日本PR協会の広報委員長?広報の広報?
この10年でいえば、パートナーより「東京の母(と言っても、二つしか年は変わらないけど)」といる時間の方が長いんじゃないのかなぁ。
その「東京の母」こと松本さんが日本PR協会(公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会)の広報委員長に就任したらしい。
「らしい」というのは彼女からうかがったのではなく、同じくPR協会で長年活躍する広告制作会社取締役の北村さんから電話でうかがったのです。
北村さんも、長年、お世話になり、いや、それどころか、22歳の僕が上京することになった最初のきっかけを作ってくださった方。
当時、映画プロデューサーだった北村さんの作品にアルバイトとして参加し、
学生最後の夏休みの時間を注ぎ込み、
のめりこんでしまった僕は、就職が決まっていた叔父の会社を断って上京しました。
「ひきずりこんでしまい、申し訳ありません!」
北村さんが、僕のパートナーに初めて会った時、謝っていたことを憶えています。
全然、悪くないのに。
その後も、仕事上はもちろんのこと、それ以外にも連句のグループや脳科学の研究所など感性を広げるための場所へ連れて行ってくださるなど、
挫折だらけの僕に親のように寄り添ってくださっています。
そんな北村さんに、同じように親のように寄り添ってくださっていた松本さんを改めて紹介する機会に恵まれました。
コロナ禍もあり、オンライン会議のみで、二人が直接、会うのは初めて。
「そもそもPR協会って何ですか?」
紹介もそこそこに僕の初歩的な質問から会食は始まりました。
本来、協会というと業界団体のイメージですが、PR協会は、日本で唯一、発注側も受注側も存在する協会、つまり企業の広報もPR会社も参加している協会なのだとか。
その顔である広報委員長に「東京の母」が就任したということのようです。
PR協会の広報委員長って、「広報の広報」ってことだよなぁ……未だによくわかっていないけどね。
ドイツ映画にも詳しい北村さんの専門がドイツ文学ということを30年以上のつきあいで初めて知った夜でもありました。
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