ボーイングB-29スーパーフォートレス(1942)
都市をたたきつぶすことを目的にした戦略爆撃機。B-17フォートレス(空の要塞)の後継機として開発されたので、スーパーフォートレス(超空の要塞)。その大きさも能力も確かに超がつけられるもので、1万メートルの上空を高速で飛行し、しかも長距離飛ぶことができた。与圧装置を持っていて冷暖房も完備されていたので、乗員は酸素マスクをつけなくても1万メートル上空で普通に活動できた。レーダーや航法装置などの電子部品を多く使っており、当時の最先端技術が満載だった。爆弾積載量も半端なく、さらに遠隔操作による独立した重機関銃座を5箇所ももっている。生半可な戦闘機ではたちうちできなかった。
開発は巨大なプロジェクトだった。特にこれだけの能力を支えるエンジン開発に手間取った。空冷星型9気筒を副列化した二重星型18気筒のR-3350(2000馬力)を4基積む。このエンジンはマグネシウム合金の部品を多用しており、加熱で重大な火災を起こすことが多かった。前線に配備されてもエンジン火災の課題はB-29についてまわった。
太平洋戦争後半から対日本攻撃の中核になった。当初はインド経由で中国に運び、そこから日本本土を爆撃する計画がたてられる。一方、日本軍もこれに対抗するために大陸打通作戦をたてる。アメリカの機動部隊は、次々と島嶼をおさえて北上するが、それもB-29の発進基地をめぐる戦略的な意味があった。硫黄島をおさえられると中継基地になり、サイパンからB-29が発進し、本土爆撃を行うことができるようになる。
B-17が主にヨーロッパ戦線や南太平洋戦線で活躍し、数々の武勲や伝説をたてたのに比べ、B-29は日本本土への爆撃に使われ、弱っていた日本を袋叩きにし、民間人を爆撃によって大量殺人した。東京大空襲、広島や長崎への原爆投下などもB-29によって行われた。日本上空での攻撃によって落下傘降下した搭乗員たちが処刑されたり、民間人によって撲殺されたりすることも多かった。戦略爆撃は都市や民間人をねらっていたためハーグの人権条約に反しているとして、捕虜扱いではなく戦争犯罪人であると国内に説明されていたことも影響したと思われる。「もし目標上空で深刻な事態に陥ったら、燃える市街地に脱出しても生き延びられる可能性はまずないので、落下傘をはずしておこうと考えている。脱出して降着でき焼け死なずに済んだとしても、きっと激昂した市民に嬲り殺されると思うのだ。いっそ墜落する飛行機に身を任せる方がいい」・・・元B-29パイロットのチェスター氏は『B-29日本爆撃30回の記録』(チェスター・マーシャル、ネコ・パブリッシング)の中でこのように語っている。九州大学では、B-29から脱出した捕虜を使った生体実験が行われるという悲惨な事件もおきている。B-29には暗いイメージがついてまわる。
日本本土爆撃に使われたが、日本機は通常攻撃では撃墜できないB-29に対して対当たり攻撃を加えてきた。陸軍の三式戦闘機による体当たり専門の震天制空隊(隊長小林照彦少佐)も組織されている。
朝鮮戦争でも使われたが、B-52にその役目をバトンタッチし、いざというときに出陣させるため大部分はアメリカの砂漠で保留されていた。私が少年の頃にそんなグラビア写真をみた記憶があるがもう50年くらい前なので、その後どうなったかは知らない。
先年、中国の北京市郊外にあるあまり知られていない航空博物館に行ってきた。そこでツポレフTu-4が屋外展示されているのを見てきた。Tu-4はB-29のパチモンで、外見は本物のB-29そのものである。第二次世界大戦時に日本本土や中国を爆撃した後、故障のためにソビエト領に不時着したB-29があった。そいつをバラバラに分解し、そのままソ連部品で完コピしてしまったのがTu-4である。中国人民解放軍にも渡されたものが展示されていた。エンジンはターボプロップに変わっている。
これだから・・・
<ボーイングB-29スーパーフォートレス>
全長 30.18m
全幅 43.35m
全備重量 62,900kg
発動機 P&W R-3350 (2,200hp)× 4
最高速度 576km/h
航続距離 6,580km
武装 12.7mm機銃×12、爆弾積載量9t
乗員 10名
> 軍用機図譜