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情報社会を生き抜くための本45「2050年の中国」習近平政権が描く超大国100年の設計図(胡鞍鋼他3名)
ここ数年の中国の勢い、特に情報化はすさまじい。コロナ禍もものともせず前年度を上回る勢いで成長をみせている。10年前はまだ脅威を抱く存在だったが、現在は現実として中国の影響下に世界はある。2017年に書かれたこの本の執筆者は、習近平政権ブレーンの胡氏を中心にした研究チームである。中国の目指す社会主義の現代化がどういうものか、我が国の情報社会構築にどのように影響するのか、アンテナをたてておく必要がある。香港はこの1年で、あっというまに中国化されてしまった。尖閣での実効支配をめぐるつば迫り合いも深刻度を増している。中国はどこを目指しているのか。
1987年の党大会で鄧小平によって示された中国経済建設の戦略的計画は3つのステップに分けられていた。「第一のステップは、1990年までに対1980年比でGNPを倍増させ、人民の衣食の問題を解決する。第二のステップは、20世紀末までにGNPを更に倍増させ、人民生活を小康社会(ややゆとりのあるレベル)に引き上げる。第三のステップは、21世紀半ばまでに、一人当たりのGNPを中位先進国のレベルまで引き上げ、人民生活が比較的豊かにし現代化を実現する。」というものだった。
2017年の党大会では習近平によって示されたのは「小康社会を全面的に完成し、新中国成立100年の時点で社会主義現代化強国を全面的に築き上げること」である。そして、2050年までの工程表が2035年までに引き上げられた。「社会主義現代化」には5つの要素があり、中国は他の国と比較して優位性をもつとして以下のように論述している。
第一の要素は、不断に増加する現代化。中国は全ての先進国が備える現代化の要素を学び、吸収した。全ての先進国の革新を、後に続いて確信した。同時に先進国が備えていない現代化の要素について、率先して革新し、先導した。革新の中で追い越し、早期に中国を日々現代化し、高度に現代化し、全面的に現代化した世界の強国にする。(・・・情報化もこの要素になっている)
第二の要素は、不断に増加する社会主義。社会主義の制度的優位性と政治的優位性を発揮し、十数億人の全人民を共に発展させ、分かち合わせ、豊かにしている。社会主義制度は資本主義制度よりも優れているからこそ、全人民の共同富裕を実現できる。
第三の要素は、不断に増加する中国文化。中華民族五千年の文明をもつ中華文化は世界の舞台の中心で大発展、大繁栄、大復興するものである。
第四の要素は、不断に増加するグリーンな現代化。中国の取り組むグリーン政策は、経済の持続的成長と温室効果ガス排出の完全に切り離す世界モデルをとなる。
第五の要素は、中国共産党の指導。党、政府、軍、民間、学術界、東西南北を問わず、党は全てを指導する。党は最高の政治的指導力である。
というものだ。
高く目標を掲げているだけではない。現在の中国に対する評価も現実的に書かれている。「中国の科学技術の実力、イノベーションの能力は急速に強化されているが、世界の科学の最先端レベルとハイテクの最先端からはまだ小さくない差があり、先導できるような優位性はまだ顕著にあらわれていない。中国は世界最大規模の科学技術の人材を抱えているが、世界レベルの科学者、トップレベルの人材、リーダー的人材、卓越した人材、青壮年の優秀な人材、高技能人材は依然として明らかに不足している。」とかかれている。2017年の時点での記述だ。
中国共産党の論理からいえば、世界の現代化は中国のような社会主義現代化によってなされることが一番良いということだ。確かに、問答無用でデジタル化を数年のうちに達成した。民主主義国家ではありえないスピードだ。自動車の電動化も凄まじいスピードだ。
2018年の秋、ちょうど安倍総理が北京訪問した時、私もどういうわけか北京に一人旅をしていた。スマホに中国製のアプリを入れると何不自由なく旅行できたので驚いた。電子決済もタクシーも地図アプリも翻訳アプリもみな連動していて、いわゆるハイパーアプリとなっていて、情報化の進んでいるのにたいへん驚いた。そして、なによりも北京の秋の空が澄み切っていたことだ。PM2.5で危険と聞いていたのに・・・。安倍首相が訪問するため1週間前から北京近郊の工場がすべてストップし、青空にしたということを帰国してから聞いた。あれから3年、特にコロナ禍の中で、中国は世界のトップに躍り出る手がかりを確実につかんだと言われている。
(天安門広場2018年秋)