チャンス・ヴォートF4Uコルセア(1940)
1938年のアメリカ海軍の次期艦上戦闘機開発要求に応じて開発され、XF4U-1として初飛行したのが1940年、量産型F4U-1の初飛行は1942年、そして退役は1953年。しかし、その後も他国では現役を続け、エアレースでもつい最近まで活躍していた。今も世界各地でブンブン飛び回ることができるF4Uはたくさんある。息の長い名機である。
しかし、太平洋戦争の戦場に出るまでは難産であった。1938年、海軍はF2FやF3Fに代わる艦上戦闘機の設計コンペを行った。欧州での緊張感が増してきて戦争の予感が漂っている上、次期主力戦闘機に決まっているF2Aバッファローの性能が予想を下回るものであったことやグラマンがまだ複葉戦闘機にこだわっていてあまりに情けない状態であったことが海軍に危機感を与えていた。陸上機を上回る高速で高高度性能の良い艦上戦闘機が条件であった。グラマン社、ベル社、ヴォート社が計画を提出したが、モノになったのがこのF4Uである。
試作機XF4Uは、1800HPの大馬力エンジンで直径3.82mの大直径プロペラを回す機体が設計されたが、その機体を支える主脚を収めるために逆ガル翼の主翼になってしまった。カモメの翼型(前から見るとM型)をガル・ウイング(Gull wing)という。逆ガル翼は、その上下を逆にしたW型になっている。脚の長さを短くできる上、大きなプロペラを装着できた。下のイラストは前面から見たF4U だが、その特徴が良くわかると思う。
1940年、欧州戦線から戦訓から武装強化、防弾装置の充実、生産性の向上などが要求された。武装強化のため翼に配置されていたインテグラル・タンクを胴体に移動せねばならず、操縦席を1m近く後退させざるを得なかった。そのため前方視界が極端に悪くなり、艦上機としては致命的な欠陥となった。また、逆ガル翼特有の低速時の安定性のなさや失速もまた解決しなければならない課題となった。
「第二次世界大戦の『軍用機』がよくわかる本」(PHP文庫)では、いきさつを次のようにまとめている。
「コルセアの原型XF4UI1は1940年9月に初飛行を行い、翌月のテスト中 に時速404マィル(650キロ)の高速を記録、初めて400マィルを超えた海軍戦闘機となった。優れた上昇性能や1.2トン以上といぅ大きな兵装搭載量など、 その高性能は海軍を満足させた反面、本機には欠点も少なくなかった。
最も問題だったのは着陸時の前方視界不良と、低速で片側の翼が下がるクセがあ る点だった。だが高性能機の入手を急いだ海軍は、原型の欠点を修正した上、実戦 向きの改修を加えた生産型584機を1941年6月に早くも発注。生産型は被弾しやすい翼内燃料タンクに代えて、コクピット前方の胴体内にタンクを設け(このため前方視界は更に悪化)、フラップの改良や防弾装備の充実が図られた。
生産型F4U-1は1942年6月に初飛行を行い、9月から実際の空母上での空母適合性テストが始められた。ここでコルセアには、艦上機として多くの重大な欠陥がある事実が明らかになったのである。
つまり着艦時の前方視界が依然としてよくないこと、低速時の失速(急激に主翼 の揚力が失われる現象)特性の不良、主脚のサスペンションが不十分などで、空母 上での運用不適格の判定が下されたのであった。」
1942年、航空母艦で運用するには不適とされ、初期生産型のほとんどは海兵隊に引き渡されることになった。そして、ソロモン空域でデビューすることになるが、30時間程度の訓練で戦場に出た途端零戦の餌食になってしまう。この時の空戦は「セントヴァレンタインデーの虐殺」と呼ばれている。
それから猛訓練を行い、編隊空戦などでの戦術面の強化を施した。以後、F4Uは機体自体の高性能と機関銃6丁という高い火力で『い号作戦』時には活躍するようになっていく。ヘルキャットに比べると高高度での速度、上昇率、格闘性能全てで優っていたが空母への着艦が困難であり、艦上戦闘機として採用されなかった。
陸上基地からの運用は好調で、余裕ある馬力を生かして胴体下に爆弾を懸架する工夫を基地サイドで開発した。リンドバーグもこの開発に関わったと言われている。この応急的な爆弾懸架は効果的で、正式に取り入れられることになった。F4Uは、ミッドウェイ海戦で活躍した艦上攻撃機ドーントレスと変わらない爆弾積載量と急降下性能を示した。
1944年になると改良を重ねたF4Uは艦上戦闘機として続々と空母に乗せられて、戦争末まで日本への攻撃の主力となっていく。次第に零戦キラーとなり、戦果をあげる。第二次世界大戦中にコルセアが空中戦で撃墜した日本機は2,140機、コルセアの損害は189機であった。(『世界の傑作機』1978)
ブリュースター社はバッファローF2Aでこけた後の開発をあきらめ、F4Uの生産に当たる。また、タイヤメーカーのグッドイヤー社でも多数のF2Uが生産され、FG-○という名称が付けられた。グッドイヤー社では独自の開発まで手掛けていた。たくさんの改良型が作られ、戦後も発注が継続した。ジェット戦闘機が艦上戦闘機として成熟するまでF4Uが主力として運用された。1947年に初飛行したF4U-5に至っては、大戦中の日本の重爆撃機をしのぐ爆弾積載量があった。
1950年、朝鮮戦争の勃発とともに再び前線に立つ。朝鮮戦争時の海軍・海兵隊機の出動回数の44.6%がF4Uであった。最終的に1953年まで生産が継続される。
アメリカ以外での運用も多く、イギリス、ニュージーランド、フランス、アルゼンチン、エルサルバドル、ホンジュラスなどで採用された。また、エアレースに使われる機体も多く、長くその活躍が続いた。
F4U-1
全長 10.16m
全幅 12.49m
全備重量 5,461kg
発動機 プラット&ホイットニー R-2800-8/8W (2000hp)
最高速度 671km/h
武装 12.7mm機銃×6 爆弾907kg
コルセアが登場する本のnote
「海兵隊コルセア戦記」_BAA BAA BLACK SHEEP (グレゴリー・ボイントン)
> 軍用機図譜