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ひきこもり世界を架ける① 雲の南で…

以下の原稿は、2018年に大阪府高槻市にある<やまと茶房>という障害者を含むみんなのための作業所で出版している機関誌というか、単行本というか、そういう媒体に寄稿した記事です。残念ながら、一度の掲載で中断してしまったので、noteの場を借りて継続したいと考えました。この記事は有料なのですが、もしよければ購入してもらえると助かります。皆さんのカンパは、僕のやっているひきこもり支援の活動の資金にあてたいと思っています。例えば20年ほど前から、ひきこもりの当事者向けの居場所を無料で維持しています。僕は公的な補助や助成をほとんど受けていないので、サポートしていただければ助かります。(2020.1.24 石川清)

ひきこもり世界を架ける①
  〜雲の南で人生初笑い体験〜
                石川清

●雲の遥か南を旅した話


 雲よりもはるか南を、十数年前にあるひきこもりの若者と旅をした。長期ひきこもりの若者と出かけた最初の旅だった。

 それは、僕にとって学びの始まりの旅であり、ひきこもりを理解する第一歩にもなった。


 さて、雲の南とは、すなわち“雲南”。中華人民共和国(中国)の南東のへりに位置する雲南省のことだ。


 中国といえば、漢民族の国家というイメージを抱くが、雲南省まで来ると、ちょっと違う印象を持つ。雲南省の漢民族の人口は約三分の二程度にすぎず、残りは少数民族だ。雲南省には少数民族が十五はあると言われている。イ族、ペー族、タイ族、回族(イスラム系)などだ。


 今でこそ、雲南省の人口は約五千万人を数え、ビルマ(ミャンマー)やベトナム、ラオス、タイなどと国境を超えてハイウェーや水路が結ばれて、経済活動が活発な賑やかな地域となっているが、西暦二千年頃はまだ穏やかでのどかな中国の田舎だった。英語は通じるはずはなく、北京語(標準語)さえうまく扱えない少数民族も住んでいた。


 ここでつい少数民族という言葉を使ってしまったが、僕が勝手に少数民族という言葉を使うのも失礼な話かもしれない。

 かと言って、多数民族という表現はほとんど耳にしないし、またなんとなく数が少ないことをあげつらうことは、それだけ国家から享受する権利も少ないように喧伝してしまうような気がしてならない。

 ようは差別されているイメージを与えてしまうのだ。そして、中国や日本、アジア、アフリカ、中南米、欧米を含めて、世界のほとんどの地域で、いまだに少数民族は排除、排斥され、権利を侵害され続けている。


 話が横道にそれた。


 僕と一緒に雲の南を旅したひきこもりの若者の名前は茂雄君(仮名、当時二九歳)である。

 当時、僕と茂雄君は、一ヶ月半をかけて中国南部の広州から、タイのバンコクまで、公共の交通機関を使って(路線バスや一般電車。当時はまだ中国南部に高速鉄道や高速道路網はなかった)旅する途中だった。

 いわばヒッキー(ひきこもり)版“深夜特急”である。

 旅を始めて半月ほどたったところで、雲南省の省都、昆明に二人して到着した。桂林から夜行列車に乗って55時間余りの旅でようやく着いたのだ。二人ともヘトヘトだったが、達成感は大きかった。


 昆明は、今は人口七百万人を超える大都会となったが、当時はその四分の一程度しかない大きな地方都市という感じだった。(でも巨大都市でした)

 僕らはバックパッカーらがよく集う場所として有名だった、“茶花賓館”に宿をとった。

 その宿はドミトリー(相部屋)があって、格安の金額で宿泊できた。加えて当時はラオス領事館もホテル内にあって、そこでラオスビザをとることができたのだ。僕らは雲南省を下って、西双版納タイ族自治州を経由してラオスへ入国することを計画していたからだ。

●茶花賓館の食堂でたいそう笑う…どうして?

 僕はひきこもりの若者と旅する時は、民家に泊めてもらったり、ゲストハウスに泊めてもらったりすることがよくある。その方が他の人との接触や出会いの機会が多いし、たぶん対人緊張の改善にもプラスになるからだ。

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