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ひきこもりが元気で幸せになる道をいろいろ考えてみました②

(ひきこもり大国ニッポン2019、改題)
(石川清)

 僕は2000年頃からひきこもり支援にたずさわっています。主に訪問支援や家族教室、若者の集いなどを埼玉県朝霞市で行っています。訪問支援の範囲はほぼ関東全域となっており、またひきこもりの当事者と一緒に、国内各地や海外へ一緒に旅行に出かけたりしています(というか、趣味や仕事が旅だったりします)。

 僕はNGOのピースボートが実施している洋上フリースクール「グローバルスクール(Global School)」の活動に協力していて、よくナビゲーター役として10日〜4週間ほど、旅の初めに乗船しています。

 さて、そんなピースボートに乗っている時、僕はほぼ毎回「ヒキコモリ大国ニッポン」という講演をしています。このタイトルはもう10年前についたもので、果たして今の時代に適したものかどうかはわかりませんが、ただ10年前にはこういう認識だったということを忘れないという意味では、思い入れのあるタイトルの講演となっています。

 さて、2018年以降、ピースボートも海外の旅客が多くなり、講演で話す内容を事前に原稿でまとめて、事前に数カ国語に翻訳しておかなければいけなくなりました。そこで、2019年12月〜2020年1月に僕が乗船している期間に講演した内容の要旨を、せっかくですので、noteで発表したいと思います。

 僕のひきこもり支援について考えている要旨や一部をまとめてありますので、何かの参考にしていただければ幸いです。

 この②と次の③では、実際に僕個人が具体的に実践していることや、現場での体験から自分なりに見えてきたものなどを記してあります。実際にアウトリーチの現場にいる方には、ほんの少しくらいは参考になるかと思っています。

 3)支援の問題点では、暴力的な支援のもたらした深刻な二次問題についても、具体的に記しています。もちろん、プライバシーにはきちんと配慮したものとしています。この具体例の部分以降から有償の範囲とさせていただいています。ご理解いただければ幸いです。

 4)20年の小さな支援で見えてきた多様なタイプでは、これまで僕のアウトリーチの現場での活動の中で、ひきこもりの当事者のタイプをおおまかに5つに分けて対応しているので、そのことが簡単に書かれています。僕はひきこもりの当事者を最初から“病理”や“障害”で分類することはしません。というか、それは極めて失礼な(個人的には人権侵害のレベルとも考えています。ですが、実際に本人や家族との面談の中では、わかる範囲内での“見立て”はさせていただきます。この“見立て”の中に、たまに病理や障害の言葉が出てくることはありますが、これはあくまで傾向を言っているだけで、現状の理解を進めるためのもので、“診断”のたぐいではありません。もちろん、誤っていればすぐに修正します)ことですから。

 一口に“ひきこもり”と言っても、同居する家族とさえ10年以上顔を合わせていない人もいれば、毎日外出したり、元気な時は積極的に社会活動に参加できる人もいます(ただし、かなりの、ムラがあるため、持続的に活動できないため、問題だったりします)。“ひきこもり”は多様で豊かな状態の様々な人たちでもあります。また、苦痛の大きさは、強いひきこもり状態にある人よりも、よく外出する人のほうが大きいこともあります。見かけや状態で軽率にその葛藤や苦しみを判断してはいけません。

 とはいえ、いずれも主宰している家族教室では、5年以上前から幾度も話しあっていることで、家族教室に頻繁に出られている方にとってはおさらい程度にしかならないかもしれません。

 この発表の収入については、ひきこもり支援活動の資金として大切に使わせていただきたいと思います。この原稿を書いているのは2020年の2月下旬で、実は新型コロナウィルスの感染拡大で、日本国内も大混乱の最中です。僕が埼玉県朝霞市で主宰しているCVN(コミュニケーション・ボランティア・ネットワーク)の毎月の家族教室も2、3月を中止と決め、4月もどうなるかわかりません。

 家族教室は補助や助成をほとんど受けていない僕にとって、重要な自己財源なのですが、思わぬ事態にちょっと困り始めています。もしよければ購入やサポートなど、よろしくお願いいたします。

 また、トータルの分量が原稿用紙で50枚近くのため、3つに分けて、発表する予定です。(というか、つい加筆しまくって、この記事だけで8500字を越えてしまいました。どうもすみません)

               2020年2月26日 石川清


全体の目次
1)ひきこもりとは何か?
2)ひきこもりは日本にどれくらいいるの?
(以下は今回掲載されている部分です)
3)ひきこもり支援の問題点
4)20年の小さな支援で見えてきた多様なタイプ
(以上は今回掲載されている部分です)
5)ひきこもりの早期回復や改善のこつ
6)アジアを歩いたひきこもり


3)ひきこもり支援の問題点

 ひきこもり問題の解決に向けては、2002年頃から、国の方でも少しずつ予算をつけて取り組んでいます。とはいえ、残念ながら思うような成果が出ているとは言えません。

 そして、その陰で依然として長期化の問題が静かに進み続けています。

 長期ひきこもりのケアや支援は、他の病気や障害を治したり、改善したりするように簡単ではありません。

 “ひきこもり”は単なる心の病だけではありません。成長や発達の問題も少なからずあります。それに、教育や就労などの社会の制度のあり方も影響してます。

 居住環境や生活インフラの急激な変化も、人々の生活を大きく混乱させてきた要因となっています。変化についていけない人は少なくなく、その一部がひきこもり状態になっている構図もみられます。

 ただ現在、ひきこもりを支援したり、相談の窓口になる機関や団体の数はとても増えています。ほぼ全国の都道府県や政令指定都市には、ひきこもり相談の総合的な窓口や拠点となる支援センターが設置されています。このペースでいけば、もしかしたら、10年後か20年後にはより効果的な支援システムの制度が構築できるかもしれません(ただ、現状ではまだ十分とは言えないかと思います。これは、多くのひきこもりを抱えるご家族や当事者が最も感じていることと思います)。

 ここ数年来、ひきこもり経験者が積極的に声をあげたり、支援に動いているのも特徴です。特に症状や状態の比較的軽いひきこもりの家族や当事者へのケアは、少しずつ充実してきています。例えばピースボートのグローバルスクールや、そのグローバルスクールを開設した恩田夏絵さんたちの主宰している女子会やUX会議などは、その一例でしょう。女子会のインパクトは大きかったと思います。

 一方で重篤化しているケースに対しては、いまだに多くの医療機関や支援団体が手を出せないでいます。まだたいていは「まず病院に本人を連れてきてください」という、当事者の家族からみると絶望的な言葉が返ってくるケースが多いのが実状です。

「行けないから相談しているのに、じゃあどうすればいいの!?」

 他の疾病や障害と異なり、重篤なひきこもりケースほど容易に見捨てられる傾向があります。少なくとも僕はそう考えています。

 そして、仮に重篤なケースを抱える家族に支援の手をさしのべる団体があったとして、実はその中の少なからずで、暴力的な手法を伴うことがあります。これが最近、問題になっている「暴力的支援」のもたらす問題です。

 僕が主宰する集まりの若者の集いの中にも、そんな支援の被害者がいたりします。僕も暴力的、強引なを取ることは、原則として反対です。

 ただ、一方で世の中には措置入院や医療保護入院という、公的な強制入院の制度があります。そして、孤立した家庭内で、時に親や“当事者”の命に関わる深刻な暴力や暴言、虐待が発生することは否定できません。そういうケースの相談も多数受けています。そして、措置入院や医療保護入院のお世話になるケースも、残念ながら、年に一度くらいは発生してしまいます。これは支援者の力不足もあるかもしれませんが、本当に緊急の事態に陥ることもあり、その時に迷ったり、躊躇しては手遅れになることもあるかと思います。

 命に関わる問題が発生するということです。

 だからといって、暴力的支援を肯定するものではありません。ただ、単純、短絡的に一言で「こうだ」と言い切れるほど、簡単な世界ではないのかも知れません。それだけ、理解していただければ幸いです。

 そのうえでの話です。

 暴力的な支援とは、家族の依頼を受けた業者が、多くの屈強な男たちをひきこもり家庭の中に繰り出して、無理やり、あるいは言動巧みに(最近は無理やりより、後者のパターンの方が多いです)、宿泊施設へ引っ張っていき、施設に収容してしまう形態の支援のことです。

 1990年代(当時は「登校拒否」と言われていました)の半ばからほぼ10年ごとに、そんな暴力的な支援施設のブームがこの国には訪れているようです。(ヨットスクールとか、名古屋の方の施設とかetc.)

 世の中には暴力的な支援に、どうしても頼らざるを得ない、追いつめられた家族が後を立ちません。そして、最近の暴力的な支援は、より狡猾になっているのが特徴です。

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サポートしていただければ幸いです。長期ひきこもりの訪問支援では公的な補助や助成にできるだけ頼らずに活動したいと考えています。サポート資金は若者との交流や治癒活動に使わせてもらいます。