だな。(個人的な好みですがベトナムのパクチーも△です)
上海では、何を食べたのでしょう。海鮮焼きそば?日本流ですかね。
団体ツアーの食事は、料金のそれなりにだと思いますが、一応ちゃんとしたものが食べられた記憶です。中国側が日本からの団体旅行に力を入れて、大サービスしていたのではないでしょか。
今回、四川に行っていないのに「四川飯店」というレストランで四川料理を食べたようでした。きっと麻婆豆腐を食べたんでしょう、八角のピリリと舌に痺れる香り三昧のあの味が記憶にあるような、ないような。。
次回からはヨーロッパ旅行編に入ります。ひとり旅、二人旅、三人旅、色々です。
※00年の初夏に仕事をリタイア。その年はパリ、03年にはイギリスへと、アメリカ本土へ02年に一緒に旅行した次女(娘二人です)と出かけていました。noteを読んだ次女が日付入りのアルバムを貸してくれました。
長女は01年に卒業後3か月で結婚。その後も忙しかったので、家族旅行以外はふたりで外国も国内も旅行に行ったことがないまま現在に至ります。
再来月3月に私が名古屋に帰る時(1年に一度従妹や友達に会いに実家は無くなっていますが帰っています)一緒に付き合ってもらえそうです。
74歳の誕生日前後2回(一昨年の晩秋と初冬)体調を崩し、2回目の時点で死ぬのかと思いました。亡くなっていった周りの方々の最期を思い返しますと、あっけなく亡くなった方もいれば、自己の生を長く延ばす方もいました。
不慮の事故や災難がなければ、ひとは望んだように死んでいくのかもしれません。
日頃いつ死んでも悔いはないとノタマッテいた私は、本・ガラクタの片付けやエンディングノートなど死ぬ用意がしていなかったので、心の準備も含め、まだ死ねないと思いました。この体調不良がきっかけで「死」を具体的に身近なものに感じたし、越すに越されぬかもの?74歳は鬼門だと思いました。
74歳の昨年は格別に暑い夏が続いていたので旅行も避け、日常生活も無理はしませんでした。いつも同じペースで日々を過ごし次の日を迎えようと。
週3日半日ほどの、電車で通う仕事もちょうどいいペースなので、これも続けられるうちは続けようと思っています。当面の目標は78歳かな。
そんなわけで75歳の誕生日が無事迎えられそうだったのでnoteを始めたのでした。