不幸を愛す

 僕たちはいつも自分を不幸な人間に変えることが得意である。
芸能人やトップアスリート、メディアでよく知られている有名人など、富や知名度を得た人たちでさえも悩み、不安を感じ日々を耐え抜くように生きている。そのような存在と自分を比べては、勝手に自分の価値を下げる。自分の価値を下げたらその次は、自分をちっぽけな人間だと認定し、自らの行動範囲をハサミで切っていく。

自分のことを100%理解してくれる存在を探し、何かに期待をし、何かに縋るようなこの日常では悩みが尽きることはない。
人によって悩みの種は異なるが、その人の悩みは他人にはどうでもいいことであり、他人の悩みも自分にとってはどうでもいいことなのだ。それなのに、自分の悩みをまるで宝物のように脳内に座らせて、共に生きていく道を選ぶ僕たちは、自分が不幸であると勝手に決めつける。
生まれた環境のせい、自身の性格のせい、タイミングのせい、なにかにケチをつけて毎日何かに不満を抱いて生きている。せっかく訪れた幸せな時も、この時が終わることが不安で怖くてたまらないと無駄な悩みを感じることでさらに不幸な人間に自らを陥れていく。不幸自慢が大好きな僕らは、不幸を愛することで幸せになれると勘違いしているのかもしれない。

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