見出し画像

昭和の時代の情報教育

「こんなの見つかったよ」と同僚の特任教授(元校長)から昔の私の発表資料をいただいた。それも複数の特任教授から別々の研修会での発表資料だ。今から30年以上前、昭和時代の謄写印刷のものなので、さわると崩れさるような状態。昭和の終わりの頃、私は僻地の小学校で複式学級担任だった。6m以上の雪が積もるような豪雪地帯。8人の中学年児童のクラスに4台のコンピュータを自前で持ち込んで授業をしていた。今から思うと2人で1台を実現していたんだ・・・。

総合的な学習の時間なんてなかったけれど、複式での授業では必然的に教科横断だったり合科的な指導だったり、カリキュラムを自分で作らねばならなかったので事実上は総合的な学習を毎日していた。そこにコンピュータを持ち込んで、LOGOやらBASICを子どもたちに教えて、さまざまな実践をしていた。今ならプログラミング学習だ。

また、イメージマップやKJ法などを使った授業も行っていた。教員になる前にお菓子会社に少しばかり勤めていて、そのときに営業現場で学んだものだ。チョコレートの新作発表会を真似て屋台展示方式の発表会をしたり、ポスターづくりを国語の授業で行った。今で言うシンキングツールやワールド・カフェだ。フローチャートで複式指導案を作成したぞ。

まだワープロのない時代だったので、コンピュータに自作の漢字変換プログラムを組み込んだエディタで印刷原稿を作った。その後もエディタを好んで使っていたので専用ワープロ機はとうとう一度も買わなかったな。

社会科の研究会で発表してくれと言われ、理科の研究会で発表してくれと言われ、国語の研究会で発表してくれと言われ、教員研修で指導してくれと言われ、あちこちに引っ張り出された。そのときの発表資料が当時若手教員だった今の同僚たちが見つけ出してはもってきてくれるのだ。私自身は残していなかったので、懐かしいやら恥ずかしいやら、ありがたいことだ。

BASICで3Dマップ作成ツールを力技で作ったっけ。

表計算のツールやレーダーチャートもBASICで作ったぞ。LOTUS1-2-3が出てくる前だ。

やるじゃん。昔の自分。