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古典を読む:ジェントリフィケーションと報復都市

上の写真は東京都中央区の永代橋から大川端リバーシティ21を撮ったものです。

みなさんには「バイブル」とでも呼ぶべき本はありますか?

私にとってのそれは『ジェントリフィケーションと報復都市』です。

大学4年生の時に先生のすすめで読んで以来、本棚の飾りにしていたので、5年ぶりに手に取ってみました。

著者はアメリカの地理学者の故ニール・スミスで、訳者は日本の地理学者の原口剛です。

研究領域は都市地理学。これはざっくりいうと、都市の空間構造(都市の中はどのような地域に分けられるか)について人口や産業立地などを指標に分析して、その実態・要因・影響を検討する、地理学の下位分野の1つです。

はじめに本書のテーマについて少し。産業革命後の18世紀末頃から、イギリスをはじめとした西ヨーロッパ諸国では、資本や人口が大都市に著しく集中するようになりました。過密化が進み、従来の範囲ではそれらを受け入れることが困難になった大都市は、周辺の自然を住宅地に変えて、拡大していきます。新しい住宅地に移住したのは、過密がもたらす劣悪な居住環境を嫌がった人たちでした。こうして、大都市の内部は、しだいに業務・消費機能(生産機能)に特化した中心都市と、居住機能(労働力の再生産機能)に特化した郊外とに分かれていったのです(2つの地域を合わせた範囲を大都市圏と呼びます)。郊外化と呼ばれるこの過程は、世界各地の都市で確認され、戦後の都市地理学の主な分析対象となりました。郊外こそが研究のフロンティアだったのです。こうした中で、北アメリカや西ヨーロッパの大都市では1980年代頃から新たな現象がみられるようになります。都市地理学風に言えば、空間構造の変化が確認されるようになります。不動産の劣化と人口減少を経験していた都心の中心業務地区を取り囲む地域(インナーシティ)において、再開発を伴う住宅供給が増加し、人口が増加するようになったのです。新たにインナーシティに引っ越してきた人たちは、従来そこに住んでいた労働者階級、移民、社会的マイノリティといった人たちよりも裕福な、管理・専門・技術職などに従事する新中間層(いわゆるヤッピーyuppieなど)でした。彼らの来住とともに近隣の住宅価格は上昇し、住居費支出が困難になった従来の住民は、近隣から立ち退かざるを得なくなりました。あるいは近隣の再開発の過程で強制的に立ち退かされました。この一連の過程が本書のテーマであるジェントリフィケーションgentrificationです。たんに紳士gentlemanが増えたからジェントリフィケーションなのではありません。開発のやり口や所有者の階級意識がかつてのジェントリgentryによる土地の囲い込みと似た構図となっているからジェントリフィケーションなのです。ジェントリフィケーションはアメリカ合衆国やイギリスの大都市を皮切りに世界各地の大都市で発現し、東京をはじめとした日本の大都市でも議論されています。

本書は「なぜジェントリフィケーションは生じたのか?」をマルクス主義地理学の視点から理論的・経験的に説明するものです。ちなみに著者であるニール・スミスの師は、この呼び方が相応しいか分かりませんが、世界で最も有名な地理学者であるデヴィッド・ハーヴェイです。ハーヴェイの和訳書はたくさん出版されていて、なかでも『ポストモダニティの条件』や『新自由主義』は地理学の分野を超えて広く参照されています。

さて『ジェントリフィケーションと報復都市』に出会ったのは大学4年生の時でした。当時、先生にすすめられるがままに読んで衝撃を受けたのを今でも覚えています。はっきり言って何が書いてあるかさっぱり分からなかった。それでも心に刺さったのは、ニール・スミスが批判的に都市をみるその「鋭さ」が伝わってきたからかもしれません。カッコよかった。これはもう憧れです。卒論で自分の分析とは直接関係ないのに無理矢理引用するくらいの熱の上げようでした・・・そんな想いがバレていたのでしょう。大学院への進学の餞別にと、新潟を発つ私に先生がこの本を持たせてくれました。この本が私を都市地理学にいざなったのは間違いありません。

本書の議論の詳細については、巻末の原口さんの訳者解説がとてもわかりやすいのでそちらを参照していただければと思います。原口さんは日本を代表する都市論者であり、大阪の釜ヶ崎などを対象にした刺激的な論文を数多く上梓しています。

ここでは2つだけ論点を示し、それぞれに沿って本書の内容を整理したいと思います。

1.なぜジェントリフィケーションは生じたのか?

これは本書の中心的な問いです。スミスはジェントリフィケーションを資本の蓄積過程から説明します。スミスの不均等発展論によれば、資本はその空間的発展の条件や水準の均質化と差異化を通して蓄積されます。郊外化の時代には、マイホームを買い求める新中間層と、のちの労働者階級に支えられて郊外に投資が集中しました。あわせて工場などの生産手段もしだいに郊外に移動していきました。大都市圏に集められた資本は空間的に拡散し、田園の都市化という均質な開発手法を通して郊外に根を下ろしたのです(均質化の側面)。一方、このような郊外の外延的拡大と並行して、インナーシティでは不動産投資が控えられ、住宅価格が下がり、居住環境が劣化しました。新中間層が郊外に居を求める中でインナーシティは彼らを寄せ付けない場所になっていったのです。このように、郊外開発の条件や水準との明らかな差異を伴ってインナーシティでは資本の引揚げが生じました(差異化の側面)。ここでインナーシティはどういう状況にあるかというと、本来的には投資され生産・消費されれば利潤が生み出される場所であるにもかかわらず、それらが「なされないままの」場所になっています。場所のこうした二面性のそれぞれをスミスは「潜在的地代」と「資本還元された地代」と表現しています。両者の差が地代格差であり、地代格差が大きいほど開発によって引き出せる利潤は大きくなります。要するに、地代格差が大きい場所では土地や建物を安く買って高く売ることができるのです。インナーシティでは、資本の引揚げによって地代格差が拡大し、のちにそれが開発の好機となって再投資が行われた。そして高価格の住宅が供給され、新中間層がそこに住みたがって転居してきた。これがジェントリフィケーションの過程についてのスミスの説明です。大都市圏全体としてみれば、さらなる資本主義的発展のためには、インナーシティを劣位に置いて差異化すること、つまりインナーシティでの資本の引揚げとそれを条件にした再開発が必要だったということができます(ハーヴェイはこの差異化を「独占レント」を獲得するための資本の運動とみています)。ただし、インナーシティに資本が再集中する局面でインナーシティだけが大都市圏の資本の全てを吸収することはできないので、郊外の(再)発展も並行して生じます。

2.スミスはジェントリファイアーとしての新中間層にどのような役割を与えているのか?

これは東京都心への移動者を分析している私自身の問いです。ジェントリファイアーとは、ジェントリフィケーションの担い手であるインナーシティの新住民のことであり、主に新中間層を指します。ジェントリフィケーションに対する都市地理学者の説明には、大きく分けて消費側からの説明と生産側からの説明の2つがあります。前者の論者は、新中間層の消費選好がジェントリフィケーションを主導したとする立場を取ります。つまり、彼らからすればインナーシティに住みたがる新中間層が出現したからこそ、新中間層の需要を満たすための住宅がインナーシティに供給されて、ジェントリフィケーションが発現したのです。これに対して、上述のスミスの理論は後者にあたります。スミスは消費側からの需要主導的な説明を次のように批判します。すなわち需要主導的な説明は、これまでインナーシティには見向きもしなかった、むしろ避けてきた新中間層がなぜ突如としてそこに住みたがるようになったのかを説明できない。新中間層がより裕福になっているとしても、高所得であることは都心居住を志向することを意味しない。需要主導的な説明が拠って立つ個人の合理的判断に従えば、新中間層は狭くて高いインナーシティの住宅ではなく、広くて安い、資産価値の安定している郊外の住宅を需要するだろう、と。そして、スミスはジェントリフィケーションの過程における新中間層の役割を定位するために「需要」主導から「消費」主導への視点の転換を促します。これはどういうことかというと、個人が自身の合理的判断のもとで商品を欲するという見方ではなく、資本主義のシステムが個人や社会集団を特定の消費慣行に向かわせるという見方を取るべきだということです。こうした見方を取ることで、スミスは潜在的なジェントリファイアーがどのように出現したのかをまたもや資本の蓄積過程から説明してみせたのです。19世紀末に始まる資本の過剰蓄積という危機とそれに対する労働者階級の応答は、第2次世界大戦後に商品の標準化と低価格化を通して労働者階級の消費慣行を拡大させることによって解決されました(この資本主義体制はフォーディズムと呼ばれています)。このとき消費慣行の再編を被ったのは労働者階級に限られません。新中間層もまた労働者階級と同様の消費の倫理を持っていたとスミスは言います。ただし、当然ながら新中間層は労働者よりも多くの良い商品を手に入れることができます。ここでも資本の発展の均質化と差異化が生じていました。つまり、労働者階級の消費に向けた商品の標準化が進む一方で、それとは異なる新中間層に訴求するプレミア商品が生産されていった。個人にとっての最大の消費は、つまり消費主導の資本主義にとっての最大の投資先は他でもない住宅です。インナーシティへの再投資の過程は先に述べました。その過程で開発された住宅こそが新中間層のためのプレミア商品だったのです。そして何より重要なのは、新中間層は消費についての労働者階級との差異や区別を追求することです。この点については、新中間層が階級意識に基づいて労働者階級向けの商品とは異なるハイソな商品を求めるよう、階級分断の張本人、資本主義のシステムに要請されているとみなすことができます。だからこそ新中間層は、均質的な郊外(労働者階級の消費のための空間)には供給され得ないインナーシティのプレミア住宅を消費した(させられた)。これが新中間層がインナーシティに住みたがるようになった理由です。彼らを引き付けた都心の住宅の優位性としては、住宅それ自体の物的水準の高さに加えて、都心という場所が職場に近く、そこに各種の消費者サービスが集積しているという地理的な面もあります。富田(2015)は、このような都心の居住地としての利点を①雇用の集積(職住近接)、②中心機能の集積(多種多様な財とサービスを供給する機能への近接性の高さ)、③公共交通の整備の3点に整理しています。

スミスの議論の中で私にとって特に有用だったのは、新中間層の差異の追求についてです。

私自身は、都心居住を個人や世帯の自発的移動(自分で転居の決断や新居の決定をした移動)の結果とみなして論を進めています。個人や世帯の都心への移動は、主に職住近接の実現によって、つまり職場と家を近付けることによって一日の中で自分の使える時間を長くしようという時間地理学的な理由のために行われると考えています。移動者は、単身者ならば自分に充てる時間を(由井 2003)、夫婦共働き世帯ならば家事や子育ての時間を確保するために都心の住宅に転居するのです。でも、もしかすると都心居住者には「他人とは違う」暮らし方だからという理由で都心の住宅に転居する面もあるかもしれません。仮にそうだとすれば、新中間層は都心という場所やジェントリフィケーション・キッチュ(リノベーション、グラフィティ、クラフトビールなどを好むような小洒落た感じ)の消費を喚起させられている、というスミスの見方ができるかもしれませんね。

実際に新築分譲マンションの広告を見ると、デベロッパーや販売会社が都心での「他人とは違う」暮らしを訴求している様子が見受けられます。みなさんの中に、街中で「○○(都心の地名)が庭になる」「○○(都心の地名)に住むという贅沢」といったような宣伝文句を目にしたことがある方はいませんか。こういうのをマンションポエムと呼ぶのだそうです。

この記事の筆者は、新築分譲マンションの広告に記載されたマンションポエムを分析し、そこで「街」「都心」「暮らし」といった単語の出現回数が多いことを明らかにしています。筆者が指摘しているように、マンションポエムはマンション自体の性能ではなくもっぱら場所について表現しています。都心での暮らしは特別ですよ、このマンションを買えばあなたも特別な暮らしを送れますよ、というわけです。スミスの言葉を借りれば、マンションポエムは生産側が都心という場所によって商品を差異化した一例とみなせるかもしれません。

さて、まとまりのない話を続けてしまいました。ここまで書いてきた解釈が正しいかは分かりません。それに、本書で詳述される「フロンティア」や「報復都市」といった概念については整理できませんでした。この記事のすべてはあくまで私の感想です。

文献
スミス, N. (原口 剛訳) (2014).『ジェントリフィケーションと報復都市』ミネルヴァ書房. [Smith, N. (1996). The new urban frontier: gentrification and the revanchist city. Routledge.]
富田和暁 (2015).『大都市都心地区の変容とマンション立地』古今書院. 
由井義通 (2003). 大都市圏におけるシングル女性のマンション購入とその背景―「女性のための住宅情報」の分析から―. 季刊地理学, 55(3), 143–161.

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