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飛行機の本#22 岡部冬彦のヒコーキばんざい(岡部冬彦)

岡部冬彦さんが書いた飛行機に関するエッセイ集である。思い出の飛行機、旅客機、飛行機好きの人間などの話が集められている。

岡部冬彦さんは「アッちゃん」や「ソニー坊や」などが代表作の昭和時代に活躍した漫画家。「アッちゃん」は週間朝日に連載された漫画。ソニー坊やは、SONYのキャラクター。どちらも昭和時代を生きた世代には懐かしいキャラクター。

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さて、岡部冬彦さんはヒコーキ愛にに満ちた漫画家だった。そのヒコーキ愛をこめたエッセイ集がこの「ヒコーキばんざい」だ。表紙の絵が、もう何ものも寄せ付けないぞという意志があらわれた無防備なバンザイになっている。しかし、そのバンザイには意味があって、もともとは斎藤茂太さん(モタさん)の著書の挿絵を頼まれたときに第一次世界大戦時のパイロット姿でバンザイをしているモタさんの姿を無断で描いたエピソードがあり、自分の著書にも反省の意味をこめてバンザイをしている同じような姿を描いたとあとがきに書いている。

斎藤茂太さんは、昭和時代を代表する精神科医でエッセイスト。著書が膨大な数があり、モタさんの愛称で親しまれた。ヒコーキ愛に満ちていて逸話がたくさんある父親は精神科医で歌人の斎藤茂吉。弟はやはり精神科医で文学者の北杜夫。

岡部冬彦さんと斎藤茂太さんは同じくらいの年代に活躍し、ともにヒコーキ愛に満ちていた。そこらへんの事情は斎藤茂太さんによる前書きに詳しく書かれている。「本書は岡部さんのヒコーキそのものだ。氏のヒコーキへの愛情と情熱が行間ににじみ出ている。しかも真にヒコーキを知らなくては書けない内容だ。岡部さんがメカにつよいのは誰もが知っている。洒脱な文章の中にキラリと専門が光る。「ソフト」と「ハード」が混じり合っている。」

この本の中で、やはり漫画家でヒコーキ愛に満ちたおおば比呂司さんの話が出てくる。おおばさんが亡くなられたときの追弔の文になっている。このくだりは次のように書かれている。「おおばさんは私より一つ上で、大正10年の酉年生まれだが、北方で陸軍の九七重爆の整備をやっていて、復員後、北海道新聞にいわゆる「図案家」として入社した。・・・おおばさんの飛行機は、すべて実に楽しそうに空を飛んでいるが、これはおおばさん自身、道新時代のエピソードのように、飛行機が好きでたまらなかったで、それが同じ我々の心をとらえるのであろう。

道新のエピソードというのは、まだ北海道新聞の平社員の図案家だった頃に、羽田ー千歳間の飛行機に乗ったのが社内で評判になったというものである。まだまだ飛行機に乗るのは有名人かお金持ちということで、北海道新聞では利用者の名前と肩書きが掲載されたのだそうだ。それもすごいことだ。宇宙旅行並みの扱いだ。そして、その欄に自社の一介の平社員の名前があったというのだ。そのくらいおおばさんがヒコーキ愛に満ちていたということだ。

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おおば比呂司さんの描くヒコーキの線は、俳画を思わせるほんとうに伸びやかな線で一目でおおばさんのタッチであると同時にその飛行機の特徴にたくみにとらえていて大好きだった。特に佐貫亦男さんの書いた「ヒコーキの心」シリーズの挿絵がすてきだった。

岡部冬彦さん、斎藤茂太さん、おおば比呂司さん、佐貫亦男さんとだいたい同じくらいの世代のヒコーキ愛に満ちた方達が楽しいエッセイを残している。40年くらい前、いつもそれらの本を枕元においていた。

ちなみに岡部冬彦さんの息子さんが岡部いさくさんで、この20年くらいは「世界の駄っ作機シリーズ」を枕元に置いている。岡部いさくさんと私は同じ歳だ。

岡部冬彦のヒコーキばんざい
岡部冬彦
青蛙社 平成3年